雨谷の庵

[0378] ノイシュヴァンシュタイン城 (2003/10/16)


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新婚間抜けドイツ紀行その9。

ノイシュヴァンシュタイン城の着工は1869年、当時のドイツはバイエルンから見ると北東に
位置するプロイセンが、軍事国家として強大になりつつある時期である。
プロイセンはもともとスラブ系の地域だったのが、東フランク王国やザクセン、ポーランドなどの
周辺諸国に代わる代わる制圧され、ブランデンブルク辺境伯領としてドイツ化したようだ。
やがてポーランドによってドイツ騎士団がそこに封ぜられ、後にプロイセン公国となり、
1701年には王国に格上げ。歴代の王に恵まれたこともあり次第に軍事強国として台頭したらしい。

ということで、歴史と伝統のあるバイエルン王国からすると、プロイセンは辺境の新興国に
過ぎない訳であるが、しかし当時すでにバイエルン王国は鉄血宰相ビスマルクを擁し強国化する
プロイセン王国のドイツ統一に呑み込まれ始めていた。
当時のバイエルン国王はルードヴィッヒ2世。
18才の時に王位を継ぎ理想的な国家運営を目指して啓蒙君主的な善政をしいたと言われているが、
即位して間もなく、プロイセンとオーストリアとの戦争に巻き込まれることとなる。
当初は中立的な立場を取ろうとしたルードヴィッヒであったが果たせず、結局はオーストリア側に
組し、プロイセンに敗北することとなる。時にルードヴィッヒ20才。
その後も徐々にプロイセンの勢力は拡大し、1871年にはルードヴィッヒの同意の元でプロイセンの
国王ウィルヘルム1世が初代ドイツ皇帝として戴冠することになる。ルードヴィッヒ25才。
ということで、ルードヴィッヒ2世は即位後数年で、国王とは言うものの実権は無いという状態に
なってしまった訳である。
元々が文人気質であったためか、ルードヴィッヒは次第に現実逃避的な行動を採るようになる。
ルードヴィッヒが特に力を入れたのが築城で、ロココ風の宮殿やビザンチン風の宮殿、中国風の
宮殿などなど次々と計画を立て、それを実行した。
ノイシュヴァンシュタイン城はその中の一つで、中世風の城として計画されたものであるらしい。
着工から王が謎の死を遂げる1886年までの17年間に渡ってノイシュヴァンシュタイン城の工事は
続けられたが、完成したのは城の約3分の1で、残りは未完成のまま今日に至っているという。

ということで、今回の私たちの旅行の目的であるノイシュヴァンシュタイン城である。
作られた経緯が経緯だけに、本物の城とはいえ一種のテーマパークのような趣きさえ感じさせる
この城は、今はもちろん観光名所としてドイツ国内外から観光客が詰め掛けている。
前日に宿泊したフュッセンの街からバスで15分ほど南に走ると、アルプスの麓の小さな町、
ホーエンシュヴァンガウに到着する。
そこから徒歩で30分ほどの場所にノイシュヴァンシュタイン城があるのだが、その道程は結構
急な坂であるので、普通はバスか馬車を利用するのが良いだろう。
ちなみに私たちはマイクロバスに乗り換えて、まずは城の裏側の絶壁に掛かるマリエン橋に向かう
手はずになっているようだった。
ノイシュヴァンシュタイン城は平地にポツンとそそり立った小高い岩山の上に建っているので、
下から見上げただけではその様子があまり良くは分からない。
マリエン橋はその岩山よりも更に高い位置に掛かっているので、城の全貌を眺めるのにちょうど
いいとか、そういうことのようである。ルードヴィッヒも良く利用していたそうだ。
確かに、橋から見下ろす城は絶景。
周囲の谷間の絶壁や、城の向こうに広がる牧場のなだらかな緑とも見事なコントラストを為す
まさに白鳥城の名に恥じない優雅さを、心行くまで堪能できた。
ところが、生憎というかなんというか、その日の天候は雨。
絶壁に掛けられた橋の上は強風と雨とで滑りやすく怖い怖い。
高所恐怖症の妻の人は、寒さに震えながら橋の根元でなにやら必死に目を白黒させていた。

 妻「危ないにょー。死んじゃうにょー。怖いにょー」
 私「写真、撮らないのですか?」
 妻「と、撮って欲しいにょー。でも怖いにょー。ガクガクブルブル」

嗚呼、せっかくの憧れの白鳥城とのツーショットだったわけだが、写真に写った妻の表情は恐怖と
寒さに青ざめていた。

城の中に入ることが出来るのは午前9時以降。
しかも、入るためには事前の予約が必要で、入場時刻も5分刻みで決められてしまうようである。
ちなみに時間内に到着しないと、予約はキャンセルされてしまうのだそうだ。厳格だなドイツ。
今まで色々と古城や宮殿を見てきたので、城の見学には慣れたつもりの私だったが、入城して
すぐにど肝を抜かれることになる。

 私「なんか、鍾乳洞があるんですが、なんすかこれ?」
 妻「うんとね、王様がわざわざ城の中に作らせたらしいにょ」

ヴァカですかルードヴィッヒ?
流石は晩年、自分ちの財政を破綻させかけて国民から基地外認定されてしまうだけのことはある。
それ以外にも豪華絢爛な通路から始まってドーム状の謁見の間やら、贅を尽くした寝室やら、
今まで見てきた城とは格の違う内装の数々である。
もちろんノイシュヴァンシュタイン城が造られた頃はすでに近代化が始まっていた頃でもあるし、
中世のそれよりは遥かに高度な技術が使われているのは当たり前なのだが、それにしても
ルードヴィッヒはちょっとこだわりが行き過ぎているような気がしないではなかった。
ちなみにルードヴィッヒは神話や伝説といった類の物語が大好きだったそうで、勢い余って
当時そうした物語を題材にした歌劇を作曲していたワーグナーの、パトロンにまでなってしまう
ほどの入れ込みようだったらしい。
それが理由だと思うが、城の一番上にはなんとオペラを上演するための大ホールまで用意されて
いる始末である。やりすぎだろルードヴィッヒ。

そうした豪華な部屋部屋を見学した後は、裏側に回って召使の部屋や台所を見学した。
台所の設備も当時の趣のままに残されていて、やはりこちらは当時としては近代的な設備で
整えられているようだった。
他の城に比べて召使の部屋も結構立派で、私だったら是非ともそこに住みたいと思えるくらい、
居心地の良さそうな作りになっていた。
出口の付近に来るとそこはおみやげ物屋と喫茶店に改修されていて、そこでしばらく時間を
潰すことも出来るようだった。
城の観光に掛かる時間は約30分。思えばあっという間の夢巡りであった。

ちなみに、ノイシュヴァンシュタイン城で生活できるまでに城が出来上がったのは1884年頃からで
ルードヴィッヒは生前にのべ172日間、この城に滞在したとのことである。
その間、例の大ホールは一度も演奏会としては使用されなかったらしいので、ルードヴィッヒの
夢は達成されずに終わってしまったのだろうか。
このルードヴィッヒ2世の悲劇的な人生が、ノイシュヴァンシュタイン城をより美しい夢の
城として、人々に記憶させているのかも知れない。

雨谷の庵は今日も雨。
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管理者:徳田雨窓