雨谷の庵

[0365] クラスの男子のケツの穴 (2003/08/20)


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男の度量はケツの穴でキまる。

もう数年前のことになるが、久しぶりに会った高校一年生の時の同級生の話では、
当時の私はいじめられていたのだという。
とは言うものの、実際に私の記憶にそんな状況がメモライズされているかというと実のところ
そんなことは全く無くて、本人はいじめられているとも気付かずにのほほんとした高校生活を
送っていたつもりになっていたようであるから始末が悪い。
言われて思い返してみれば確かに、高校時代の私はクラスの中でもちょっと浮いていたような
気もしないではないが、それは小学校でも中学校でも事情は似たようなものであったから、
本人に自覚が無いとしてもそれは無理からぬ話なのかもしれない。
ちなみにいじめられていた理由について、その同窓の人は「徳田は女の子に妙に人気が
あったからだったと思う」という証言を残してみたりもしているが、それは社交辞令とか
そういうものに類するものであると書き添えておこう。

とはいえ、そんな私にもクラスに数人、いや2、3人かも知れないが、比較的仲の良かった
同級生というものが存在してはいた。
今日はそのことについてちょっとだけ記録に残しておこうと思う。
ちなみに、かなり失礼なことだとは思うが私は彼らの名前を全く覚えていないので、ここでは
仮名のつもりで適当な名前を割り振るが、それがもし偶然にも本名である可能性は無きにしも
あらずということになる。そのときは彼らに詫びるしか無い。

戸田君(仮名)は、親の都合で高校になってから岡山にやってきた、首都圏の人間であった。
首都圏首都圏と書くとなにやら立派なものに見えなくも無いが、実は私が彼の出身を覚えて
いないだけの話であり、それは東京だったのか神奈川だったのか、それとも千葉だったのか
全く定かではないことだけは確かである。
ただ、言葉の訛りの印象からすると埼玉や茨城などよりももっと南寄り、神奈川方面のそれ
だったような気もしないではない。
そんな彼は、新学期早々にクラスからつま弾きに遭ってしまうという不幸な人間であった。
原因は彼の言葉、訛りにあった。
東京の人々から見れば彼の口調が訛っているというわけでは勿論無く、彼のそれは
標準語と呼ばれている方言のイントネーションに非常に忠実ではあった。
ただ、不幸なことに彼が入学した岡山の高校のほとんど全ての生徒は皆、男女を問わず
岡山弁しか話さなかったのである。
そして岡山弁を聞き慣れた彼らからすると、戸田君の訛りはどことなく柔和で、軽薄な
印象を与えるものだったのだ。

 事例)
 戸田君「こんなことするのは良くないと思うんだよね〜」
 岡山弁「こねぇなことぉしょぉたらおえんと思ぅんじゃけぇどのぉ」←女子でもこう言う。

さらに不幸なことに、彼は明るく饒舌な性格だった。頭も良かった。
岡山の人々が聞き慣れないそのイントネーションで、一日中喋り続けた結果、戸田君には
「おかま」のあだ名が進呈されることになってしまったのだった。
彼と私とは不思議と仲が良かったが、そのキッカケは単に出席番号が私の隣だったという
ことに過ぎなかった。

八田君(仮名)は、一年浪人して高校に入学した人物であった。
私の当時の感覚からすると高校に落ちても別に浪人する必要なんて無くて、別の高校に
入ればいいのにとか思っていたりもしたが、八田君は何らかの強い意志でもって自ら
浪人の道を選んだ人のようであった。
そんな彼であるから、勉学への執着は他の生徒のそれの数倍もあるように私には思えた。
彼自身の成績は中の上くらいで別段取り立てて目立つものではなかったが、授業中の態度と
いうか課題への取り組み方というか、そういうものはずば抜けていたようにも思う。
当時私の通っていた高校では、柔道の授業があったりもしたのだが、そこでも彼はひたすら
熱心だった。
あまりに熱心だったので「あいつは男とのスキンシップが好きなんじゃないのか?」という
疑惑がそこはかなく噂され、クラスの男子のケツの穴を恐怖させたものである。
彼は無口な性格で、人付き合いも苦手だったが、それは自分だけが1年年上であるという
引け目のような感覚も手伝ってのものだったと、私は記憶している。
そんな彼と私は何故か仲が良かったが、それは4月生まれで入学時に既に1歳年を
取っていた私を、彼が自分と同じ浪人経験者だと勘違いしたことがキッカケであった
その後、その誤解はすぐに解けたのだが、我々の友情には特に影響は無かった。
ただ、彼の柔道の練習相手は常に私だったことが原因で「八田と徳田はデキている」と
いう恐るべき噂が流布してしまったという話もあったらしいのではあるが。

こうして書いてみると、私は「おかま」の戸田君と「ホモ」の八田君の二人と大抵一緒に
居たような形になるわけで、それはちょっと考えてみると私にも何かしらのそうした
属性を与えられていた可能性が否定できないような気がしてきてみたりもする。
ということは、前述の同窓生の「女の子に妙に人気があった」という発言も、今思い
起こせば「妙に」の部分がやたらと強調されていたような気がしないでもない。
もしかすると、当時のクラスメイトの女子どもは我々三人のヤオイネタで盛り上がって
いたりしたのであろうか。うう、それはイヤだなぁ。
だとすると「いじめられていた」というのもどっちかというと「村八分にされていた」と
いう感じだったのかもしれない。それだと、気付かなくて当然かも。<鈍いから。

ちなみに私へのいじめというのは、ある出来事をキッカケに急に無くなったそうである。
それは何かの宿泊研修での話だという。
私がトイレに大きい方の物体を生産するために入ったのを見た、当時のいじめの主催者たちは、
早速私をからかおうとしたのであるらしい。
その宿泊施設のトイレの鍵はどれも古くがたついていて、ちょっとした力の入れ具合で
簡単に外から開錠できることを、彼らは既に調査済みだったのである。
そのトイレは古めかしい和式の水洗式で、トイレにしゃがむとケツを扉に向けて突き出す
格好となる。
彼らがどういった計画を持っていたのか今となっては知る由もないが、扉を開けて丸ケツ
むき出しの無防備な私を嘲笑おうとでも思っていたのかも知れない。
ともあれ手はず通り、彼らは私の入ったトイレの扉をがたがたと揺らすと勢い良く開け放った。
「おいおい。まだ出しょんじゃぁけぇ、早ぉ閉めんかい」
彼らの眼前で、ケツの穴から例の物体をぶら下げたままの私が、彼らを振り返りもせず
何故か落ち着いた風情でそう言い放ったそうである。
物体に怯んだのか私の落ち着き加減に逆に慌ててしまったのか、彼らは「す、すまんかった」と
言い残して扉を閉めてしまったのだという。
閉める間際に、ぶら下がっていたそのモノはプリプリッという音と共に、落ちたのだそうだ。

彼らは今でもその光景を夢に見て、うなされるそうである。

雨谷の庵は今日も雨。
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管理者:徳田雨窓