雨谷の庵

[0464] プレゼントの真の贈り手 (2004/12/19)
※クリスマス雑文祭2004


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サンタクロースについて考えてみよう。

まず、プレゼントについて2種類に分けて考えることから始めよう。
一つ目は「与えっ放し」のプレゼントで、もう一つは「交換が前提」のプレゼントである。
与えっ放しのプレゼントでは、贈り手は受け取り手に見返りを期待しない。
もしくは見返りを期待はするけれども、それが無くても構わないと贈り手が考えている場合、
それは与えっ放しであるとしても良いだろう。
例えば全知全能の神の愛であるとか、親が子に対して日常注いでいる愛情であるとか、首領様の
偉大なる叡智でもって繁栄する人民の暮らしであるとか、そういうものである。
一方、交換が前提タイプのプレゼントとしてすぐに思いつくのはクリスマスパーティなどで
行われるプレゼント交換イベントや、正月にお互いに送りあう年賀状、友人への誕生日の
プレゼントなどだろう。

もちろん、これらの二つの中間的な形式のプレゼントというものも存在するとは思うが、
ともかく全てのプレゼントについて強引にこの分類を適用していくならば、ある一つの傾向に
気づくことになるだろう。
つまり特定可能な個人が贈り手である場合のプレゼントは、たいていが「交換が前提」となって
いるということである。
例えば、慈善事業で孤児に贈り物をしている場合を考えてみよう。
もしもその受け取り手の孤児たちに対し、贈り手が匿名を貫き通すならば、それは贈り手にとって
見返りの無いプレゼントとなるかも知れない。しかしもし一度でもその孤児たちの前に贈り手が
姿を晒してしまったならば、彼もしくは彼女は、孤児たちから直接的な感謝という見返りを
得てしまうだろう。
『足長おじさん』という物語では、感謝がそれ以上の幸福となっていく様が描かれてもいる。

もしも貴方が贈り手として「与えっ放し」を貫きたいのであれば、最後まで匿名で
なければならない。もしくは相手よりもより超越した存在でなければならない。
例えば偉大なる首領様の場合、彼が偉大すぎるが故に与えっ放しなのである。もしも彼が
偉大でないのならば、彼は人民全てから何らかの見返りを既に受け取ってしまっているだろう。
また、親の愛情にしても同じことが言える。子どもはまだ人間未満の存在であり、感謝すると
いうこと自体を知らない可能性が高い。しかしもしも彼らが人間としてある程度自立したならば、
親は親なりに何らかの見返りを彼らから受け取ってしまうことになるだろう。
神については言わずもがなである。

ではサンタクロースからのプレゼントとは一体、何なのだろうか。
一見、サンタクロースが子どもたちに与えるプレゼントは、見返りを要求しないそれであるように
思えるかも知れない。
しかし、ここで私たちはサンタクロースのプレゼントについての「サンタクロースは良い子だけに
プレゼントを配る」というルールを思い起こすべきだろう。
つまり、サンタクロースはプレゼントを配る前提として、子どもたちに「良い子であること」を
求めているのである。
実はこのことから分かるように、サンタクロースは贈り手としてプレゼントを配って
いるわけではないのだ。
このプレゼントの真の贈り手は子どもたち自身であり、サンタクロースは子どもたちから
「良い子であり続けたこと」というプレゼントを受け取ったその見返りに、物的なお返しを
しているに過ぎない。
つまりサンタクロースのプレゼントは明らかに「交換が前提」となっているのである。

しかしもしもそうであるならば、何故サンタクロースなどという虚構の存在が必要となったの
だろうか。
私たちは、サンタクロースが親などによって演出されるイベントのようなものであることを
知っている。
だとすれば、親などは子どもに直接「今年一年良い子でいたら、クリスマスにプレゼントを
買ってやる」と言えば良いだけなのではないだろうか。
わざわざサンタクロースという回りくどい演出などしなくとも良さそうなものである。

ここで、考えなければならないのが「良い子」という概念である。
別に「良い子」であることを要求されるのは子どもばかりではない。
いやむしろ大人こそ、人間の助け合いで成り立っている世間というものに対して善良で
あることを求められていると言って良いだろう。
大人は世間に対して善良である対価として日々の糧を得、生きているのである。
ご存知のように世間という大きな仕組みは、特定個人のような分かりやすい対象として
存在するわけではない。
大人はそういった一見曖昧な何かに対しての善良さを保ち続けなければならず、それが
出来てこその大人であるとも言えるだろう。

子どももやがて大人にならなければならない。助け合いの中で生きていかなければならない。
従って子どもには、良い子であり続けるための訓練が必要なのである。
つまりサンタクロースとは、良い子であるというプレゼントを贈り続ける訓練のために
用意された的のようなものなのだ。

雨谷の庵は今日も雨。
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管理者:徳田雨窓