雨谷の庵

[0410] 車庫入れの特訓 (2004/02/03)


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車を買った、それから1ヶ月ほどして車はやってきた。

私にとって、初めての愛車である。
買うまでは名前すら知らなかった車種であったとしても、それはそれ、これはこれ、愛車で
あることに変わりは無いと言っておこう。
もっさりとした個性の無いフォルム、ぼんやりと寝惚けたような柔らかい操作性、ちょっとでも
無理をさせようものならすぐに悲鳴を上げそうなほどに貧弱な馬力、そのどれもが今となっては
愛しさという感情への変換機となって私を萌え殺そうとしているかのようである。
持ち主としては、ドジっ娘を見守っているかのような心境になってしまいそうでもある。
眼鏡でも掛けさせれば萌え度アップになるだろうか。

そんな貧乳小娘のような車を手に入れた私にとって、最初の試練はやはり車庫入れであろう。
車が届いたその日、私は早速に車庫入れの特訓を始めることにした。
何しろ故郷であるところの岡山を旅出て約7年、その年月の間、私は車のハンドルを握る機会に
恵まれなかった哀れなハンドル貧民なのである。
一体、この丸い物体のどこをどう捻ればアスファルトの覇者足り得るのか、そのヒントですら
すぐには思いつかない有様なのである。
嗚呼、思い出した。
まずはキーを捻らねばならないのであった。ハンドルを撫で回している場合ではない。
無意味にハンドルだけをいじくり倒していた両手を離し、私は車のキーを鍵穴に差し込むと、
恐る恐るに回してみた次第である。
をを、眼鏡っ子が貧血気味な寝起きを披露しているかのような鈍いエンジン音が響くではないか。
さすがはトヨタのテクノロジー、こんな未熟な私でも車のエンジンを起動させるのに何の造作も
必要としないようである。それはどの車も同じかも知れないが。
この後はどうするのであっただろうか。
アクセルを踏んでも無駄に音が大きくなるだけで一向に前に進まない。
あ、そうかサイドブレーキとかいうのがあったか。よいしょ。
ええと、やっぱり前に進みませんが。もしかしてトヨタのテクノロジーは私をからかってますか。
そういえば、この車、さっきから気になっていたのであるがクラッチが無いような。
あ、もしかしてこれがオートマチックとかいう奴か。大友チックではない。
Oh!トマホークという意味不明な駄洒落も思いついたが、面白くないのでここには書かない。
いやいや取り乱してはいけない徳田。落ち着け。落ち着けばお前は大丈夫だ。
確か昔、父さんが最初にオートマチックを操作していたとき、真ん中の辺りにある棒切れのような
ものを嬉しそうにガクガクさせていた光景をお前は覚えているか。そうだそれだ。
私はびくびくした内心をひた隠しにしながら、用心深くオートマチックをガクガクさせた。
何故か、車は後ろに走り出した。

未知との遭遇から僅か3分にして私は、オートマチックに「D」と「R」とがあることを学んだ。
天才かも知れない。少なくとも父さんは越えてしまったような気がする。
幸運なことに私はアクセルとブレーキの区別について天性のものを持ち合わせているようで、
まだ一度もそれらを間違えたことが無い。シューマッハに追いつくのも時間の問題だろう。
では早速車庫入れの練習を……と思ったが、どうも私の家の車庫の間口の幅を睨んでいるうちに
気分が悪くなってしまったようである。
何度見直してみても、あそこに私の可愛い小娘を入れることが可能であるとは思えない。
計算上は50cmほどの余裕があるはずなのだが。私が少し疲れているのであろうか。
仕方がないので、私は気晴らしのためにそこら辺を軽くドライブしてみることにした。
幸い私の家の近所は人の気配も少ない住宅街、同じように車を乗り回すライバル達の姿は無い。
思う存分、私は路上の虎と化すことができるだろう。
満を持してアクセルを踏み込んだ私の心意気に、愛しの眼鏡っ子が華奢な唸りを上げて応える。
あっという間に時速5kmものスピードで周囲の風景が背後へと飛び去っていく。
トヨタのテクノロジーは今や、私を風の化身へとグレードアップさせたのだ。
そんな私を、近所のガキどもが追い越して走り去って行く。
嗚呼、最近の若い者の暴走は一体どうなってしまっているのだ。
車を追い越すなんて危ないじゃないか。
どうして警察は、あんな危険な若者たちを取り締まらないのだろう。
日本の未来が心配である。

私が再び車庫の前に戻ってきたのは、15分後のことだった。
ご町内を一回りしてみて分かったのは、私のハンドルさばきが著しく向上したということである。
私の前には4回、角度90もの激しい急カーブが立ち塞がったのであるが、私はそれらをものとも
せず、難なく曲がり切る事ができたのである。
現代の科学の粋を集大成して作り上げられた、時速5kmもの高速で移動する車という物体を、
このような短期間のうちに制御することができてしまうとは。
もしかすると私はニュータイプなのかも知れない。人は皆わかり合えるのだ。
今や全人類が憧れるであろうスーパーテクニックを身につけた私にとって、車庫入れなどという
実に退屈極まりない作業は似合わない。
私は一旦車を降りると、家の玄関を開けて妻の人を呼び出した。
「もきゃ?車庫入れ済んだにゅ?」
「いや、そんなことはどうでも良いからドライブに行こうぜベイビー」
ハイウェイスターの貫禄を漂わせながら、私は嫌がる妻の人を強引に助手席に押し込んだ。
もきーもきーと妻の人が何やら抗議めいた声を上げているが、ハイウェイスターはそんなことを
気にしはしない。
私は今までに身につけた全てのテクニックを駆使して、愛する眼鏡っ子をスタートさせた。
遠ざかっていく我が家を後ろに振り返りながら、妻の人はようやく諦めたようである。
「ところで、ガソリンは入れてあるにゅ?」
おっとそれはうっかりしていた。
私は近所にあるガソリンスタンドに乗り付けると、バイトのボーイに窓から声を掛けた。
「ぇいらっしゃいっ!お客様、給油口をお願いしまっす」
元気の良い明るいボーイだ。これなら日本の未来も大丈夫だ。
私は悠然と、給油口の開閉スイッチに手を掛けた。
開いたのは給油口ではなく、車のトランクだった。

私が車庫入れに成功したのはそれから4時間後のことである。

雨谷の庵は今日も雨。
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管理者:徳田雨窓