雨谷の庵

[0361] 人はどこでも立ち止まる (2003/07/25)


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買えないブタはただのブタ。

前を向いて真っ直ぐに歩き続けることは確かに大事なことではあるのだが、しかしながら少し
ばかりの時間を割いて立ち止まってみるというのも、時には大切な何かを教えてくれる契機に
なる可能性を有しているという観点は否定できない現象の一つではないだろうか。
例えばデパートなどで何を買うというわけでもなくふらふらと売り場を彷徨っていた貴方の
目の前に、ちょっとばかり気になる商品が現れたとしたら、貴方はそこで立ち止まるだろうか。
それとも、そのまま素知らぬ顔で歩き過ぎるのだろうか。
立ち止まるということはそこで一つの何らかの可能性との出会いを選択したことを意味しは
しないだろうか。
逆に、立ち止まらないということは、可能性との出会いの拒絶というよりは、別の可能性との
出会いへの期待を優先させたと見るべきではないだろうか。
このように回りくどい考え方を採用するならば、ある地点で立ち止まるか否かということは、
その人の人生の大半を決定付ける重要な選択の一つであると言うべきなのかも知れない。
人類には、立ち止まる人と立ち止まらない人の二種類しか存在しないのだ。

ここで告白するならば、彼女の人は立ち止まる人である。
彼女の人はどこでも立ち止まる。
いや、むしろ歩いている時間より立ち止まる時間の方が長いのではないかと思われるほどの
立ち止まりっぷりである。
しかも驚くべきことに、彼女の人はその一回一回の立ち止まりのたびごとに、ほぼその時点に
おいて彼女の人が発揮しうるであろう最大なる集中力と、その時点以降に使うべきではないかと
私には思われるありとあらゆる精神力を、そこに注ぎ込んでしまうのである。
今現時点で目の前に提示された可能性に、生き様の全てを賭けてしまう種類の人格であると
でも表現すれば良いのであろうか。
ある意味江戸っ子である。宵越しの銭はびた一文たりとも持ちはしない。

それに比べるならば、私はどちらかと言うと立ち止まらない人である。
いや、世間一般を基準にして再考するならばむしろ私も立ち止まる人の分類に処すべきかも
知れないのだが、何しろ彼女の人が異様なまでの立ち止まりっぷりを発揮し続けるので
私の方はどうやらバランスを取るという意味でも立ち止まらない方向で行動選択を
するようになってきているように思えるのである。
何かに興味をひかれることがあってもそれを後回しにし、後々時間があるときに改めて
それに思いを巡らすという場面が、最近は増えてきたようにも思わないではない。
まあ、もしかするとこれでもいくらかは年寄りになってきたわけだし、人生が守りの局面に
移行しつつあるとかそういうことの一側面として立ち止まりを重視しなくなっただけなのかも
知れないが、そこはそういうことも含めて総量的に話を進めていこうと思う次第ではある。

ある日のことだった。
彼女の人はいつもの通り、突然に立ち止まるのであった。
私にとっては何変わることのない日常的な雑貨屋の店内に過ぎないその場所で、彼女の人は
嬉しさ満面といった表情で、凍りついたかのようにその場から動けなくなってしまっていた。
その手には、なにやら安っぽいつくりのリモコンが握られていた。
リモコンは玩具によく採用されているタイプのもので、有線でその操作対象に電気命令を
送り込む役割を果たす類のそれであった。
リモコンのパネルの表面にはわずかに2つだけの丸いボタンが呈示されており、それらを
押すことで対象物体をコントロールすることを目的としていることは明白だった。
そして、その有線の先には、ぬいぐるみのブタがいた。
名前は、ライトンとかいうブタの様子であった。

彼女の人は目をキラキラと輝かせながら、何度も私の方を振り向き、そしてそれと同じ回数、
ライトンの姿を見つめ返していた。
口の中では意識してか意識せずにか、まるで風邪熱にでも浮かされた病人でもあるかのような
勢いで「ライトンだよライトン。ぶーぶーぶー」というような意味不明の呟きを繰り返している。
そして彼女の人はやがて、リモコンの左のボタンを押すことになる。
うぃーんうぃーんうぃーん
ブタは、怪しげなモーター音を響かせながら、ぎこちない動作で展示スペースの床を前進した。
洗練されたという言葉とはおおよそ無縁の動きで、ブタの短い四本の足は床を這い回るという
表現がぴったりと当てはまりそうな雰囲気を、彼女の人に見せ付けたのだ。
そして、右のボタンも続いて押されることになる。
ぴこっぴこっぴこっ
ブタは、その突き出た鼻を上下にゆすりながら、これまた微妙な電子音を響かせるのであった。

「可愛いっ!ほっすぃいっ!」
制止するまもなく、彼女の人はブタを抱きしめていた。
ブタである。機械仕掛けの、どうしようもないブタなのである。
私から見ればどうということもない安物のブタに過ぎないわけなのだが、何故か彼女の人に
してみると、それは恐ろしく魅力的な逸品であるらしいのだ。
「うぃーんうぃーんうぃーんぴこっぴこっぴこっ、うぃーんうぃーんうぃーんぴこっぴこっぴこっ」
彼女の人はブタを抱きしめながら、今度は自らの口の中でブタの発する音を真似た擬音を
何度も何度も繰り返しつぶやき始めた。

 徳田「買うの?」
 彼女「お金ないない」
 徳田「買おうか?」
 彼女「だめだめだめ」

財布の口を開けかけた私の手を、彼女の人はきっぱりと押し留めた。
彼女の人が言うには、こういうものをいちいち買ってしまっていると、際限が無くなって
しまうのだそうである。
言われてみれば確かにそうで、私も彼女の人がしばしば、こうしたお気に入り商品を握り締めては
その場で凍りついたように悩み続ける姿を見てきているわけである。
1時間につき1回ほどは必ず、そうした場面に出くわすのだ。
そのたびにお金を使っていては、いくらなんでも身が持たないだろう。
「そのうち夢に出てきたら、買うことにすりゅ」
私に聞き取れるか聞き取れないかの微妙に小さな声でそう言うと、彼女の人はようやくそのブタを
元の場所に戻し、何かを振り切るかのようにその場を走り去るのであった。

しかし立ち止まる人の苦難は、終わることが無い。
その走り去った先にあるCD売り場で、彼女の人はまたもやその場に凍りつくことになるのであった。
彼女の人は目をキラキラを輝かせながら、あるCDを両手で握り締めて歌うのであった。
「ちーちちっち、おっぱーい。ぼいんぼいーん」(金色のガッシュ「ちちをもげ」より)

果たして、彼女の人の戦いの結末やいかに。

雨谷の庵は今日も雨。
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管理者:徳田雨窓