雨谷の庵

[0375] 宮殿の奥へと向かう (2003/10/07)


[Home]
新婚間抜けドイツ紀行その6。

一夜明けてツアー二日目は、ヴュルツブルクとバンベルクの観光であった。
ヴュルツブツクでは丘の上のマリエンベルク要塞と街中の宮殿(レジデンツ)を見て回った後、
昨夜行き損ねたレストランで昼食をとった。
マリエンベルク要塞はまあ、観光用に整備されているとはいえどちらかというと廃墟っぽい
感じであったが、レジデンツの方は内装が豪華なだけに修復などがきっちり行われていた。
見所は天井に描かれたフラスコ画ということだったが、どうも私が見た感触では取り立てて
素晴らしい作品とも言えないような気がしないではない。
ちなみにレジデンツの天井のフラスコ画は1階と2階では作者が違い、1階の作者よりは2階の
作者の方が明らかに腕が上なのでそこら辺を見比べると面白いだろう。
なお、1階の作者は何度か絵を失敗して領主に追放されてしまったそうなので、さもあらんと
言うべきかも知れない。
まあ、当時のバイエルン地方というのは要するに文化的には田舎で、イタリアからわざわざ
色々な職人や芸術家を呼ばなければこうした内装もまともには仕上がらなかったらしいし、
同時代のイタリアのそれに比べて見劣りするのは仕方ないのかも知れない。
ただ当時のバイエルンの人々は、イタリアよりもトルコや中国といった東方文化の方に、より
憧れ的な心情を抱いていたようで、レジデンツの一番奥、領主の寝室などには妙な中国陶器が
意味も無く飾られていたり、トルコ風の装いに部屋を仕立てていたりもしていた。
個人的に、レジデンツで最も見応えがあったのは白の間と鏡の間だろうか。
鏡の間は壁面全てが金装飾の鏡で豪華絢爛。
一方の白の間は細かな白漆喰の造形だけで一室を飾り立てたシロモノで、あまりに神経を使う
作業を長年に渡って行ったせいか、その製作を担当したイタリア職人は最後に気が狂って
死んでしまったという経緯からして実に素晴らしい逸品である。写真ででも一見の価値有り。

午後は貸切バスでバンベルクに向かい、そこで1時間半ほどの自由行動ということだった。
自由行動とはいうものの、添乗員さんとしては一応回る場所を考えていてくれていたようで、
希望すればそちらについていくことも出来たのだが、私たち二人は別行動を取ることにした。
特にこれといって見たいものがあったというわけでは勿論無かったし、そもそもバンベルクと
いう街自体、着いてみて始めて名前を知ったというような有様だったから、自由に歩けと
言われても途方に暮れる他ないのが実情ではあった。
ただまあ、せっかくだからガイドブックを握り締めて適当に街の雰囲気を楽しもうという
軽い気持ちで、独自行動を採っただけである。
これがまあ、そもそもの間違いだったわけだが。

バンベルクはかつて神聖ローマ帝国の時代は領主司教のお膝元として、また、ドイツ皇帝に
とって所縁のある街として栄えていたらしい。
二度の大戦の戦火に巻き込まれなかったこともあり、その歴史のある様々な建築物が昔の
面影そのままに残っているというのが特徴のようである。
そんな街並みを楽しみながら坂を登っていくと、石畳に埋め尽くされた、ただっ広い広場に
遭遇することになる。
その広場には大聖堂、旧宮殿、新宮殿といった見所が接しており、それらの趣にはちょっと
圧倒されてしまった。
旧宮殿は今は博物館として使われているようだが、新宮殿の方は中庭や建物の中を見学
出来るようだったので、私たちは新宮殿に足を向けることにした。
新宮殿の中庭は薔薇園になっていた。
小高い丘の上にある庭園なので、その端はテラスのような感じになっており、そこから
バンベルクの街並みを一望できるという至れり尽くせりの好立地である。
薔薇園の隅の建物は喫茶店として営業しているらしく、初秋の午後の穏やかな日差しの中で、
のんびりとお茶を楽しむ人々が大勢いた。
宮殿の中は、3.5ユーロで見学できるようだった。
午前中にレジデンツを見たので宮殿はもうご馳走様という気もしたが、自由時間はまだ
1時間近く残っていたし、他に行くあても無いので気軽な気持ちで入ってみることにした。
まあ結果的には、その考えが甘かったわけだが。

中に入ると、少し奥の方に案内された後、少しそこで待っているように指示された。
どうやら宮殿の各部屋には勝手には入れないらしく、ツアーのための係りの人と一緒で
ないと駄目らしいのである。
後で知ったことだが、実はこれはヴュルツブルクのレジデンツでも同じだったらしい。
ヴュルツブルクの方はツアー料金に見学料が予め込みだっただけのようだ。
とにかくそこで待っていると、私たち二人の他に、三人の観光客が案内の人と一緒に
やってきた。
一人は高齢のドイツ人男性、その側に居るのは彼の妻のようだった。
もう一人はアジア系の中年男性で、その老夫婦の知り合いのようであった。
私たち五人は案内の若い女性に連れられて、宮殿の奥へと向かうことになった。
新宮殿も、ヴュルツブルクのそれと同じバロック様式の宮殿らしく、構造はほぼ全く
同じであった。
それぞれの部屋は一直線上に並ぶ扉で行き来が出来、手前の部屋は接客用、奥に行くに従って
貴人(皇帝とか)接客用の部屋、家族の部屋、領主の部屋、領主の寝室といった具合に
配置されているのである。
また、それぞれの部屋の壁際には暖炉があるというのも特徴的だろうか。
暖炉の焚き口は部屋の中にあるのではなく、その壁の向こう側にあり、薪のつぎ足しなどの
作業は裏にある召使用の通路から行えるようになっているのである。なんて便利なんだ。
噂には聞いていたが、バロックの宮殿にはトイレが無い。
勿論、今では観光用ということで召使側の部屋の一部をトイレとして改修しているが、当時は
そんなものも無かったようなのだ。
唯一、領主の部屋にだけ、一見すると机のような形をした便器があったりするのだが、
こういうのを使うのは本当に領主だけだったらしい。他の連中は野グソだ。

さて、そんなこんなで案内してもらっていたのだが、残念ながら案内の女性の解説はドイツ語で、
私たちには意味がさっぱり取れなかった。
ただ、幸いにしてドイツ人男性の方が英語も出来るようで、案内の人の解説内容を英語に訳して
連れのアジア系の男性に話していたので、その中で私が聞き取れたところだけをかいつまんで
日本語に訳し、妻の人に聞かせていたりした。図解するとこうである。

 案内の女性--[ドイツ語]-->ドイツ人男性--[英語]-->(盗み聞き)俺様--[日本語]-->妻

非常に回りくどい経路での情報伝達だっただけに、私の解説がかなり間抜けなことになって
いたことは、おそらくすぐにご想像頂けることだろう。
ちなみに英語に訳していた男性から「英語は分かるのですか?」と聞かれて思わず「small」と
答えてしまった私が、一番間抜けであることは言うまでも無い。そこは「little」だろう俺。
ヘルブレスとかでいんちき英語に頼ってばかりいるとこういうことになる。
その後は、そのドイツ人男性が、どうやら意識してゆっくりと分かりやすく話してくれていた
ようで、私の意図はかろうじて通じていたのだということだけは分かった。くそう。

ところで、そんな間抜けっぷりをのんびりと披露しているうちに、時間がどんどん過ぎて
いることに気がついた。
実はこの新宮殿、見て回る場所が「領主司教の住居」「大司教の間」「皇帝の間」の三つも
あったのである。
ヴュルツブルクのレジデンツは「領主司教の住居」だけだったので、観光時間も短かった。
それが頭にあったので、ここもすぐ終わるだろうとたかをくくっていたのであるが、すでに
そんな私たちの思惑は脆くも崩れ去っていっていた。
最後の間に入る手前で、集合時間まで残りあと5分。
新宮殿から、ツアー仲間の集合場所までは下り坂とはいえ走っても5分かかるから、今すぐにでも
向かわなければ間に合わない。
しかし、そんな事情をどう説明すればいいのだ?
日本語で「やばいよやばいよ。もう時間無いよ」と妻の人が焦りまくっていたが、私が手を
こまねいているうちに、成り行きで奥に入って行くことになってしまった。
一応、それまで、寧に英訳してくれていたドイツ人男性も、私たちの焦った雰囲気を察したのか、
微妙に足早になっている。
とはいうものの、案内の女性は仕事に忠実な性分なのか、自分の解説を頑なに丁寧に話し続けて
いるので、そんなに早くに奥へ進むわけにも行かない。
妻の人は私の横で「もっきゃー、もっきゃー」と混乱気味だったが、しかしそれで時間が
過ぎ去るのを止める事もできない。
集合時間を5分ほど過ぎた頃だろうか。
ようやく私たちは最後の部屋の手前にまで進むことが出来た。異例の早さである。
そこはクローゼットだけの部屋なのだが、なんとも勘違い全開の東洋趣味な造りになっていた。
案内の女性の解説ではその部屋は「中国の間」と呼ばれているのだという。

 妻「違うにょ違うにょ?こんなの中国じゃないにゅー」

思考回路が焼き切れかかった妻の人が、そんな指摘を口走ったところ、それまでじっと黙っていた
アジア系の男性がそれに答えて口を開いた。

 男「ですね。どちらかというとイスラムっぽい」

日本人かよっ。
どうやら私たち夫婦のあまりにも間抜け過ぎる会話は、彼らに筒抜けだったようである。
_| ̄|○ ガックシ

雨谷の庵は今日も雨。
< Back |List| Next >
管理者:徳田雨窓