雨谷の庵

[0428] 不思議なコンビニ (2004/05/01)


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そのコンビニは、ある日突然現れた。

私の通勤路には、一つ気になる店がある。
コンビニだ。
何の変哲も無い、と書くにはかなりの勇気が必要な、そんなコンビニなのである。
「ルーデンス」と黄色い文字で書かれた、水色の看板。
果たして貴方は、そんな名前の、そんな看板を掲げたコンビニを、人生のいかなる場面でもって
目にすることがあるだろうか。いやない。ないに違いない。ないだろう。ないかも知れない。
ないよね?……ていうか、あったらやだなぁ。

ルーデンスを一目見たときから、私はそのコンビニの虜になってしまったのかも知れない。
バスの中から見下ろす道の端に、そのルーデンスはいつも水色の看板を恥ずかしげもなく
見せびらかしている。
むしろ自慢げとでも言い得るほどのその無意味な見せびらかしっぷりは、普通のコンビニと
しての宣伝効果といったようなものを得るにはあまりにもオーバースペックなのでは
ないかと思えるものだった。
ああ、ルーデンス。安っぽい水色の中の厚顔無恥なる黄色よ。
それは爽やかな朝の日差しの中では殊更、場違いな雰囲気を周囲に放つ存在なのであった。

ルーデンスの異様な風景は、看板のそればかりでは無かった。
その店頭に掲げている広告もまた、ルーデンスをルーデンスたらしめる要素であった。
「ルーデンス特製弁当50円!!」
開けっぴろげなほどに脳天気な、そんな馬鹿丸出しの謳い文句を声高らかに解き放つ、
ルーデンスはそんな店だったのである。
ていうか、50円て。
私はその50円で買えるという弁当の有様に思いを馳せずには居られない。
いや、むしろ、毎日の通勤に欠かせないこのバスを、何度飛び降りてしまおうかと、
そしてルーデンスに駆け込み、その50円弁当とやらを買い求めようと思ったことだろう。
バスの乗り賃は210円。
もしもバスに乗り直したその代金を弁当のそれに上乗せしたとしてもたったの260円である。
ああしかし、私は決してそうするわけにはいかないのだった。
なにしろ、私はいつも遅刻ぎりぎりのバスに乗っていたからである。

ルーデンスが現れてからの私の通勤時間は、毎日がどきどきの儀式となっていた。
もちろん、50円弁当への憧れもそこにはあった。
しかし、私の心を鷲掴みにするルーデンスの魔力は、そんなことだけでは無いのだ。
なにしろ、ルーデンスでは毎日何かが起きていた。
ある日、いつものように、食い入るようにしてルーデンスの通過を眺めていた私の視界の中で、
ルーデンスの店員と思われる青年が店の本棚に倒れこんでいた。
本棚は無残にへしゃげ、店の床には雑誌の数々が飛び散らかっている。
一体何があったというのか。
店員と客の間で、何かのトラブルがあったのだろうか。
それとも、これは事件か。事件なのか。朝っぱらから元気にコンビニ強盗か。
しかし、ルーデンスはそんな私の疑問に答えることなく、ただ無情に通り過ぎるのであった。

次の日、そのルーデンスにはカメラマンが詰め掛けていた。
昨日の騒ぎが事件として取り上げられているのだろうか。
もしかすると、誰かがぶっ殺されてしまったのかも知れない。なんまんだぶなんまんだぶ。

次の日、そのルーデンスには探偵が居た。
いかにも名探偵ですとでも言いたげなその風貌は、間違いなく名探偵であった。
多分、名探偵だったのだろう。

次の日、そのルーデンスにはルパンがいた。
赤いジャケットに黄色のネクタイをしていたから、きっとルパンだったのだろう。

次の日、そのルーデンスには看護婦がいた。

次の日、そのルーデンスで看護婦とルパンが戦っていた。

……。
信じて欲しい。私は何も嘘など書いていない。
不思議なコンビニルーデンス。事実、そのコンビニでは毎日何かが起きていたのだ。
ああ、この気持ちをどう理解頂ければ良いのかが分からない。
毎日毎日私がどれほど、バスの窓から見えるその一瞬のルーデンスに、夢中だったかを。
いつ見ても私の予想をはるかに斜めにした、そんな光景を提供し続けてくれたコンビニを、
私は未だかつて目にしたことは無かった。
いや、もしかすると日本全国津々浦々のコンビニの大多数は毎日ルーデンスなのかも
知れないが、少なくとも私が今までの30年間で記憶している範囲のコンビニというコンビニの
すべては、決してルーデンスでは有り得なかったことをここに断言しておこう。

そんな毎日を悶々と送っていた私に、一つのチャンスがやってきた。
その日、珍しく深夜まで残業してしまった私には、最寄駅からの帰りに乗るべきバスが
無かったのである。
いつもならここで、少し高い料金を払ってタクシーにでも乗るところなのだが、しかしその夜の
私にはある一つの決心が渦を巻いていたのである。
駅から歩いて帰れば、その途中にあのルーデンスがある。
ああ、そうすれば憧れのルーデンスの客として、私は堂々とあの不思議ワールドの一員に
なれるのではないだろうか。
いや、私はきっと、今日のこの日をもってルーデンスたらねばならないに違いない。
決心はいつしか確信へと変化し、私の足取りはどちらかと言えば小走りに近いものとなって
夜の闇の中を鼻歌混じりに進むのであった。

今日のルーデンスはどんなルーデンスなのだろうか。
私の期待は、ルーデンスが近づくにつれていや高まった。
もしかすると、私が強盗に襲われてしまうかも知れない。
いや、今日のルーデンスはルパンの日かも知れない。だったら、ルパンにサインを貰おう。
戦う看護婦が私との対戦を心待ちにしていたらどうしようか。私はまず、ジャブを放つだろう。
そして、とうとう私の視界にルーデンスが現れた。
ああ、夢にまで見そうになってしまったルーデンス。その不思議ワールドが今、目の前に。

しかし、私はそこで愕然とするのであった。
暗いガラス窓だけが、そこには凍り付いていた。
水色と黄色の品の無い看板、その灯りは消されていた。
いつもは賑やかな店内は無人で、電気すら点いていない。
入り口のガラス戸には鍵が掛けられ、入ることは出来そうにも無い。
もしかして潰れてしまったのだろうか。
私はどこかに閉店の張り紙があるのではないかと、店の周囲を一巡りした。
しかし、そんなお知らせのようなものは見当たらない。
店の中にはまだ、色々な商品が置いてあるから、少なくとも店をたたんでしまったわけでは
無さそうである。
もしかして、深夜は閉店しているのだろうか。
しかし、ルーデンスの看板にははっきりと「24時間営業」と書いてあるのである。
謎だ。謎のコンビニルーデンス。
私は、とぼとぼと夜道を寂しく帰るのみなのであった。

次の日、私はまたバスの窓の外に釘付けになっていた。
昨夜のルーデンスのあの姿が、何度も何度も思い浮かんでは消えていく。
あの、寂しげなルーデンスは一体なんだったのか。
もう、あの不思議ルーデンスを見ることは出来ないのか。
そんな不安を、何度も振り払うようにして、私はルーデンスが見えてくるであろう前方に
目を凝らし続けるのであった。
バスは一瞬でルーデンスを通過してしまう。
その一瞬を、今日は、今日だからこそ、見逃すわけにはいかない。
水色と黄色のけばけばしい看板、私はそれに全ての意識を集中した。

その日、ルーデンスでは店員がルパンと踊っていた。
謎は深まるばかりである。

雨谷の庵は今日も雨。
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管理者:徳田雨窓