雨谷の庵

[0381] 指輪をつけて生活する (2003/10/23)


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指輪について語ろう。

既にご存知の方も多いとは思うのであるが、私は既婚者として定義されるべき種類の人間として
今のこの時間を費やし始めているわけである。
既婚者既婚者とは言っても、別段何かが劇的に変わるわけでは勿論無いが、妻の人と生活を
共にする、人生のかなりの部分を共有するということに関する一つ一つの作業とその過程に
ついては、これからじっくりと取り組んでいかなければならない事柄であろうとは思う。
そしてそれは、当面の最優先事項でもある。

しかしながらそういった実に真面目で誠実な話題よりも、人間というものは不思議なもので、
むしろ些細なほどに身近な事柄や変化というものの方が気になって仕方が無くなるということを
貴方はご経験ではないであろうか。
例えば、放課後の職員室で担任の先生に叱られているような比較的緊迫するはずの局面で、
何故か目の前に座っている先生のスカートの端から瑞々しく伸びたお御脚の嗚呼、授業の場面で
その先生が普段見せている厳格さからすると似つかわしくない色気のようなものに目が釘付けに
なってしまっていた、もしくはその先のスカートに隠れた神秘の領域に真紅の血脈音を集中させ
てしまいそうになった、もしくはその秘められた先生の個人的な部分の夜の事情のことに思いを
巡らしてしまい、ふと見やった左薬指のプラチナの輪っかが妙に憎憎しくエロティックな物体へ
繋がって自分を嘲笑っていると言うか、まあそうしたごくありふれたエロ男子生徒的な思考経路を
たどった後に、先生ってやっぱ結婚してるんだなぁと、ふと妙に冷静な現実的な心情の中で
虚脱感を顕わにしてしまったりとか、そういう話である。
…書いていて目的を見失ってしまったようだごめんなさい。
ていうか先生が色っぽいのが悪い。<違います。

で、何が言いたいかというと、私の結婚という出来事を振り返ってみるに、私にとってのその
些細であるがしかし気になってしまっているものというのは実は指輪というものでは無いかと
思ったりしてみている次第であることをここに告白しておこう。
指輪である。もちろん私の指輪の話である。
先生の指輪の話はもうどうでも良いから忘れて欲しい。忘れろ。忘れた。よし。
世の中にはへんてこな風習というものが色々と存在するわけだが、結婚指輪というものも非常に
不思議極まりないものではないかと、小さな頃から常々感じていた次第である。
もちろん、今ではインターネットでいくらでも調べることが出来るようになったわけだから、
結婚指輪が古代エジプトの頃から見かける風習であるとか、男女は二人伴ってこそで完全な
存在であると信じていた人々が完全の象徴として円を信仰しそれを指輪という形にすることで
既婚男女が一人前であることの証としたであるとか、左の薬指には心臓に繋がる血脈があると
信じられていてそこに指輪をすることが誓いの意味を持っているのだとか、継ぎ目の無い円は
永遠そのものを意味しており二人の愛が永遠に続くことを誓う意味で指輪をするのだとか、
まあそれはもう色々なことを知ることだけは出来るわけではある。
ただ単に指輪メーカーの陰謀であるという説の方が私には納得いくような気がしないでもないが、
そんな夢の無いことをほざいていると愛想を尽かされてしまいそうなので止めておこう。

ともかく、そうした疑問を抱いていたからということもあったのか、私は結婚するまで一度も
指輪というものをしたことが無かったのである。
指輪に限らず首輪や鼻輪、腕輪脚輪耳輪ティムポ輪に至るまでの様々な装飾品も身につけたことが
無いのである。
あまり装飾品に興味が無かったというのも勿論あるが、生来の貧乏性で装飾品に金を使う気が
なかったということも事実の何割かを占めているだろう。
ということで、私は結婚前に少々悩むことになったのである。
「指輪をつけて生活するのって、俺、大丈夫なんだろうか?」
普段から指輪に慣れ親しんでいたりする方々からすれば至極些細な悩みに思えるかも知れないが、
今まで一度も指輪をしたことの無い私にとってはとにかく深刻な悩みに思えたのであると
いうことをご理解頂きたい。
妻の人にもこの件を相談しようかと考えて見たりもしたが、うかつな言葉遣いで議論すれば
「指輪をしたくないってことはもれっちとケコーンしたくないってことかにゅっ!?にゅっ!」と
問い詰められかねないとも思えて結局真面目には相談できなかった。
一応、指輪を鎖でネックレスみたいにして首から下げるという案を恐る恐る冗談交じりに打診して
みたりもしたのだが、よくよく考えてみれば私はネックレスもしたことが無いわけで、事情は
指輪と大差無いことに気がつくのであった。

しかし私は努力の人である。
いきなり毎日24時間年がら年中無休で指輪を付けようなどと思うから不安を感じるのであって、
結婚する前にある程度指輪をつけて生活する練習をしておけば良いのではないかと思いついた。
そうである。人間は環境に適応して生きているのである。
結婚指輪でなければ、別段外そうがどうしようが構わないわけで、練習に疲弊したならそれを
外せばよいというだけの話である。
ということで早速知り合いから安く銀の指輪を買うと、それを何かしらの機会を見つけては
はめてみることにした。半年ほど前の話である。
何ヶ月かをかけて、徐々に慣れていく…予定だったのだが、その目論見は初っ端から崩れた。
どうも、私は指輪をすると指の筋を痛めてしまう人のようなのである。
もちろん、指輪のサイズが合わなかったわけではない。
指輪を買い求める際にはその場でサイズを測ってから購入したのだし、それに結婚指輪のそれは
その練習用指輪と同じサイズであるから、そのサイズで慣れなければ意味が無いのである。
どうして指輪で筋が痛むのかは分からなかったが、想像していたよりも指輪というものが
重く感じられていたり、仕事でキーボードを打つ際に指輪というものが結構邪魔になるなぁと
いう感覚がつきまとったり、そうした違和感も何かしら関係しているのかも知れない。
指の筋の痛みといえば些細なコトのように思えるかも知れないが、それが肩こりや疲労感を
誘発するらしく、練習を始めてからはそうしたことにも頭を悩ませる結果となってしまった。
結婚による人生への影響とかそういった至極大切な問題よりも、指輪をしなければならないという
そのことが、重荷に思え始めたのである。

しかし時の流れは無情で、私たちは私の不安を解消しないままに結婚するに至っている。
そして私は今、常時指輪をはめて生活しているのである。
指輪をはめることからくる違和感はいまだに付きまとっている。
だからというわけかどうかは少々微妙かも知れないが、私はどうやら寝ている間に指輪を外して
しまうという器用な習慣を身につけてしまったようである。
朝起きて指輪がはまって無いことに気づくということが結婚してからの2ヶ月間に何度かあった。
大抵はご丁寧に胸ポケットにしまい込んでいるので慌てることは無いのだが、新婚旅行の時、
帰りの飛行機の中で無意識に外してしまっていた時には少々冷や汗をかいたりもした。
飛行機が成田に到着し、私たちが飛行機から降りようと席を立ったとき、座席のシートの上に
コロンと指輪が転がっていたのを見つけたときの、妻の人の怖い顔がいまだに忘れられない。

ともあれ今後、指輪とは長い付き合いになるわけである。
慣れない慣れないとはいえ、いつかは慣れる日もくるだろう。
今はまだだが、しかし以前に比べれば少しづつ肩こりも解消されてきてはいるように思う。
いずれ私が指輪に完全に慣れきったちょうどその頃には、私たちの結婚生活も実り多きものに
なっているのかも知れない。

雨谷の庵は今日も雨。
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管理者:徳田雨窓