雨谷の庵

[0344] IDオタクという分類 (2003/04/30)


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RFID的未来の、ちょっとした日常風景。

(物語内でのRFIDに関する前提)
 RFID(Radio Frequency-Identification)とは電波方式認識とも訳される技術である。
 小型化されたコンピュータチップ上に固有のIDのみを保存するメモリと、無線での問合せに
 応答するための仕組みを搭載したもの。電源には無線による誘電を用いるため電池不用。
 可能な応答範囲は1m程度。IDの書き換えは不可。IDの読取装置は名刺サイズ程度のものが
 すでに実用化し、普通に購入可能であるとする。

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言ってみれば、ノリオというのはIDオタクという分類に加えられるべき人物なんだろう。

砂粒のような大きさのRFIDチップが実用化され、その生産コストが1チップ当り5銭以下という
脅威的な低価格化が急激に進んだ結果、世の中という所はIDで埋め尽くされていると言っても
ぜんぜん過言じゃあない。
しかしだからといって、世間一般のボンクラどもがそんなことを気にかけているわけも無く、
大抵の連中はIDがどうやって使われているか全く知りもしない。
「最近はレジでの精算が速くなりましたわねぇ奥さん」だとか「本屋の業務効率が劇的に改善
し、我社の業績は鰻登りであります」だとか、そういう他愛の無い会話の裏側を担うものとして、
RFIDチップはどんどん広まっていってしまったとまあ、そういう事だ。

RFIDタグの普及は元々、万引きに頭を抱えていた小売店の連中が、その防止対策として
使えないものだろうかと実用化の検討を進めたことが発端らしい。
例えば本屋で、一冊一冊の本にそれぞれ固有のIDを持つRFIDタグを貼り付けて、入り口で
IDを監視してみれば良い。
レジを通したIDは「売却済み」としてどこかに登録するとして、監視していたIDの一部に、
売却済みで無いIDを発見したらそれはどう考えたら良いだろう?
まあ取りあえず、そのIDを持ち出そうとした奴を店の奥にご招待して、小一時間問い詰めて
みる価値くらいはあるだろう。万引き対策としては十分だ。
しかし、そんなRFIDの導入を検討していた連中は、この技術の別の可能性に気がついた。
IDと他の情報とを結びつければ、それはとても便利に使えるものだったんだ。

例えば一番すぐに思いつくのは価格情報だろう。
さっきの本屋の例だと、RFIDタグを本に貼るのと一緒に、どの本にどのIDを貼ったのかを
本屋のコンピュータに登録しておくだけでいい。
レジでは客の持ってきた本のIDを読み取って、それをコンピュータに教えてやるわけだ。
あとはコンピュータが勝手に、IDに該当する本の価格をデータベースから読み取って、
それを集計してくれる。面倒だったレジ打ちも、これならほとんど瞬時に終わる。
しかも、どちらにしてもレジではIDを調べて「売却済み」にしなければならないんだから、
ついでにそういうこともしてしまおうっていうのは当然と言えば当然な流れだった。
でもRFIDの利用範囲はそれだけに留まらなかった。
デパートでは、客の購買傾向の情報を蓄積するのにRFIDを利用するようになった。
家電メーカーは食品のパッケージに貼りつけられたIDを読み取ってそれをリストアップ
してくれるような冷蔵庫をすぐに開発したし、音楽レーベルはCDにIDを埋め込んで、
コピー品との見分けがつくようにした。

もちろん、IDということでプライバシーを気にする人もいた。
住民基本台帳の番号の時だって、そういうことを色んな人が口煩く話題にしたぐらいだから、
RFIDにだってそうした論調の批判は起きて当然だろう。
でもそういう批判が世論として定着する前に、RFIDはその便利さ故に、プライバシーに
対する配慮を欠いたまま急速に広まってしまうことになった。
店を出る時点でRFIDタグを破棄すべきだという意見は、タグの家庭利用が普及するにつれて
非現実的な妄言と見なされてしまったし、タグの機能をもう少し複雑にしてセキュリティを
確保すべきだという意見は、コスト的な問題がクリアできないでいるうちに葬り去られた。
一方で、RFIDを推進する側の世論誘導も巧みだったと言うべきかも知れない。
推進側は特に、RFIDタグがIDしか返さないということを強調した。
IDは単なる数字の羅列だから、それからなんらかの情報を得ることは不可能だというわけだ。
もちろん、デパートでの例のようにIDと個人の購買情報を結びつけるコンピュータシステムを
作れば、IDがプライバシー問題に関係してくるかも知れないが、その場合でもデパート側が
適切に個人情報を管理しさえすれば良いだけの話だと、彼らは主張したんだ。
実際、そうした適切な情報管理を義務付ける法律さえ出来たくらいだ。
今では個人情報の不正な取り扱いは懲役モノの犯罪行為以外のなにものでもなくなった。

そうした努力もあって、大抵の人は彼等の主張に納得した。
というよりも、彼等の理詰めの論調に安心して、それ以上は深く考えるのを止めたというのが
正確だろうか。まあ、普通の人にしてみれば便利になりさえすればそれで良かったんだ。
結果として、ありとあらゆるモノにRFIDタグは埋め込まれ、人々はそれを常に大量に
身に着けたまま、呑気な顔をして街をほっつき歩くようになった。
そんな世界では、ノリオのような奴がちょっとだけ得をする。

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ノリオの日課は、通勤ラッシュの電車に乗る事から始まる。
電車の入り口付近の座席に陣取ることができれば、それはノリオにとってラッキーデーだ。
掌サイズの携帯パソコンのUSB端子に、アキバで買ってきたRFID読み取り装置を接続して、
ノリオはにやけ顔で液晶のディスプレイを見詰め続ける。
電車を乗り降りする人並みが動くたびに、ディスプレイには読み取り装置に応答したRFIDタグの
ID一覧がずらずらと並ぶ。
普通の人が見れば、何が楽しいのか皆目見当がつかない代物だが、ノリオにとってのそれは、
娯楽以外の何物でもない。
リストには時折、赤く強調表示されたIDが現れる。ノリオはそれを見つける度に、混雑で
きしむ車内を嬉しそうに見回すのだった。

通勤ラッシュが終わると、ノリオはいつも渋谷で電車を降りる。そこから向かうのは、
いつものデパートの、いつもの下着売り場だ。
そこはノリオのような奴にとって、IDの金鉱みたいなものだった。
鞄の中で起動しているパソコンは、次々と下着に埋め込まれているIDを自動で読み取り、
それをファイルに保存していく。売り場を歩き終える頃には、ノリオのパソコンには下着の
IDのリストが出来あがっているというわけだ。
デパートを出てマンガ喫茶に入ったノリオは、集めたIDのリストを電車の中で使う、
ID読み取りのためのソフトウェアに登録する。ノリオの使っているそのソフトは、
登録済みのIDを見つけると、それを赤く表示するように出来ているのだ。
つまり、通勤ラッシュの時に赤く表示されるIDは、ノリオが過去に収集済みのIDと
いうことであり、それは、ノリオがいつも立ち寄るあの下着売り場で下着を買った人が、
ノリオの傍にいるということを意味していた。
そんなとき、ノリオは一番興奮した。

夕方の通勤ラッシュが終わると、ノリオは自宅に帰ってくる。
そして自宅のデスクトップパソコンを立ち上げると、今日一日かかって収集した、何万個もの
IDを整理する。それを読み取った場所と日時ごとに分けてリストにし、そのデータは
ファイル共有ソフトの公開フォルダ内に配置する。
ノリオと同じ趣味を持つ奴は結構たくさんいるから、ノリオの下着売り場でのリストを
欲しがる奴は一日に数十人程度いる。電車でのリストに興味を持つ奴は少なかったが、
それでも月に何回か、まとめて持って行きたがる奴がいたりもする。
噂だと警察とかは駅周辺に人員を配置して独自にリストを作っているらしいし、もしかすると
ノリオのリストを欲しがっているのも、そういう関係の連中なのかも知れなかった。
ノリオはそうしたことに余り興味は無かったが、知り合いのIDオタクの中には、その類の
仕事を請け負って荒稼ぎしている奴もいた。

ファイル共有ソフトで他人が公開しているリストの中から、欲しいものをダウンロードしながら、
ノリオはつらつらと仲間のWebサイトを巡回していた。仲間の中には、街で見かけたIDについて
色々と調べ、それを日記に仕立てているような物好きな奴もいて、それを読むのもノリオの
楽しみの一つなのだった。
そんな日記の一つに、ノリオは興味を引かれた。今日起きた死亡事件に関する読み物だった。
死亡したのはノリオも知っているB級女優で、現場の状況に不審な点があるため、警察が捜査を
開始しているとのことだった。
そこまでのことは既に週刊誌などのサイトでも読むことの出来る内容だが、そいつの日記からは
驚いたことに、その死亡した女性の持ち物のIDリストへのリンクが張られていた。
どうやらそれは、彼女専門のID追っかけをしていた奴が収集していたもののようだった。
ノリオは狂喜しながらそれをダウンロードし、自分の手持ちリストと照合した。
彼女の数千ものIDの中の幾つかが、ノリオの下着売り場でのリストに見つかった。
しかしそんなことよりもノリオを興奮させたのは、そのIDの全てが、今日のリストの中に
見つかったことだった。
「今日、売り場にあった下着を、彼女が買ったんだろうか?いや、違うな」
ノリオはニヤニヤしながら独り言を口にしていた。
見つかったIDは今日のリストにしか無かったのだ。売り場にあった下着を彼女が買ったので
あれば、そして見つかったIDが売り場の下着のものであるなら、昨日までのある一定期間、
売り場リストにそのIDが含まれていなければおかしい。
しかも彼女のIDは、今日に限って何故か複数あるのだ。
ということは今日、彼女はあの売り場にいたのだろう。ノリオの結論は自然とそうなった。

平日の午前中のデパートといえば人も少なく、IDオタクのノリオにしてみれば非常にノイズの
少ない絶好の環境だが、そういえば今日は珍しくノリオ以外の客がいたような気がする。
はっきりとは覚えていないが、男女の二人連れだったかも知れない。
興味本意で、ノリオは昨日までのリストを元に、今日のリストを洗い直した。
一定期間売り場に存在するIDを下着のそれと仮定して、今日のリストから除外していく。
最後に、死亡した女優のIDを除外すれば出来あがりだ。
リストには売り場の店員の持ち物のそれも含まれるから断言は出来ないが、残ったIDは
死亡した女優の、連れの持ち物のそれである可能性が高い。
そこまでの作業が済んだところで、ノリオは途端に興味を失った。

次の日の朝、テレビのワイドショーでその女優の死亡事件が話題になっていた。
警察は彼女と交際のあった男性を容疑者として取調べ中だという。しかし男性は容疑を一貫して
否認、彼女とは最近、会った事もないと主張しているとのことだった。
「あのリストにこいつのIDが見つかったら、異議有りモノだな」
ぼそぼそとした小さな声でノリオはそう呟くと、いつものように愛用のパソコンを抱え、
いつものように家を出た。

雨谷の庵は今日も雨。
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管理者:徳田雨窓