雨谷の庵

[0461] 一人ぼっちの冬 (2004/12/04)
※一人ぼっちの雑文祭


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最近は一人ぼっちで過ごす時の、あの感覚を忘れつつある。

何しろ結婚して子供が生まれ、家族三人での慎ましやかな生活を細々と営む毎日である。
独身時代に感じていたようなそこはかとない焦りにも似た不安感、それを孤独と
読み替えることが果たして妥当な理解なのかという問題はあるにせよ、己にとって
あの頃に独特と言ってしまえるようなもやもやとした感情は、最近滅多に思い出さなく
なってきているのは確かなことなのだろう。
就職を機に里を離れて何度、一人ぼっちの冬を過ごしたことになるのだろうか。
若さという失われていくだけの、混沌としたエネルギーのようなものの陰には、
いつでもその今は思い出せそうにない感触のようなものが潜んでいたような気がするのは
私だけなのであろうか。
いやむしろ、と敢えて言葉を続けるならば、その陰の中でのみ蠢き続けるその不気味な
心情こそが若さの正体そのもので、人々を色々な物々に向かってその背中を押し出し
続けているナニか、世間を停滞ではなく混沌たる進捗たらしめている根源なのではないか
ということは、少々考察に値する発想と思えなくも無い。
つまり一言で言うならば、あの頃の私は若かったのだ。

振り返って、何くれとなく己の手の平を淡々と客観視するならば、つまり私は年老いたと
いうことになってしまうのであろう。
当時の彼を眉目秀麗懐石料理な好青年と敢えて表現するならば、今の私は厚顔無恥にして
焼肉定食なおっさんと言い切ってしまえるのではないかと思わないではない。
年老いたなどと、私の年齢の時点であんまりそんなこというもんじゃないという声が
どこからともなく聞こえてきそうな勢いのようなものが私の周囲に渦を巻いては
消え失せているような気がしないではないが、そもそもそれそのものも己の心中の
なんらかの躊躇のようなものに過ぎない訳で、最初から無視を決め込んでしまえばどうと
言うことも無く忘却の小箱に仕舞い込めるような代物でしかありえない。
忘れてしまえ何もかも。
好青年には好青年の利点欠点があるように、おっさんにはおっさんなりの利得損失が
あることは覚悟の上で人生を送るしかないではないか。

ということで、結局何が言いたいのかと改めて整理しておくと、今は目の前に息子の人が
ニコニコと笑っている訳であるということを書き記しておきたいだけのことなのである。
結婚というものを強行した頃から、己だけの世界というものがとても小さな小さな領域に
押し込められていくことを薄々ながら感づいてはいた。
しかし、このニコニコと笑う生物の出現に至って、それは小さな世界を更なる狭間に向かって
破壊的なまでに押し込めてゆくのである。
今や私のありとあらゆる行動予定はこのニコニコ生物の右手の中で踊るだけの猿でしかない。
私が生物の奴隷と化している、そんな事実から目をそむけるのは非常に単純な作業に
過ぎないが、しかし事実の誤認が長期的に及ぼす心理的な影響について極端な恐れを
抱く種類の人間であることでもって私を保っている身としては、それをむしろ痛切に感じて
時を歩んで行くべきであるという、そんな覚悟をそろりと決めていく必要があるのだろう。
若さを失うということ、それは一人きりではもはや居られないという単なる事実に過ぎないのだ。

しかし、一人で居られないことが即ち孤独と無縁になることを意味しない事は、既に良く
知られた筋道でもある。
私のような者の書く下らない文章を今目にしているような読者諸賢であれば、今までの
人生のいくつかの場面でそうした出来事に遭遇したことがあるのではないかと
愚考する次第でもあるわけである。
例えば気心の知れた仲間との飲み会の席のようなものを思い起こして欲しい。
あの野郎とあの子が仲良さ気に喋くり続けている風景の脇に、貴方がぽつんと微笑んでいる、
そんな記憶の断片が、誰しも心のタンスのどこか埃の多そうな場所に仕舞い込まれているのでは
ないだろうか。
私にとってそんな過去はあまりにもありふれていて、どれを選んでいいのかを考えるだけで
頭を抱えそうな宿題に他ならない。
そう、一人ぼっちの孤独とはまた異なった孤独がこの巷には溢れており、それは若さとは
また別の方向性でもって世界の陰の部分を担っているのかも知れない。

今まさに、私の置かれている状況がその陰であると私はここで断言する者である。
舞台はデパートのエレベーター。主演はもちろん息子の人である。
お姫様役を妻の人とするならば、さしずめ私は愚かさだけで人々の笑顔を誘い出さなければ
ならない道化役といったとことであろうか。
何しろ昼下がりのデパートである。
エレベーターは御礼の垂れ幕が下がっていそうな程の満員なのである。
つまり周囲には世間が充満していると思って頂ければ良い。
しかしそんな中で、我が愛すべき息子の人が、突然に不機嫌さんと化したのである。
つい先程まではニコニコさんだった息子の人が、今この瞬時に不機嫌さんに変貌する。
エレベーターが気に入らないのか、はたまたこの充満する世間が不満であるのか。
その原因は分かりようもないのであるが、しかし乳児のようなものを育てた経験のある方なら、
誰しもこうした場面に遭遇したことがあるだろう。
不機嫌さんの行き着く先は、泣きべそさんと相場が決まっている。
しかしここは世間である。
充満するその中で、息子の人が泣きべそさんに進化してしまった場合、私たち夫婦は周囲の
世間にご迷惑をおかけしてしまったことになるであろう。
もちろん、世間はいろんな意味で寛容であるから、そのご迷惑が即、私たちへの叱責の
ようなものに変じて襲い来る事は無いとしてもだ。
私たちは可能な限りの努力でもって、充満する彼らへの影響を最小限に封じるべきであろう。

もちろん、私は努力を惜しまない者である。
そして、私には息子の人の不機嫌さんを追い払う秘策もあるのである。
それは最近売り出し中の、いわゆる世間で言うところの「若手芸人」の中の一人の持ち芸で、
私がそれの踊りを踊ると息子の人はたちまちのうちに上機嫌になるという代物なのである。
いやしかし。私は周囲の満員状況を見渡して心が折れそうになる己に気づくのであった。
こんな場所でアレをやるのか。
いくら若さを失ったとはいえ、それはそれでおっさんとしても何かしら間違った人生の機関車に
乗り込んでしまっているのではないか。
しかし、そんな私の躊躇いを見抜くかのように、息子の人の表情はどんどんと泣きべそ的な
それへと変貌していくのである。
泣き叫ぶためだけに、彼は喉元に不機嫌という名のエネルギーに満ちた何かを蓄積しつつある。
私は意を決することにした。
私の安いプライドがどうしたというのだ。
周囲の人々に迷惑を掛けることに比べれば、おっさん一人の世間体など蛆虫以下の
存在でしかない。世間の役に立って始めて半人前だ。
私は小さく息を吸うと、両手を胸の辺りに構えて一気に踊り始めた。

「乳首がずれてるポリスマンっ!乳首がずれてるポリスマンっ!」

たちまちのうちにニコニコさんになる息子の人。
しかし、それと同時に私は世間から孤立した。気がする。
嗚呼、妻の人も何故か他人のフリをっ!?

雨谷の庵は今日も雨。大丈夫、息子の人はまだ、さびしくないから。
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管理者:徳田雨窓