雨谷の庵

[0390] 三年の無事を祈って (2003/11/20)
※第六回雑文祭


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アメリカの研究者に「Uesugi という名は発音し難い」と言われ、彼はこう答えたという。
「なら、『トノ』と呼んでください」
それ以来、彼は国際的に『トノ』だった。

PLANET-Bと呼ばれていた宇宙科学研究所の衛星が打ち上げに成功したのは1998/07/04 03:12。
応募された候補の中から選ばれて、その衛星は『のぞみ』と名づけられた。
ただ独りトノだけが『一機火星』という名前を主張したが、その駄洒落は採用されなかった。
そう、のぞみは火星探査衛星だった。
火星上層大気が受けている太陽風の影響、それを調べるのがのぞみの目的だった。
太陽風によって大気が吹き飛んでいるのか、それとも何らかの仕組みで吹き飛ばずにいるのか。
太古の火星には濃い大気があり温暖で、地表にも水が存在していたのでは無いかと考えられて
いるが、今の火星は荒涼とした赤茶けた大地を晒しているだけだ。
のぞみの観測によって得られる予定のデータは、そんな火星の歴史を研究する上での重要な
手がかりになるはずだった。

のぞみは国産の火星探査衛星というばかりでなく、様々な新しい要素を盛り込んだ試みだった。
最も特徴的なのはその重量が軽いことだった。
それまでの火星探査衛星は軽いものでも1〜2t、旧ソ連製の重いものだと6tにもなる代物だったが、
のぞみでは色々な工夫を凝らすことで約0.5tという軽量化に成功したのだ。
本体構造の改良や素材の追求といった努力もさることながら、のぞみで採用された航法もまた、
軽量化を促進させる一因だった。
スウィングバイ(swing-by)、日本語に訳すなら振り子航法とでもすれば良いのだろうか。
地球や月など天体の重力を利用して軌道を変更するその航法を積極的に活用することで、のぞみは
火星までの燃料を節約することができ、その搭載量を減らすことで重量を軽くしたのである。
トノは、スウィングバイの日本における第一人者だった。

トノの指導の元でのぞみのために計算された航路は、月を利用したスウィングバイを二度行った後、
最後に地球を利用したスウィングバイを行い、地球引力圏を離脱するというものだった。
三度のスウィングバイにかかる日数は約五ヵ月半、火星到着は1999/10/11が予定されていた。

 1998/09/24 月スウィングバイを実施
 1998/12/18 月スウィングバイを実施
 1998/12/20 地球スウィングバイを実施

「トノ、大変なことになった。君の意見を聞かせて欲しい」
のぞみが地球引力圏から離脱したと思われたその直後、トノの元に良くない報せが届いた。
スウィングバイ中ののぞみが地球に最も接近した1998/12/20 17:10、その瞬間に起動させた
メインエンジンにトラブルがあったというのだ。
噴射口から飛び出すはずだった炎は予定していたよりも弱々しく、必要だった速度に100m/sほど
足りなかったのだ。
「追加のエンジン噴射で速度を補うしかないでしょう」
「しかしそれだと火星に着いた時、周回軌道に載せるための燃料が足りなくなる」
「火星に辿り着けないよりは良いでしょう。それにまだ方法が無いわけではありません」
翌21日、追加噴射が実施され、のぞみは火星遷移軌道に載った。

すぐさまトノによって軌道が計算し直され、二週間後、新たな計画がまとめられた。
その内容は、四年かけてのぞみを地球軌道と火星軌道との間で三周させ、2002/12と2003/06との
二回、地球によるスウィングバイを実施した後、2004/01に火星周回軌道へ投入するというものだった。
この計画ならば理論上、燃料に余裕ができる。
しかし火星への到着が四年も遅れてしまうという新計画の内容は、関係者の心を重くさせた。
のぞみにはアメリカを始めとしてカナダ、ドイツ、フランスなど各国の研究者の協力があり、
その火星での観測には期待を集めていたからだった。
共同研究者たちは落胆していることだろう…現場スタッフは皆、内心そうだと思い込んでいた。
しかし、彼らに送られた言葉は違っていた。
「何を言っているんだ。君たちは危機を乗り越えたんじゃないか」
「火星探査は失敗の歴史。僅かでも望みを繋いだチームの努力は賞賛に値する」
そんな励ましに後押しされるかのように、のぞみは長い旅路へと赴いたのだった。

地球がITバブルで賑わったり2000年問題で騒がれていた頃も、のぞみは黙々と宇宙を飛んでいた。
予定通り2000/12/28、のぞみは地球から見て太陽の裏側に隠れる「合」の位置に入った。
翌年の01/20までの数週間、地球からの電波が届かなくなるため、のぞみを制御できない。
「なんでも01/10にはのぞみと太陽、それから月と地球の四つが一直線に並ぶそうですよ」
「恒星と惑星と衛星と人工衛星の揃い踏みか」
「そんなものを気にするのはノストラダムスくらいだろ。ネタとしては古いな」
合の明けのタイミングで再度のぞみと通信を確立させる為の準備を進めながら、そんな冗談が
飛び交ったりもした。
のぞみの旅路はあと半分というところまで来ていたが、残りの年月はまだまだ長い道程だった。
誰もが火星到着までの、三年の無事を祈っていた。

しかしのぞみは、誰も想像できないほどに、不運だった。
2001/04/21、太陽で観測史上最大規模のフレア(爆発)が発生した。
そのフレアはコロナ・マス(corona mass)と呼ばれる巨大な風船状のプラズマの塊を放出し、
各国の人工衛星に被害を与えることとなった。
のぞみも、例外ではなかった。
コロナ・マスによって損傷した搭載機器が電源系に接触、回路がショートしてしまったのだ。
「だめだ。のぞみからデータを送ることが出来ない。軌道制御のための情報が把握出来ない」
「エンジンも起動しない。これでは姿勢制御すら不可能だ…」
翌年末に予定されていた地球スウィングバイには、緻密な軌道制御と姿勢制御が不可欠だった。
諦めるしかないのか。ここまで来たのに。
そんな虚しさを帯びた思いが現場に流れていた。
「まだ投げ出してしまうのは早いでしょう」
しかしトノは、モニターに映し出されるのぞみの状況を睨みながら、静かに指示を出し始めた。
「こちらにデータを送ることは出来なくても、こちらの指示はのぞみに届いているんですね?」
「ええ。受信系の機器は無事のようです」
「メインエンジン以外の操作系は?姿勢の自律制御の為の機能がまだ生きてませんか?」
「は、はい。それも無事でした」
「なら、あとは軌道制御のための情報を得られさえすれば、なんとかなりますね」
「駄目です。のぞみの送信機能は全く使えそうにありません」
「う〜ん。惜しいなぁ…」
「ちょっと待ってください。制御情報はビーコン電波のon/offで代用できませんか?」
「お。裏技を考えましたね。なるほど、ちょっと工夫すればそれで十分かも知れないですね」
トノは笑顔でうなずいた。
「とにかく騙し騙しでもスウィングバイを乗り切れば、故障修復の手もあるでしょう」
対策はすぐさま実行に移された。

アメリカで911事件の悲惨な映像が流れた時も、のぞみは宇宙を飛んでいた
日韓共催のサッカーW杯大会の熱気が渦巻いたその時も、のぞみは宇宙を飛んでいた。
そして2002/12/21、満身創痍ののぞみは無事、一回目の地球スウィングバイを乗り切った。
2003/06/19には、二回目の地球スウィングバイも成功した。

「研究所はすっかり変わってしまったが、のぞみは変わらず、か」
日本では小泉内閣の掛け声のもと、構造改革の名で行政組織の圧縮が実施されていた。
宇宙科学研究所も2003/10/01、独立行政法人宇宙航空研究開発機構として再編された。
「飛び立ってから五年半。のぞみも変わらなかったわけではありませんよ」
トノは飄々と笑っていた。
「そうか。もう五年半にもなるのか。色々あったからな…」
所長は感慨深げにうなずくと、トノに向き直った。
「で、今日の用件は?」
「深刻な話をしに来ました」
トノは手元の資料を所長に渡した。
「このままだと、のぞみは火星に衝突します」

2003/12/14、それが期限だった。
もしものぞみが衝突した場合、それは火星環境への地球物質による汚染となってしまう。
それは今後の火星探査に及ぼす影響が大きく、研究者としてなんとしても避けるべき事態だった。
現在、遠隔操作によって電源系回路に過剰電流を流し、ショートしている部分を焼き切るという
方法での修復が試みられているが、現場の見込みでは間に合うかどうか五分五分だという。
もし修復が間に合わない場合、衝突前に航路変更を行い衝突を回避する他無い。
その場合、のぞみの火星探査は絶望的となり、のぞみは宇宙の塵となって漂い続けることになる。

のぞみの物語は今も、綴られ続けている。

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『トノ』=上杉邦憲、1943/04/18生。宇宙科学研究所システム工学第二部門教授。
 1960年代末に低推力を用いた多数回ランデヴーによるデブリ除去を提案。ハレー彗星探査機の
 システム設計、軌道設計を担当し成功。地球多数回スウィングバイや月二重スウィングバイに
 実績があり地球大気によるエアロ・ブレーキも成功させている。
 戦国の世から続く上杉家の第17代当主でもある。

※この作品は実話にもとづいて書かれていますが、細かな内容は全くのフィクションです。

雨谷の庵は今日も雨。
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管理者:徳田雨窓