雨谷の庵

[0450] どちらに似ているのか (2004/09/11)


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親馬鹿ですから。

子供が、父親と母親のどちらに似ているのか、という話題はかなり普遍的なネタであると思う。
もちろん、二人の間に出来た子供な訳であるから、どちらにも少しづつ似ていたりするわけで
あるが、どういうわけかたいていの場合、父親か母親のどちらかにやや偏った形で似ている
事が多いようにも思うのである。
ここらへん、遺伝子とかに詳しい人ならば当たり前のことなのかも知れないが、一般的な
巷の世間ではその子供が父親似なのか母親似なのかを結構楽しげに雑談に上せているように
思ったり思わなかったりしたりもする次第である。

さて、ひるがえってウチの子供の人を眺めてみようではないか。
まだ生まれて1年も経っていない赤子であるから、その体つきや体質などがいったい父親である
私に似ているのか、母親である妻の人に似ているのか、到底区別のつくはずがない。
何しろ生まれたての三頭身、赤子特有のぷにぷにとしたその外観は、成人男性と成人女性である
私たちとは似ても似つかぬありさまなのであるからして。
ということで、赤子についての似ている・似ていない論争のもっぱらの焦点は、その赤子の
顔立ちや目、鼻といった部品の雰囲気となる他ないわけである。
まあ、そもそも赤子というものはどんどんと大きくなりどんどんと外観の変わってゆくもので
あるからして、その日その時の状態でもってどちらに似ているのかを議論すること自体が
愚の骨頂と言えない事もないわけではあるが、しかし赤子とその両親を目の前にすると
どうしてもその似ている・似ていない論争に自ら飛び込まねばならないような、そんな強迫観念
にも似た衝動に駆られるから不思議である。だから、今日はその話なのである。

生まれたてのとき、ウチの子供の人を見た私が感じた正直な感想は「妻の人似だなぁ」と
いうものであった。
恐ろしく色白だし、目の形がそっくりだし、鼻の穴の形が私のそれと違って鋭いし、耳などに
至っては貧乏臭い私の耳と違ってたいそうな福耳だったりしたからである。
敢えて私と似ているところを探すとすれば、その髪の毛がぱやっぱやに突っ立っていたこと
くらいなのではないだろうか。
髪の毛だけは間違いなく私に似ている、それだけは認めよう。
妻の人に似ていると感じた私は少しだけわくわくした。
何しろ妻の人は、彼女が女子高校の生徒だった時分に、他の女生徒からたいそうモテモテで
あったと聞いていたからである。
つまりこれはさぞかし色白の伊達男になるに違いない。
両手の指では数え切れぬほどに数々の女性をあの手この手で騙して金銭を得、私たち夫婦の
生活を潤してくれるに違いないのである。嗚呼、未来はバラ色に満ちている。

ところが、妻の人の意見は私と全く異なるものであった。
「この子、きっとおとうさん似だにょ」
妻の人は子供の人をあやしながら、にこにことそう言うのである。
妻の人曰く、目は切れ長で私に似ているし、耳のとんがり具合は私のそれにそっくりだと。
鼻の筋のあたりの雰囲気が私のそれと同じで、口元も私のそれであるという。
更に驚いたことに、妻の人の母の人、妻の人の父の人も口を揃えて、子供の人が私に似ていると
言い募ってくるのである。
それは何か。一族郎党でもって私を何らかの罠にハメようとする陰謀なのか。
罠、罠、罠……いや、子供の人が私に似ているからといって、それが私の不利益になることは
ないはずだ。これは罠ではないと信じよう……って、もしかしてアレか。子供の人のことを
父親似と言うのは、世間一般でいうところの「配慮」ということか「礼儀」とかいう奴か。
子供は母親の胎内から取り出されるから実子であることが明白だが、父親の場合は自分の子で
あることを証明するにはかなりの間接的な手段をもってせねばならない。
従って、迂闊に「母親似ですねぇ」とか口にすると、父親が「これ、本当にオレの子?」とか
疑心暗鬼に陥りかねない。いや、父親とは常に疑心暗鬼な生き物なのかも知れない。
つまり「父親似ですねぇ」というのは実は立派な社交辞令なのだ。
妻の人の一族郎党のあの言葉は私への配慮なのである。
つまりウチの子供の人は私ではなく妻の人に似ている。そういうことにした。

いや、もちろん私に似て欲しく無いというわけではもちろん無い。
遺伝子的な物の見方をするのであれば、子供の人というのは自分のコピーみたいなものだから
それはそれで一つの物体の在り方としては実に興味深い。
肉体的なコピーが、環境や時代の違いによって私とは別の人生とかいうものを歩いたり走ったり
道を踏み外したり道を作ったりするわけである。
子供の人の将来とかいうものを少しくらいは楽しみにしていても、罰はあたるまい。
ただ、しかし、である。
振り返って私の人生を眺めるならば、酔っ払って人の道に外れるようなことをしてみたり、
エロゲーを同人で製作してみたり、エロ漫画を同人で描いてみたりとロクなことをしていない。
そんな私に似てしまうということは、子供の人もまた、そういった流れの中に入り込み
易いのではないかと危惧するのは当然であろう。
止めておけ子供の人。この道は茨の道である。

と、ここまで考えて私は自分の間違いに気がついた。
よくよく思い出せば、妻の人もまたオタク道を突っ走った人間の一人だったのである。
嗚呼、息子よ。君はどちらにしても茨に愛される人生を送るだろう。
とりあえず、頑張れ。
無駄かも知れないが、一応は応援している。

雨谷の庵は今日も雨。
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管理者:徳田雨窓