雨谷の庵

[0350] 赤ちゃんの偉大さ (2003/05/29)


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世の中で何が偉いって、赤ちゃん程偉いものは存在しないのではないかと思ったりもする。

例えば昔ながらのご家庭などで、その家人の皆様方に「貴方のお家で一番偉いのは誰?」と
問いかけてみるならば、大抵の答えとしては「父ちゃん」という答えが返ってくるので
有ろうとは思うのだが、そんな中でもその偉い人であると名指しされるであろう父ちゃん
自身の答えは「母ちゃん」であったりするやも知れぬとこっそりと陰で苦笑いを浮かべて
みてもいいのかも知れないし、しかし世の中にはマザーコンプレックスなる精神状況に
ある父ちゃんも幾ばくながらも確かに存在しうるわけであるから、やはりここは一家で
一番偉いのが「婆ちゃん」となってしまう可能性というものも、比較的大きめに見積って
置く方がリスク分散の観点からすると非常に妥当な姿勢方針であるのかも知れない。

しかし実際問題として、家人の中で最も偉いという比較は所詮にして意味の無いものに
他ならないわけで、そんなことを真剣に考えるのは時間の無駄というか、それともあるいは
おふざけ程度のトピックスとして笑いのさざめきの中に封入しておくのが至極妥当とでも
いっておくべきなのか、まあそういう類のもの以上にはなり得ないことではある。
むしろ、もし真剣な眼差しでもって「ウチでは父ちゃんが一番偉い」などと断言して
譲らないようなお子様が存在するのであれば、それはそれで少々その子の家庭の事情という
ものが外部の我々に取ってみれば比較的平均的な地点とは違うところにあるのか、もしくは
その子の脳の内部世界の何かしらが少々緩んでしまっているのか、それとももしかすると
私自身の心の病が視界をあらぬ次元へと昇華させてしまっているかのいずれかになって
しまうのかも知れないということを、少々時間を費やして考えねばならないところだろう。

それはともかく。
結局のところ、家族の誰が偉いとかそういうことは価値観の違いの問題とかいう常に
身の回りに付きまとう話題に触れざるを得ないわけで、そうしたものごとに出会ってしまった
人々が往々にして採択するであろう結論、即ちそれは家族は皆がそれぞれに偉いのであって
誰が一番だとか、誰それは役に立たないろくでなしであるとか、誰だれちゃんはいつも
家に引き篭もって妖しげなゲームばかりをしているであるとか、誰々は益体も無い物品を
いつも無駄に買い込んできては片付けもしないであるとか、誰かれちゃんは昨日のカレーを
他人よりも大さじ一杯分多く食べたであるとか、アノ子は30を過ぎたのにまだケコーンも
せずに家で屁ばかりこいているであるとか、ソノ子は働きもしないで無駄に贅肉を蓄える
ばかりであるとか、そういうことはどうでもいいのである、とすることが多いのだろう。
そう。どうでもいいのだ。そんなことは。しくしく。

さて、そうこうして色々書き連ねてみると、物事に対して「一番偉い」だの「一番役立たず」
だの「一番カレー的」だの「一番おなら」だのといって、所謂順序のようなものを
つけるためには、話題に参加している人々のみなみながある一定の感情の範囲内で納得感を
得られるだけの、価値基準というものが必要になるであろうことは想像にかたくない。
いってしまえばそんなことは人類が古くから体得してきたいわば常識のような結論であり、
それをいまここで下らない文字列の羅列で再論する必要も無いくらいなのであるが、
まあ、ここはいつも下らないことを書くための場所であることは読者諸賢のみなさまは
既にイヤというほどお分かりなのであろうと思うわけで、ここは一つもうしばらくこの
至極下らない話を続けてみたいと思う次第ではある。

そうこうしているうちに、既に予定している文面の半分以上を費やしてしまっていることに
はたと気付いて今更ながらに慌てふためく私こと徳田ではあるが、そんなこんなでとりあえず
結論からまっ先に述べてしまうならば、やはり赤ちゃんの存在というものは無視できないの
ではないだろうかと、ここで広く世に向って絶叫してみたいと思う次第である。
何しろ赤ちゃんである。
可愛いのだ。
最近、友人知人がケコーンとかケコーンとかケコーンとかを重ねていくうちに、それぞれの
カプールとかカプールとかカプールとかの間に赤ちゃんとか赤ちゃんとか赤ちゃんとかが
生まれ生じてしまったのであるよという話題に非常に事欠かないことになってしまったの
ではあるが、そうした話を聞くにつれて、私は「赤ちゃんこそ最も偉大」という思いを
強くせざるを得ないのである。
そんな赤ちゃんの偉大さの一例には事欠くことすら難しい有様だが、敢えてその中から
ここで取り上げるとすれば、その赤ちゃんによる言語洗脳力というものがあるだろう。
古来、征服民族がしばしば採用してきたように、被征服民族に対して征服民族の言語が
強要されることがあるが、赤ちゃんもまたその戦略を我々に対して強く促す存在である。
「ばぶーばぶー」とにこやかに笑う赤ちゃんに対して、「かわいいでちゅねー」と
思わず赤ちゃん言葉で話し掛けてしまうという経験は誰でもお持ちだろう。
このとき、赤ちゃん即ち征服民族であり、その威光の前に我々人類は無意識のウチに
被征服民族へと没落しきってしまっていると言っても過言では無いのだ。

とまあここまで詳細に検討した結果、赤ちゃんは偉いのである、と私は断言したい。
しかしながら私がこのような主張をすると、決まって「おまえはスーパーロリコンだから
赤ちゃんに萌え萌えで理性を失っているだけだ」などと、あらぬ誹謗中傷を展開し始める輩も
世の中に存在しているかも知れないので、ここではやはり私の論拠とは全く無関係の、
別途の価値観をもって論説を補強しておこうと思う次第である。
私の論拠は人類の長い歴史に基盤を置いた、ある意味壮大かつ人間味溢れる心理学的見地をも
内包した非常に高度な知識体系を駆使したものであったが、ここではより無味乾燥かつ
統計的な手法を新たに付け加えるべきでは無いかという意見に耳を傾けてみたいと思う。

[ググール様の検索結果]
 株式会社赤ちゃん 372件
 株式会社父ちゃん 3件
 株式会社母ちゃん 0件
 株式会社爺ちゃん 0件
 株式会社婆ちゃん 0件
 株式会社兄ちゃん 0件
 株式会社姉ちゃん 0件
 株式会社弟ちゃん 0件
 株式会社妹ちゃん 0件

どうであろうか。これで一目瞭然とすべきではないだろうか。
なにしろ372件である。父ちゃんの3件に比すればその偉大さはいかにも100倍を軽く
凌駕している始末である。
ここでもしかすると貴方は「何故に株式会社?」という素朴な疑問を抱くかも知れないが、
そんな貴方の為に、私は更なる証拠を提示するにやぶさかでは無い。

 有限会社赤ちゃん 16件

有限会社をもってしても、赤ちゃんはこのように偉大なのである。
平伏せ人民ども。

雨谷の庵は今日も雨。
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管理者:徳田雨窓