雨谷の庵

[0425] 秘密警察アカバン (2004/04/17)
※fast food text party


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いらっしゃいませ。

この言葉を聞くたびに、私の脳内にはヤバイ妄想が渦を巻き始める。
その妄想は見事な赤でもって私めがけて突っ走る。
真っ赤だ。
何の迷いも無く、その赤は私に向かって石を投げ始める。
嗚呼、その石つぶてのなんと力無きことか。
真っ赤に塗られたその石は、真っ赤な彼を起点として放物線を描き、真っ赤な妄想の中めがけて
まっしぐらに落ちていく。
彼の名はアカバン。正義の秘密警察だ。

アカバンが私の頭の中に住み始めたのは、もうかれこれ十年以上も前の話になる。
その当時高校生だった私は、薄暗い部室の中でニヤニヤとしながら、漫画を書いたり漫画を
読んだりする日々を過ごしていたのだ。
オタクという言葉が、一般の人々の間で定義され始めた頃かも知れない。
私は、そんな薄気味の悪い人間たちの一人だったのだ。

「やっぱり正義の味方と言えば、KGBだろ」
部室の先輩の中の一人に、ソ連をこよなく愛する人が居た。
先輩は赤い思想の話が好きだった。彼自身がそれを信じているというわけではなさそうだったが、
しかし嫌悪を持って語っているというわけでも無かった。
理論は理論、理想は理想、そして現実の足音は私たちの耳元で常に響き続けている。
今思えば、先輩はそれを十分わきまえた人だったのだろう。

一方の私といえば両親ともにバリバリの革命の闘士という家の生れである。
赤い思考回路は幼い頃から徹底していたし、それは高校生になっても健在だった。
だから、私と先輩とが自然と仲良くなるのは自明だったのだろう。
漫画やアニメ、ゲームといった話の合間に、私たちは共産主義の理論についてあれやこれやと
素人的な解釈ごっこをして楽しんだものである。
そう。それは、やはり解釈ごっこに過ぎないものだったのだ。
極東の若く力無き楽天的な革命家の事情など、世界の大きな流れの中では些細なことだった。

ソ連が崩壊したのは、先輩が卒業した年のことだったように思う。
その春からの私は高校三年生、受験を控えて部室からも疎遠になっていた頃だった。
赤い理想の凋落は、私にとってはそれほどショックな出来事では無かった。
何しろ、当時の日本の革命家たちはソ連の政治体制を独裁的であると断じ、その失敗は経済
政策によるものではなく、主に民主主義の未発達によるものであると考えていたからだ。
経済的に豊かとなり、高度に発達した資本主義国である日本でこそ、マルクスやレーニンの
夢見た理想が達成されるであろう、そしてそれこそが真の赤いユートピアであると、彼等は
信じ続けていた。

しかし、先輩は違っていた。彼はソ連をただ、愛していたのだ。
彼にとって、赤の理想の意義などさしたる問題ではなかったのだ。
赤いユートピアへの憧憬も、彼は持っていなかった。
ただソ連という存在、それそのものの歪さ、理不尽さ、そしてそれに対面したときの、
日本の人々が抱く思いのどす黒さに、自身の何かを委ねていただけなのだ。
当時浪人生活を送っていた彼は時折、部室にその姿を見せた。
しかし、そんな彼はどことなく寂しげで、かつて赤い話題に輝かせていた目は、見る影も無く
淀みの中に漂っているだけのようだった。

そんな彼が、ある日突然漫画を描き出した。
「秘密警察アカバン」、それが漫画のタイトルだった。
近未来、凶悪化する犯罪に対処しきれなくなった日本政府は、民間の警察組織を認可するように
なっていた。犯罪者には懸賞金が掛けられ、民間警察は先を争うようにして賞金目当てに
犯罪者を狩り立てた。
そんな中に一人異彩を放つ者が居た。
頭の先からつま先までの全身を真っ赤なタイツで覆い、目は尖ったサングラスで隠し、
そして額には輝かしいソ連のマークが縫い付けてある。
アカバンと名乗るその男は、真っ赤に塗った石ころを武器とし、ありとあらゆる秘密工作を
祖国ソ連のために実行するのである。
「馬鹿かお前は」
アカバンのソ連への思いを耳にした者は、皆必ずその台詞を口にした。
「ソ連なんて、とうの昔に滅んでる」
しかしアカバンは否定する。そんなはずはない、祖国は今も健在だ。なんなら今からKGBの
本部に電話をかけて確かめてやる……。
「いらっしゃいませー。こちらマクドナルド、モスクワ店ですー」
アカバンの握り締めた秘密通信機から、アメリカナイズされた黄色い店員の言葉が漏れてくる。
「お持ち帰りですかー?」
アカバンは、呆然とその場に立ち尽くすのであった。

私はマクドナルドの店員の言葉を聞くたびに、そのアカバンの姿を思い起こさずにはいられない。
アカバンは今も、私の心の中で戦い続けているのだ。

雨谷の庵は今日も雨。ありがとうございました。
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管理者:徳田雨窓