雨谷の庵

[0411] 私の編み物事情 (2004/02/06)


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一目一目に想いを編み込むのです。

編み物をしたことのある方ならもちろんご存知のこととは思うが、あの編み方というものには
表編みと裏編みという二通りの編み方が基本として存在しているのである。
ちなみに私は、そのうちの表編みしかできない。ただひたすらに表編みの人である。
察しの良い方なら既に、ははぁんとばかりに勘付いていることだとは思うが、今私の手元には
編み上がったばかりのマフラーがある。
そう、私こと徳田は齢31にして突然、マフラーを編んだのである。

もちろん、私は今まで編み物というものに手を染めたことが無い。
全くの初心者、驚くほどの未経験というわけだ。
生来、好奇心の強かった私のことであるから、興味が無かったわけではない。
ただ、機会に恵まれなかっただけというのが掛け値なしに正確な表現である。
私の母の人は編み物をするような人ではなかったし、祖母の人が編み物をしているという姿も
今まで見たことが無い。
兄弟は男ばかりであったから彼らが編み物をするはずもなく、私の今までは編み物の現場を
目の当たりにすることが皆無であったと言っても良いくらいの状況であったのである。
編み物をするのが女性ばかりとは限らないが、少なくとも私の周囲の人々は男女の区別無く
編み物とは縁遠い存在であったようである。

そんな私の編み物事情を根底から覆したのは、要するに妻の人であった。
妊娠してから暇を持て余し気味なのか、妻の人がもきもきと編み物を始めたのである。
体がだるいために外を出歩く回数が減り、長時間集中していると疲れるとかでゲームの
時間が減った妻の人にとって、編み物は休み休みできる手頃な趣味として都合の良いもの
だったようなのだ。
妻の人がまず最初に編み始めたのは私のマフラーである。
長いのが良いか短いのが良いかと聞いてくるから何のことかと思いきや、それはマフラーの
長さのことであったとかそういうくだりもあったりする。
もこもことしたふっくら毛糸を買い込んできたかと思うと、妻の人はマフラーを1ヶ月も
かからずに編み上げてしまった。
そのマフラーは私の愛用品として今でも毎日利用されている。
ちなみに編んでもらったマフラーは長い。私は日々長いものに巻かれているからだ。

さて、次に妻の人が編み始めたのは妻の人の妹の人のためのマフラーである。
これまたふわふわの毛糸でもきもきと編み始めたわけである。
すでに一本編み上げてしまったから慣れてきているのか、それともつわりがおさまって体調が
良かったのかは分からないが、こちらは1週間ほどで編み上がっていたように記憶している。
しかし妻の人の編み物人生はとどまることを知らない。今度は自分自身のマフラーを編み始めた。
横で見ていると何が面白いのか分からないような実に単純な作業をひたすら繰り返して
いるだけにも思える。
しかしこれだけ何度も何度も編み物をしている姿を見せられると、それが何かとてつもなく
楽しくて楽しくてたまらない遊びのように思われてくるから人間というのは不思議でもある。
とうとう、私は妻の人からその編み物を奪い取ることにした。俺にもやらせろ、と。

しかし私は編み物などやったことの無い生き物である。
妻の人から毛糸と編みかけのマフラーと、それらを繋ぎ止めている編み棒を半ば無理やりに
取り上げてはみたものの、それらの持ち方構え方も分からずぼんやりと無為な時を
送るばかりである。
妻の人の隣でその編み物っぷりを一ヶ月間ほどに渡ってつぶさに観察してきた私としては、
自分という存在が既に編み物を完璧にこなす人物として完成されつつあったりもしたのだが、
しかしそれはどうやら夢とか幻とかの類に相違の無いものであったらしい。
なるほど、二本の編み棒をそれぞれ右の手と左の手とで構えるところまではなんとか真似を
することができる。
しかし、それをどう動かせばこの一本の毛糸が編み物のようなものとして形作られていくのかが
今ひとつ良く分からない。
頭の中で妻の人の編み姿の記憶を思い出しては巻き戻し、思い出しては早送りしと何度もその
映像を繰り返してみたものの、肝心の編み物の生成過程の辺りにはモザイクでも掛かって
いたかのような記憶の曖昧さがつきまとうのである。
代わりに私の脳裏に焼きついているのは、妻の人の横顔であるとか乳であるとかそういうもの
ばかりであるという驚くべき結果も付記しておくべきかも知れない。
要するに、私は妻の人の編み物姿をつぶさに見ていたわけではなく、編み物をする妻の人の方を
熱心に眺めては悦にいっていた愚か者に過ぎないことに気づいたのである。

妻の人も最初はそんな私を呆れた顔で横目にしつつ、今度は別の毛糸を取り出してなにやら
別のものを編み始めるだけだったが、あまりに困り果てた風貌の私を見かねたのか、とうとう
「できないならできないと最初に言ってください」と助け舟を出してきた。
妻の人が、その華奢な指先を私の指の節に添えて丁寧に解説をし始める。
まずは左手に古い目を下げた編み棒を持ち、右手に新しい目をすくう編み棒を持つ。
左の古い目に右の編み棒の先端を手前側から差し込み、まだ編み込まれていない毛糸をすくい
上げて古い目をくぐらせる。
くぐった毛糸が右の編み棒で新しい目になったことを確認したら、左の編み棒から古い目を
抜いてやる。これで一目が進んだことになる。
私が教わったのはこの表編みだけであるが、マフラーの場合はこれを一列一列繰り返すだけで
あるらしく、特に他の編み方を覚える必要は無いとの事だった。
一列を編み上げたら左右の編み棒を交換して持ち直す。
このとき、私から見たマフラーの裏と表は逆になるから、私は表編みしかしていなくても、
出来上がりは表編みと裏編みが一列ごとに交互になるという仕組みらしい。
このじぐざぐの編み編み構造はばねのような特性を持つから、マフラーは伸び縮みのする柔らかな
生地に仕上がるという寸法のようである。

とはいえ、そんな小難しい理屈を抜きにして、私は編み物に没頭し始めた。
生来、あまり器用な方ではないのでその手つきは不恰好で鈍重と言うに相応しい有様であったが、
それでもゆっくりとマフラーは列を重ねていくのである。
私の横では妻の人が機敏な手つきで別の編み物を見る見るうちに編み上げていくが、手元だけで
精一杯の私にはそれを気にする暇も無い。
編み目の大きさや力加減など、実は色々と気にしなければならない事もあるらしいのであるが、
それらにも気が回らないから私はただ力任せに毛糸を手繰るばかりである。
あまりにも要らぬ力を込め過ぎていたのだろう、どうにも肩こりのような重いものが首筋や腕の
辺りを圧迫しているように感じてもいた。要するに下手だったから力んでしまっていたのだ。

それでも、なんとか四苦八苦を続けるうちに毛糸の残りは減り続け、一ヶ月もしないうちに私の
手の中には一本のマフラーが姿を為していた。
見た目、かなり不ぞろいな編み上がりではあったが、それでも一つのものを完成させたという
満足感が損なわれるほどでもない。
とにかく、これで妻の人とおそろいのマフラーでお出かけが出来る。
こんな歳でおそろいを喜ぶのはどうかとも思うが、それでも嬉しいものは嬉しい。
しかも互いに相手のマフラーを編んだということも自分の中ではちょっとした思い入れに
なっており、それは気恥ずかしくもあり温かくもあったが、どこか心地良い感情になっていた。
と、そんなことを考えながらニヤニヤしていた私に、妻の人が編み上がったものを持って
やってきた。
それは、私が苦心してマフラーを編んでいたその横で、妻の人が編んでいたそれであった。
嗚呼、それは何と私のためのセーターなのであった。
私がマフラーをもごもごと編んでいるうちに、妻の人はセーターを一着、編み上げてしまって
いたのである。なんという技術格差。なんという品質の違い。
おそろいのマフラーを用意することは出来た。
しかし、セーターは私には無理だ。
私の編み物おそろい計画は、ここで無駄に挫折したのであった。

そして今、妻の人は私のチョッキを編み始めている。
私が何かを編む予定は無い。

雨谷の庵は今日も雨。
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管理者:徳田雨窓