雨谷の庵

[0319] スーツが流行っている (2002/12/04)


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というか、私も世間的に見ればいい年こいたおっさんなので、スーツの話の一つや二つは
ちゃんちゃんとしてしまったりもするわけである。
ちなみに心の世間ではいまだに10歳くらいのつもりであるが、年齢詐称も20年続けると全く
妄想以外の何物とも言い難くなるとかならないとか、非常に心的に問題ではあるかも知れない。
じゅっちゃいでちゅばぶぅ←それは退化し過ぎ。

それにしても少しだけ思ったりもするのであるが、昔は、といってもほんの10年くらい前の
話に過ぎないのではあるが、私も含めて私の知人友人達の中でスーツを日常的にお召しになって
いたような奴は一人としていなかったような気がしないでもない。
それに比べるとどうか。いまや私の知人友人はおろか私でさえも、毎日毎日ボクラハ鉄板の
如くにスーツばかりを着て日々を過ごすことが当たり前のようになってしまっているようだ。
もしかして最近はスーツが流行っているのだろうか。流行の装いはつまりスーツであると。
10年前といえばちょうど携帯電話が普及し始めた頃でもあり、もしかするとこの未曾有の
スーツ着用ブームというものの裏側には携帯電話の普及に伴う恐るべき実態に影響された、
人々の自己防衛的な精神病理リアリズムを根源とした社会的逃避行動性向がケイオスティックに
反映された結果なのかも知れない。
いかんいかん、どうも前の雑文でのナルシス文体が抜けず、自分自身でも訳の分からないことを
無闇に書き散らしてしまったが、要約すると「携帯電話のせいで皆スーツ」ということである。
そこのところはどうなのであろうか。
私はあまり詳しく無いのであるが、携帯電話といえば電波であるという主張を良く目に
することからして、もしかするとスーツというものは電波に物凄く有効な働きを持っていたり
するのかも知れない。
それは例えば、スーツを着ていれば電波を効率良く受信出来るであるとか、スーツを着ないと
電波を直接受信してしまうとか、もしくは電波に操られているからこそスーツを欲するであるとか
そういった今明かされる衝撃の真実達が、実はこっそりと蔓延し始めたのが10年前であり、
そして今に至ると言う奴であるのかも知れないのである。

そういえば私の今働いている職場では皆一様にスーツを着ていたりするのであるが、これも
全ては電波の為せる技であり、電波だからこそスーツを着なければならないような、そんな
逼迫した事態の只中に私はのうのうと紛れ込んでしまっているのかも知れない。
もしかするとあれであろうか。パソコンも関係しているのであろうか。
電波といえば一時期パソコン画面から照射される電波の人体への影響を取り沙汰する人々が
存在していたような気もしないではないが、ともかくパソコンもいわゆる電波の一部として
世間的には広く認知されているとかいないとかまあどっちでもいいのではあるがそういうことに
なっているようなので、この際私のスーツに関する社会的研究の対象範囲として論理の中に
組みこんでしまおうとかそういう風に思わないではない。
そうして考えてみると、恐ろしいことにパソコンが日本に普及し始めたのは1995年前後、
いわゆるビルゲイツ95とかいうソフトウェアが鳴り物入りで列を為すように売れまくった
頃からであるような気がしないではない。
つまり、パソコンもまた約10年前から人々の生活の端々に組みこまれ始めたということを
この歴史的事実は指し示しているように思われてならないわけである。

この、スーツと携帯電話、パソコンの普及時期の奇妙な一致について、我々人類はいかように
結論付ければよいのであろうか。
そして、そこから導かれる必然的な対策というものは果たして現在我々が保有する科学技術で
実現可能な範囲に収まるものなのであろうか。
もしもそれが到底実現不可能であると結論付けられてしまった場合、無策である人類に
もたらされるであろう恐るべき未来というものは、一体どのようなものなのであろうか。
果たして未来人類の命運は如何に。待て次号。

というのは冗談としても、要するにスーツというものは電波に有効であると結論付けても、
大まかなところに問題は無さそうである。
つまり、10年前に比べて私の友人知人たちがスーツを日常的に着用するようになったのは
ひとえに住環境において携帯電話やパソコンなどといった電波が急増したことを受けての
ものであり、それは人間本来の生存的本能からくる行為であり、結果としてそれは各種電波の
普及と共に社会現象と位置付けられるまでに大規模な現象として広まった、とこういう
ところなのではないだろうか。

ここで改めて私の身の回りを振り返るに、実は私は現時点においてスーツを2着のみしか
保有していないという状況である。
半年前まではなんとその1.5倍もの大量のスーツを保有していたのであるが、以前にも
ここで書き記したように、そのうちの実に33.333%もの量のスーツが突然使用不能な事態に
陥ってしまったのである。
果たしてこの2着というスーツ保有量は、私の保有する電波の量と比較して妥当なものと
断じてしまって良いのであろうか。
実のところ、電波とスーツとの間にあるであろう量的な関係性というものについて私は
浅学にして知見を全く有していないため、これを判断するにはかなりの情報不足であると
言わざるを得ない状況に置かれていると言えよう。
従って実に大雑把な議論しかここでは行うことが出来ないのであるが、あえてその愚を
おかすならば、一つ大きく考慮しなければならないのは携帯電話についての最新状況であろう。
これも以前にここで書き記したが、ちょうど半年ほど前に私は携帯電話なるものを保有し
始めている訳であるから、以前に比べれば私の保有する電波量は非常に増加していると
推論することが可能なのである。
従ってスーツもまたその電波の増加傾向に合わせる形でその量を増加させるべきであったと、
前述した考察の結果からは断定することができそうである。
それに対し、当時の私はその当然の帰結とは逆の状況である、スーツの33.333%減という
突発事態に遭遇してしまったわけであり、これは実に人類として間違った行いに
他ならなかったのではないかと今では反省する毎日を日々送り続けているわけである。
私は迅速に、この危機的状況から脱出を試みる必要があったのである。

要約:スーツ買いました。

雨谷の庵は今日も雨。
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管理者:徳田雨窓