雨谷の庵

[0469] 紳士の角度の作用 (2005/03/20)


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裸の王様。

春の足音ようように近し、とは言え未だに空の風の頬厳しい季節である。
仕事から帰宅し夜も更け、一息くつろいだ後の風呂一服に肌恋しさを感じても罰は当たるまい。
私は浴室の準備が出来たとの知らせを受けて、嬉々として風呂に足を向ける。
服を一枚一枚脱ぎ去るごとに、夜空から隙間風に乗って足元に運ばれてくる冬将軍の残骸が、
毛穴の一つ一つを震わせて行く。
三寒四温の寒の部分に今夜は属するのであろうかなどと取り留めの無いことを考えながら、
しかし足の親指の先は風呂桶になみなみと湯気を立てているであろうその穏やかな温もりを
期待して、そわそわと落ち着かぬ風体で風呂場への途へと踏み出そうとしている。
しかし親指の期待は裏切られていた。

慌てふためいて居間に駆け戻った私のありさまを、妻の人は訝しげな物腰で迎えるのである。
「どうしたの?」
「ふ、風呂にお湯が無い」
私の声は、うろたえ気味に震えていたことだろう。
「はぁ?何で?」
妻の人にとって、私の目の当たりにした状況をとっさに把握する事は出来なかったらしい。
私はもう一度、今度は慎重に言葉を選ぶことにした。
「風呂の、栓が抜けてた」
妻の人はようやく得心がいったのか、一言「どうしよう?」とうめきを漏らすのだった。
「とりあえず風呂の栓を閉め直して、もう一度湯のスイッチを入れてみた」
「そうだね。そうするしかないね」
妻の人は冷静に頷いた。そして頷いた後、更に冷静さを増した声で私に問うた。
「ところで、なんで素っ裸なの?」

慌てふためくあまり、素っ裸のままに風呂場から駆け戻ってきてしまっていた私は、その後
居間の隅でぶるぶると震える羽目になっていた。
一度脱いだものを、しかも風呂場までわざわざ戻って着てくるというのが、どことなく
奇怪な行為に思えたからである。
いやもちろん、今、居間でぶるぶると素っ裸な私の状況にも、違和感を感じない方が
どうかしていると言えなくも無い事は重々承知している。
しかしよく考えてみて欲しい。
風呂場に服を取りに行くにしても、ここでぶるぶると震え続けるにしても、いずれにしても
奇怪珍妙であることに変わりは無いのである。
どちらを選択したところで、私の人生により良い価値がもたらされるわけではないのだ。
ならば二次的な条件を考慮することで判断をつけるべきであろう。
そう。風呂場への道には冬将軍の欠片が蠢いている。しかし居間は暖房でほかほかだ。
新たに風呂を沸かすのに掛かる時間はわずか15分程度である。
ならば、私はここに居るべきではないだろうか。

人間というものは、素っ裸であっても人間であることに変わりは無い。
しかし、実際に素っ裸で無為に時の経過を待つだけの状況というものも、滅多に遭遇しない
類のそれであろうとは思う。
今や非の打ち所の無い素っ裸と成り下がった私の、その背中の辺りを支配しようとしている
感覚、それは「心もとなさ」という言葉で説明しても良いだろうか。
脇の下の辺りの風通しの良さはそこを誰かに突っつかれるのではないかという不安に変わる。
へその凹みは無防備な有様の象徴として、私の心を臆病にさせる。
そして何よりも股間の紳士のぷらんぷらんとした気まぐれさは、私の存在そのものを
何かしらの揺らぎの作用でのみ成り立っている不安定な存在であると語りかけてくる。
紳士が右に揺れれば、私の体の震えそれそのものが、さも私であるかのように感じてしまう。
次に左に向かって紳士が傾くと、私の自我がぷるぷるの寒天に変じてしまっているのでは
ないかという、ありもしない恐怖に襲われる。
嗚呼、紳士よ。揺れないでくれ。お願いだ。

そんな部屋の片隅の私の様を、妻の人は呆れたような眼差しで時々見やるのみである。
その視線には、そこはかとなく汚物を見下すような色が見て取れるような気さえしてくる。
いつもは優しい妻の人、いや、恐らくは今この時点でも彼女は私に優しい笑みを送り
続けているに違いないのであるが、しかしその時その状況の私の弱った心根には、彼女の
その心優しさでさえ鋭い凶器の如くに思えていたのかも知れない。
嗚呼、そんな目で私の紳士の傾きを侮辱するのは止めて欲しい。
紳士に罪は無いのである。
紳士の傾きが玉座の角度と交差する度に、私の心が自身を苛むだけなのである。
悪しき事象は全て、私の無防備さに依存しているのだ。
つまりは素っ裸が全てを支配しているのだ。
私は素っ裸であり、それが紳士の角度の作用を増大させているのであって、全世界は
決して私にとっての地獄であろうとしているわけではなく、単にそのありのままを
投げかけているのであり、紳士の角度もまた世界の一部分を私との接合部分において
関連付けているに過ぎないのであり、それ以上の意味合いをそこに付与する事は
私の慢心とも言える訳で、それは即ち世界への自己投影の結果を過大に確信することの
弊害であり、最も今恐れるべきは角度を自身そのものと見なすその依存症的な心理
処方に頼り切ることに他ならないから、私はもう少し素っ裸を素っ裸としてありのままな
何らかを私自身として再定義せしめるべくそれとない行動をきっかけとして契機として
突破口として実行に移すことを決意せねばならないのではないだろうか。

手始めに、私は紳士の振動を左右のそれではなく、上下のそれに転じてみた。
すると不思議なことに世界の全てが私の素っ裸を気にしなくなった、そんな気がした。
しかし妻の人の視線だけが、明らかに私そのものをケダモノと見なしている、それだけが
少し気にはなったが、しかし風呂の準備が整った今となってはそれもどうでも良いと
考えることにするしかないだろう。

世界の全てと調和するには、人生はあまりにも短すぎるのだから。

雨谷の庵は今日も雨。
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管理者:徳田雨窓