雨谷の庵

[0419] ホットケーキ以外の何か (2004/03/12)


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ベーキングパウダー:
 ふくらし粉。パンやケーキを焼く時に膨らませる目的で小麦粉に混ぜて使う粉。
 主体は重曹で、水と熱により炭酸ガスを発生して生地を膨らませる。

つまり、徳田はベーキングパウダーを手に入れた!
レベルが1上がった!料理スキルが1上がった!ホットケーキの呪文を覚えた!ひゃっふぅ〜。
そう。もう私とホットケーキとの間を阻む者は存在しない。
私はいつでもホットケーキと共に有り、ホットケーキを愛しホットケーキに死ぬであろう。
ホットケーキの、ホットケーキによる、ホットケーキのためのホットケーキ。
我、ホットケーキ故に我在り。ホットケーキにあらずんばホットケーキにあらず。
パンが無ければホットケーキを食べればいいのよおほほほほ。
だんだん訳が分からなくなって参りました。<最初からです。

それはともかく。
人類の歴史を大まかに振り返ると、そこには常にコンサバティブとプログレッシブの対立という
現象が渦巻いていることに読者諸賢は気付くだろう。
現状を是とし、過去から積み上げてきた価値を重んじ、それを維持することに喜びを見出し、
安定と平穏を友とする、保守的なそれ。
有り得ないものこそ真実であるとし、未来の何かに全てを注ぎ込み、今あるものを別の何かへ
変貌させることを使命とし、変化と激動こそが血脈と言い切る、革新的なあれ。
それぞれはそれぞれにとって正しく、また第三者的な観点からするとそれらの活動と対立が
織り成す混沌こそが全てを形作る大いなる一つであると結論するであろう。
人はその混沌の中で踊り続け、自身の生き様の中にまたそれらを内包しつつ歩みを進めるだけの、
歯車の狂った自動人形に過ぎないとも言える。
故に、私もまた今得たばかりのホットケーキというコンサバティブな満足感と、これから志向
する未知なるホットケーキ以外の何かのもたらすであろうプログレッシブな恍惚との狭間で、
自らの命の灯火尽きるまで両手両足を打ち鳴らし踏み鳴らし続けねばならないのかも知れない。

ということで、まずはチョコを入れてみた。
仕掛けは完璧である。
粉雪のような小麦粉に卵と牛乳とベーキングパウダーとを入れ、さっくりと混ぜ上げたところで
チップ状のチョコを放り込むのである。
温めに熱された鉄板で、膨らみを帯びるホットケーキ生地の中、その私のアグレッシブさの
象徴たるチョコがとろけ、それはベーキングパウダーの活躍の痕跡の隙間を縫うようにして
生地の中に滲み込んで行く。
これぞまさに人類の歴史の箱庭たる混沌、ホットケーキという過去の素晴らしき遺産を基礎に
据えつつ、そこにチョコという異端児を投入することで未来への布石をも内包した、一つの
現実を体現した存在であると言えるだろう。
そう、私はこれを「チョコットケーキ」と名付けることにした。
ふんわりとしたホットケーキの口当たりと、チョコの醸し出すビターな大人の風味が渾然一体と
なった我が人生における傑作中の傑作であると、ここに高らかに宣言してみたい。

しかし、妻の人は一口目にして首を横に振るのであった。
何故だ何がいけないのだ。
チョコットケーキの斬新さ、そしてそれと見事に同居した昔懐かしさが、妻の人には
理解できないとかそういう事なのであろうか。
うろたえる私に向かって、妻の人は静かに指摘した。
これは既に存在する、ホットケーキの亜種に過ぎないと。
嗚呼、何たることであろうか。
己の力量のみで時代の先へと歩みを進めたつもりだったが、しかしそこには既に先人の付けた道が
存在していたとかそういうことであったのだ。
偉大なるかな人類の歴史。讃えよ祖先の努力を。驚愕せよその叡智の上に成り立つ奇跡の数々を。
ホットケーキは間違いなくコンサバティブであった。
しかし、チョコットケーキもまたコンサバティブに過ぎなかったのだ。
アグレッシブなだけでは祖先の努力を超越することなど出来はしない。
必要なものは攻めの姿勢だけではなく、もっと高く、もっと激しく、そして狂気すら
許容するまでに先鋭化された混沌への道を駆け上らねばならないとかそういうことだったのだ。

私はキッチンを見渡した。
コンサバティブの牙城とも言える穏やかで安心感のあるその風景も、今のこのアバンギャルドを
渇望する私にとっては、永遠の退屈を約束された絶望の地以外の何物でも無かった。
ここに私の望む先端は存在しない。
在るのはその全てが固定化された価値観へと束縛されている過去の遺産のみである。
しかし、しかし私はここからプログレッシブを放出しなければならない。
それは人類がまだ歩き続けることができるということを証明するための、魂を賭けた戦いであり、
常に転がり続けることを宿命づけられた石の掟である。
歴史は停滞と変革という二つの絵の具で描き上げられるからこそそこに模様を見出すことが
できるのであり、停滞の中からこそ変革を突き上げねばならないのだ。
ぎらぎらとした情熱が、もう一度キッチンの深部へと私を導き落とした。
冷蔵庫を掻き分け、戸棚を発掘し、ダンボールを突き抜けた。
ありとあらゆるものを手で掴み上げ、鼻に押し当て、口で噛み締めた。

「これだ。これしかない」
やがて、私の精神が疲労し切った頃になってようやく、私は私の聖杯への旅を終えた。
コンサバティブに埋もれ眠っていたそれだけが、唯一プログレッシブへの鍵を握っているのでは
ないかと、私には思えたのだ。
私はそれを切り刻んだ。
明らかな弾力と穏やかな水分を含んだそれは、私の振るう包丁の切っ先のもとで見る見るうちに
小さく細かな断片へと変貌した。
それを、私はコンサバティブの中へと混入する。
かき混ぜられたそのプログレッシブへの扉は、熱せられた鉄板という産婆の手によってこの世に
革新を解き放つのである。
そう、ベーキングパウダーがホットケーキのコンサバティブのための魔法の粉であるならば、
私の見つけた一つの希望は、ホットケーキをプログレッシブへと昇華する悪魔の契約である。
いや、今私の目の前にあるそれは既にホットケーキではない。
悪魔の哄笑と黒い翼の影の下で、異形なる息吹を約束された世界の先端たる魔神の眷属である。
人々はその誕生を恐れをもって記憶し、その誕生日は世界を闇で満たした最初の記念日と
なるであろう。
人類はまた一つ、プログレッシブを得たのだ。
それがいつの日かコンサバティブへと没落する時、今日という日は歴史の斑模様の中の一つの
突起物として、後世の歴史家の想像力を天高く羽ばたかせるであろう。
さあ、妻の人よ。我がプログレッシブたるホットケーキであったそれ以外の何かを喰らえ。
ふはははは。ふはははは。

「なにこれ。最悪」
「もちットケーキ」と命名されたそれを、妻の人は二度と口にしなかった。

雨谷の庵は今日も雨。
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管理者:徳田雨窓