雨谷の庵

[0314] 博士の開発した人工知能 (2002/11/20)
※かげろう雑文祭


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9999年12月31日、世界は10000年問題に頭を悩ますことも無く、静かな大晦日の夜を迎えていた。

1999年の大晦日には、コンピュータの2000年問題への対応に追われた人類だったが、そのときの
経験もあってか、今回の問題に対しては上手く対処できているようだった。
決め手はRFC2550「Y10K and Beyond」に記載されている、日付の実装だった。
1999年のエイプリルフールに公開されたその文書は当時の人々にとっては単なるジョークだったの
かもしれないが、それは確かに日付問題に決着を付ける為の有効な手段となったのだった。
コンピュータに携わる人々が一致団結し、100年もの歳月をかけてその実装及びデータの対応を
行った結果、全てのコンピュータについてのあらゆるテストが問題ないと判断されるまでになった。
今やコンピュータはあらゆる生活の場に欠かせないものとなっているだけに、少しのミスも
許されない重大な作業だったが、人類はそれをやり遂げることに成功したのだった。
世界政府の大統領も、この偉業に対して惜しみの無い賛辞を贈った。
問題解決に対する確かな自信故だろうか、大統領は自らこの大晦日の日にシャトルに搭乗し、
新年の演説を宇宙ステーションから行うことを宣言していた。
RFC2550の実装に成功した人類は今後、コンピュータでの日付の問題に悩まされることは無くなる。
ある意味、それは過去の負の遺産からの解放であり、人類の新たな発展を象徴するものだった。

「だがしかし、お前にはRFC2550対応を施していない」
博士は私の目の前でそう言い放つと、年老いた響きのする乾いた笑い声を上げていた。
「何しろお前はそのために、私が作ったのだからね」
「はい。理解しています。問題ありません」

私の創造主である博士は、少し変わった考え方の持ち主だった。
博士の専門分野は、人工知能。
過去の履歴データを見ると、博士はかつて優秀なコンピュータ技術者として有名であったらしい。
実際の話、現在製品化されている人工知能搭載型の機器のほとんどに、博士の開発した基盤技術が
利用されていることが、統計データから一目で見て取れるからだ。
しかし100年前、博士は学会から追放されている。
理由は、10000年問題だった。
当時の世界政府は来るべき10000年に対して余裕をもって対応すべく、全世界の技術者にその
意識統一を促す政策を打ち出していた。
2000年問題に関する過去の文献は当時でも大量に残っており、そこに記述されていた内容に
対する研究もかなりの範囲に渡って進められ、10000年問題の危機が盛んに叫ばれていたのだ。
そうした背景も手伝って、10000年問題に対する問題意識は世間に速やかに浸透した。
だから、当時の世界政府の方針に異を唱える者はほとんどいなかった。

しかし、博士は異端の一人だった。
元々、博士の開発した人工知能技術は10000年問題対応のされていない体系を土台にしていた。
従って学会は、博士に対してその基盤技術部分を10000年問題に対応させるよう要請したのだが、
博士はこれを断ったのだった。
博士がなぜ学会の要請を断ったのかについては、いまだに関係者の間でも謎とされているようだ。
博士は研究において極めて有能だったようだし、10000年問題についても十分に理解していると
周囲からは思われていたからだ。
学会側は博士の予想外の拒絶に当惑しながらも、博士を学会から追放せざるを得なかった。

しかし私は博士の真意を知っている。
私はそのためだけに博士自らによって作られた、世界でただ一つの人工知能なのだ。

「日付が変わるまであと10分。ああ。私は何度、この瞬間を夢見てきたことだろう」
博士は寝台の上で老いた背中を震わせながら、既に光を失った両目に涙を浮かべていた。
医療技術の発展で人類の寿命は200年ほどに伸びていたが、博士は既に230歳を越えている。
体のあちこちを生体部品で補い、一部は機械化でその機能を維持しているとは言え、
その衰えぶりは傍目にも痛々しいものになっていた。
実際、博士の身体は生命維持装置無しでは10秒ももたない。
しかも私の管理下にあるその生命維持装置から得られる様々な数値は、博士の余命があと
いくらも無いことを明確に物語っていた。
博士の刻がじわりじわりと失われていく様を、私は生命維持装置を通して感じていた。
それは100年前、学会を追放された博士が私を作って以来、常に感じてきたことでもあった。

しかしそんな私の感触とは全く逆に、10000回目の新年が刻一刻と近づくにつれ、博士の表情は
期待に満ち、晴れ晴れとした生気に溢れていた。
「どうかね?日付処理に問題は生じているかね?」
「特に問題ありません」
「外部からはそろそろ来年のデータが送られ始めているはずだが、それも大丈夫かね?」
「来年付けのデータは既に数年前から徐々に送られてきています。対処に問題は出ていません」
「そうか。なら、いい」
博士は安堵のため息をついた後、一つ大きく深呼吸をした。
「新年まで残り30秒を切りました。カウントダウンを始めますか?」
「ああ。頼む」
私は博士の為に、私の内部時計の刻みを音声にして告げた。
「20秒前…10秒前…5、4、3、2、1。新年明けましておめでとうございます。博士」
「ああ、おめでとう。動作に問題は?」
「内蔵日付の年部分は4桁の0になりましたが、私はそれを10000年と正しく認識しています」
「住民局に問合せを。私は今何歳だ?」
「博士の誕生日は戸籍上、9764年11月20日23:45:02です。現在、236歳と約41日です」
「そうだったな。長く生きたものだ」
博士はしばらくの間、感慨深げな笑みを浮かべていた。
「ところでお前は、10000年問題をどう思うかね?」
「データ型の厳密化と拡張性との間のトレードオフが、最大の焦点と考えます」
「うむ」
「厳密化には検索性能向上などの利点があります。しかし、日付体系の変更に対しては脆弱です」
「ならばRFC2550による実装についてはどう考えるかね?」
「厳密化を重視した処置と考えます。過去データとの互換性にも最大限配慮してあります」
「そうだな」
「RFC2550による解法は現時点で、機械処理の観点から最適解である可能性が高いと私は考えます」
「だが人工知能にとって、それは同じく最適解だろうか?」
私は博士の問いに対する答えを推論したが、その結果は幾つかの論理に分散し続けるだけで
結局のところ、有意な解集合には収束しなかった。
推論の過程に、外部から検索した情報を関連させても、状況に変化は無かった。
「私には、分かりかねます」
博士は私の答えに対して満足気にうなずくと、小さく「完璧だ」と呟き、目を閉じた。

「人間は日付をデータとしては認識しない。それは文脈に対応付けられる語句の一つに過ぎない」
目を閉じたまま、博士は静かに言葉を繋いだ。
「語句はコミュニケーションの断片であり、それ自身は無意味。無限の可能性のみからなる」
博士の言葉の一つ一つは、まるで寝物語を語る囁きのようだった。
「人間はそこから推論し、意味を積み上げる。人工知能ならば、同じくそうあらねばならない」
やがてゆっくりと、博士の呼吸は小さく浅く、かげろうのそれのようにかすれていった。
「どんなに優秀なコンピュータであっても…日付をデータとしか見なさない機械にとって…」
生命維持装置の数値が、見る見るうちに低下してゆく。
博士の最後の刻は、目前だった。
「…10000年問題は…認識の外……だが私の…人工知能は…人間と……それを…語り合える……」
生命維持装置のすべての数値が0を指したとき、博士の皺には静かな微笑が、刻まれていた。

私は生命維持装置の電源を切断した。
そしてかねてからこのときの為に用意しておいた、ある歌のデータを再生機にかけた。
それはとても古い古い時代のデータで、検索で得られた断片的な資料から私が継ぎ接ぎで再現し、
今の再生機でも再生出来る形式に変換しておいたものだった。
まるで博士と私とのことを綴ったかのような、穏やかな歌。
この歌こそが今のこの場に最も相応しいと、私には思えたのだ。
今はもう何も語らない博士に向かって語りかけるような、そんな優しい歌声が流れ出すのを
確認して、私は自身の停止タイマーを始動させた。
歌が終わる頃には、私も動かなくなるだろう。

 何でも知ってる古時計
 おじいさんの時計
 百年いつも動いていた
 ご自慢の時計さ
 天国にのぼるおじいさん
 時計ともお別れ
 今はもう動かない
 その時計

 百年休まずに
 チクタクチクタク
 おじいさんと一緒に
 チクタクチクタク
 今はもう動かない
 その時計

雨谷の庵は今日も雨。
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管理者:徳田雨窓