雨谷の庵

[0449] 毛に対するこだわり (2004/08/29)


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毛、毛、ケケケの毛。

人間には毛が生えている。
それはもう、事実なのであるからどうしようもない。諦めるしかない。
ただ、もしも貴方が、自分自身のことを毛の無い人であると主張したとしても、私は異議を
唱えようとは思わない。
世界は広く、毛の一切生えていない人だって確かに存在するからだ。
しかし、今はそういうお話をしているわけではないのだ。
私がここで採り上げたいのは、人間全体の話であって、個々の人物に固有の事情の一般化では
無いからである。
つまり、大抵の人間には毛が生えていて、それはもう、生えるべくして生えているという
この逃れようのない事実をまずは確認しておこうと、そういう次第であるに過ぎない。

人間にはたくさんの毛が生えている。
そうれはもう、気の遠くなるような本数の毛が、人間には充満していると言ってしまっても
良いかも知れない。
頭には髪の毛が生えているし、額の少し下の辺りには眉毛が生えている。
まぶたには睫毛が、鼻の中には鼻毛が、あごには髭が、耳には耳毛の生えている人もいる。
それらだけでもかなりの本数になってしまっていることは間違いないが、更に加えて
細かな産毛の話にまで議論を拡張するならば、人間の全身くまなくにそれはびっしりと
生えてしまっていたりもする。
そう、人間は毛だらけなのである。想像するだに身の毛のよだつような生き物なのである。

さて、そんな毛だらけの人間たちではあるが、彼らはどういうわけか毛というものを
不潔不浄なものとして扱う傾向にあるようだ。
その傾向は、特に妙齢な女性に顕著であるという印象を私は持っていたりするのだが、
読者諸賢においてはどうなのであろうか。
例えば、それは脛毛である。
脛毛といえば男性のそれは濃く、女性のそれは薄いわけであるが、しかし女性のそれは
いくら薄いとは言っても、生えていることは確かなわけである。
しかしどうだろう。世の女性達の一部は、その脛毛を剃ったり抜いたりしているではないか。
ここら辺が私の理解を超えているのではあるが、どうも一部の女性達の間には、脛毛イコール
醜悪であるとの認識が淀んでいるような気がするのである。
嗚呼、彼女達は今日もどこかで、脛毛を抜いているのであろう。

男性と女性の、毛に対するこだわりの差というものはその呼び方にも表れている。
例えば男性諸賢、少し想像してみて欲しい。
それは貴方の部屋の床に、1本の毛が落ちているという風景だ。
その毛はまっすぐなものではなく、若干の縮れを伴っていると思って欲しい。
貴方はそれを片付けるべく右手の親指と人差し指とで摘み上げ、ゴミ箱の入口へと向かうだろう。
さてここで、貴方はその毛を何と呼ぶだろうか。
男性なら恐らく「チン毛」と呼ぶのではないだろうか。
もしくは「陰毛」だろうか。
どちらにしても、それは体の部位というものを基本とし、単純なる発想過程によって生成された
純粋無垢なる呼称と言えはしまいか。
そこには何らこれといった配慮のようなものは感じられない。
ただ単に、毛を毛と見なした事務処理的な命名に他ならないと私は思うわけである。

ところがどうだろう。女性の場合はそうではないようなのだ。
私に最も身近な女性といえばもちろん愛すべき妻の人であるわけだが、彼女はこういった毛を
目にすると、それをこう呼ぶのである。
「ぴろ毛」
何故ゆえにそのように呼ぶのかと問えば「ぴろぴろしているから」という実に非論理的な
答えが返ってくるわけである。
チン毛で良いではないかと更に疑義をふっかければ「漏れにはそんなの生えて無いむん」と
不機嫌な顔をする。
ならマン毛だろと問い詰めると最後には「もっきゃー」と怒り出す始末である。
私にはデリカシーが足りないとか、妻の人はそのような不可解な主張を繰り返すのである。

まあ、ぴろ毛の件はおいておこう。
妻の人の、毛に対する不可解なこだわりはそれだけではないからである。
例えば、貴方はケツの穴の周辺に生えている毛のことを何と呼ぶだろうか。
普通に考えれば「ケツ毛」と呼ぶだろう。私もそう呼んでいる。
しかし妻の人はそうではない。彼女はそれを「どる毛」と呼ぶのだ。
まだある。
男性のおへその周りにはしばしば、股間周辺から綿々と連なった毛が群生していることがある。
私などはそれもひっくるめてチン毛と呼んでしまうわけだが、妻の人はやはり違うのだ。

 妻「それはギャランドゥにょ」

何故にギャランドゥなのか。
混乱する私に妻の人はただ「ギャランドゥはギャランドゥにょ」と繰り返すだけなのである。

嗚呼、恐るべきは女性の毛に対するこだわり。
彼女達は毛に対してそれを嫌悪する余り、私たち男性よりも更に詳細でかつ直感的なる分類
体系を構築してしまっているようなのである。
つまりこと毛に関する限り、女性達は男性よりもより文化的で科学的であると言っても
良いのではないだろうか。
そう、私たち男性は、これからはもっと女性を見習い、毛の一本一本に更なる好奇心を
育てていくべきなのだろう。

ということで私は早速、私のこのへその周辺の毛をギャランドゥと呼ぶことにしようと思う。
ギャランドゥ〜。
……うーん。

雨谷の庵は今日も雨。
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管理者:徳田雨窓