雨谷の庵

[0354] 大和撫子伝説の終焉 (2003/06/12)


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Road to our wedding.

そろそろ我々の結婚式も残すところ3ヶ月と迫ってきて、色々と事前の準備やら何やらで週末の
時間を使うことも多くなってきた次第ではある。
目下のところ最大の懸念は招待客への招待状の送付であるが、遅々として進んでいないというのが
本当のところである。
まあ、ボチボチとやりますとも。ボチボチと。

それはともかく。
我々の結婚式は教会式のものを選択した関係上、結婚式もしくは披露宴の場で我々が和装の
花嫁衣裳花婿衣装に袖を通す機会は有り得ない。
有り得ないなどと断言してしまうと少々語弊もあろうかと思いはするのであるが、常識的に考えて
教会式の挙式の中で、我々二人が和装に身を包んでいそいそと現れるという珍妙な光景を
実体化させることには大きなリスクというものがあると考えざるを得ないだろう。
なぜならば今回の式は主に新婦側親族(とはいうものの主に新婦母)の強い希望で行うもので
あることは以前にも書き記した通りであるし、その当本人が、教会の中での和装などというものを
望んでいないであろうコトは火を見るよりも明らかであるからだ。
何度も書くようだが結婚式は新郎新婦の為に行うものであるが、決して新郎新婦のためだけに
行うものではない。
そこには明らかにメインとなる「お客様」が存在し、その意向を無視することは本末転倒な
行為に他ならないのである。

さて、そうは言うものの我々にも己の都合というか、趣味趣向というか、希望要望というものが
存在することは確かである。
そもそも私の彼女の人は色々な衣装を色々な機会に着飾ることを趣味の一つとしているわけで、
というかそういう風に書くとなんだかえらく派手な趣味をお持ちの人間に思えてしまうやも
知れないのでぶっちゃけ気味に表現するならばアニメやゲームのキャラクターのコスプレが
趣味なだけなんであるのだけれども、その彼女からすると、和装というものは非常に興味を
惹かれる存在なのであるという。
その根拠の一つとして彼女の人が挙げるものに、彼女の姿顔立ちというものが大変に和装に
似合うのではないかというものがある。
確かにそれは一見すれば誰しも「そうだろうなぁ」とうなずくこと請け合いの主張であり、
私もそれに異を唱えるつもりは毛頭ない。
ただし、同様に彼女の人にはウェディングドレスという衣装にも非常な憧れがあったことも
単純なる事実以外の何物でもないわけで、今回の挙式を教会式にしたのはそのウェディング
ドレスに対する興味が和装に対する興味を上回った結果だと言っても過言ではない。
ということで、我々が挙式ではウェディングドレスを着たいが、しかし和装も見逃しがたいと
いう状況にあったことを、まずはご理解頂ければ幸いである。

そんな我々にとって幸いなことに、最近は和装写真の撮影というサービスが存在するのである。
さらに幸いなことに、我々が挙式を依頼している業者でも和装撮影のサービスもオプションとして
提供しているとのことであった。
これは利用しない手はないだろうということで、早速そのサービスを利用させて頂くことにした。

一口に和装写真と言っても、それには様々な形態があることはご想像頂けることであろう。
まず新婦の衣装には白無垢と色打掛の二種類があるわけだし、白無垢ならばその模様を、
色打掛ならば更に色合いも選ばなければならない。
また新婦の頭を飾るのが綿帽子なのか角隠しなのかという選択肢もある。
更によくよく考えれば新郎が写真の中に入るのかそれとも新婦の立ち姿だけなのか、それとも
椅子に座った形で写るのか、などなどの細かなことを事前に取り決めておかなければならない。
今回の撮影は言ってみれば我々二人の趣味のようなものであり、それらを選ぶのは我々二人の
好き勝手にさせて頂いた。
色々考えた末、白無垢/角隠しを1枚、色打掛/赤を1枚、色打掛/紫を1枚の計3枚の写真を、
新郎つきの立ち姿で撮ることにした。
ちなみに新郎の衣装には紋付袴の1種類しかなく、私に与えられた選択肢は「写真に写るか
写らないか」の一つだけであったことを一応書き記しておこう。
新郎は写真に写るとき、椅子に座ったりはしないものであるらしい。まあ、そうだろうな。

そんな打ち合わせを事前に一回行い、それと同時に貸し衣装を合わせる都合で我々二人の
体型の採寸をしたりもした。
とにかく私は痩せ細っているわけだし、彼女の人の方もこれまた恐ろしく細身であるので、
和装担当の人々が渋い顔をしていたことは印象的であった。
「当日は、白地のタオルをたくさん持ってきてくださいね」
それはどうしてなのかと担当者に尋ねたところ、痩せ細った人が和装を纏うと、少々貧相に
見えてしまうのであるという。特に男。
そういう場合、タオルなどでお腹のあたりに膨らみを持たせ、ちょっとばかり恰幅を良く
見せるのが写真写り的に良いものであるらしい。
ちなみに私には10枚程度、彼女の人には5枚程度のタオルが必要とのことであった。
俺痩せ過ぎ。
あと、当日新郎はトランクスを履いて来いとのお達しだった。
和装の担当者は皆女性であるので、もっこりパンツは厳禁に願いたしということらしい。
まあ、それは当然そうだろう。

そしていよいよ撮影当日である。
撮影には半日かかるということで、我々は二人そろって仕事を休み、撮影スタジオ入りした。
ただ、我々二人には彼女の人の母の人もついてきたりしていたが、それはまあどちらかというと
我々にとっても好ましいことではあろう。
それはともかく、撮影前にはまずメイクをしなければならない。
新郎のメイクは、眉を整えたりぼさぼさの髪の毛を整えたりと非常に簡単なものであったが、
新婦のそれはそういうわけにはいかない。
私はお化粧についてはまったく無知であるので良くはわからなかったが、肌のベースをそろえたり
若干赤みを添えたりなどなどの様々な対策を小1時間ほどに渡って行っていたようだ。
それに加えて新婦の場合、カツラを頭に載せなければならない。
そういった作業の顛末を、私は彼女の人の母の人とともに見守っていた次第であるが、彼女の人の
母の人にとっては色々と感慨深いものがあった様子である。

 母の人「最近のお化粧はあまり白くしないんですね」
 担当者「ええ。昔は塗りたくってましたけど、今は個々人の特徴を残すのが主流ですね」
 母の人「私のときは真っ白にされたものです」
 担当者「ああ、そうでしょうねぇ。あれは衣装さんからすると、その方が良いんだそうです」
 母の人「そうなんですか」
 担当者「ええ。昔は衣装さんの方が権限が強くて、メイク係の意見は通りませんでしたね」
 母の人「カツラは最近のものはずいぶんと軽くなったんですね」
 担当者「そうですね。以前のものの半分くらいの重さでしょうか」
 母の人「私なんて式の間中、重くて重くて、顔を上げられませんでした」
 担当者「そうみたいですね。まあ、あのうつむき加減がしおらしくて良いという方もいますが」

ああ、こんなところで衝撃の事実が。
和装の結婚式で、新婦が始終うつむき加減になっていたのは、恥ずかしいからでもしおらしい
からでも何でもなく、単にカツラの重さに耐えていただけということのようである。
時々「式のときの母さんはそりゃあもう可愛くて綺麗だった」という発言を世の男性諸氏から
耳にすることがあるが、それもこれも全てはカツラの重さゆえと言うことなのかも知れないのだ。
逆に言えば、しおらしい女房が欲しければ重いカツラを頭に乗っけてしまえばイイという
事でもあるとかそういう結論を採用してしまいたくなるような事実ではないか。
大和撫子の女性らしさは、実はカツラによって構成されていたのだ。
このことから帰納的に考えるならば、外人男性の抱く日本女性に対するイメージのほぼ大半は、
カツラの重みによって支えられているといっても過言ではなくなってしまうのではないか。
カツラが滅びるとき、それは大和撫子伝説の終焉を意味してしまうのである。

などと、くだらないことを考えているうちに、いつの間にか撮影は終わっていましたとさ。
え?肝心の彼女の人の和装姿はどうだったかって?
も、もちろん似合っていたに決まっているじゃあないですか。可愛かったのでありますよ。
ははは。

……早く写真できないかな。

雨谷の庵は今日も雨。
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管理者:徳田雨窓