雨谷の庵

[0298] 遭遇確率約15万分の1 (2002/09/20)
※こっそり月見雑文祭


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満月の夜にさまよえば、出会うのはやはり悪魔だろうか。

ありとあらゆる監視モニタには、今日も変わず雨に濡れ続ける、地球の風景が映し出されていた。
長年の間人類によって蓄積されてきた環境の変化のせいだろうか。
今年になってから、世界各地には終わることのない長雨が降り注ぎ続けていた。
団子状に連なった分厚い積乱雲に遮られて太陽の光は地上に届かず、徐々に食糧が不足し始めた。
貧しい者から順に死んでいく。
為す術も無ないままに、降り始めから3年。
地球の人口は早くも3分の1以下になってしまっていた。
そんな中で、私の乗った宇宙船は半ばやけくそ気味に打ち上げられた。
宇宙から地球の天候を観測することで、この長雨への対策を見出すことが出来るかも知れない。
そんな人々の期待は観測が進むにつれてどこかへ吹き飛んでしまったが、そんな状況になっても、
私は当初計画された期日まで宇宙に居続けなければならなかった。
楽しみはたった一つ、地球と繋がった回線を経由するネットゲームだけ。
今となっては無意味と化した天候観測を続けながら、私は有り余る暇をゲームで潰していた。

ゲームの中の今夜は、今の地球では決して見ることの出来ない、美しい満月の夜だった。
システムが作り出した架空の夜空を見上げると、そこには幾つもの丸い輝きが互いを互いで
照らし合いながら浮かんでいた。
青い月メルクリは東の空から昇ったばかり、黄色い月ベヌスは南の水平線上を移動中。
黒い月サルノと赤い月アレスは北西の方向で互いに円弧を描き合い、総てを統べる月ユピテルは
いつもと変わらず天頂で煌々と輝いていた。
このゲームではこれら5つの月がそれぞれ神々を象徴しているという、何処かで見たような
ありきたりの設定になっているようだった。
そして今夜は神々の総てが満月というゲーム時間で言えば百年に1度という珍しい夜だった。
現実世界の1時間はゲームでの1日に相当する。
この世界の1年は1年は五つの月がそれぞれ象徴する5ヶ月間。
1ヶ月は25日間なので、1年は都合125日間になっている。
つまりゲーム内で百年に一度ということは現実世界であれば約520日に一度という換算になる。
ついでに言うならば、今昇ったばかりの青い月メルクリと、もうすぐ沈んでしまうであろう
黒い月サルノとが同時に天空に在るのはゲーム時間で約2時間。
ゲーム内の1日は25時間とされているから、この5つの満月を夜空に一望できるのは、現実の
時間でいえばわずかに5分弱の間の出来事に過ぎないことになるのだ。
遭遇確率約15万分の1のお月見。
この数字的に考えるならば途方も無く神秘的にも思える光景は、しかしそんな理屈勘定を
抜きにしてもあまりに幻想的で、作り物とは分かってはいても思わずうっとりとした恍惚の
境地に踏み込んでしまいそうな、そんな気分を抱かせるに十分な映像表現だと、私には思えた。

ふと気がつくと、私はすすきの咲き乱れる原っぱを歩いていた。
月ばかりを眺め歩いていたからだろうか、気がつかないうちに私は見知らぬエリアに
迷い込んでしまっていたようだった。
そういえば何ヶ月か前からこのゲームの愛好家達が集る情報交換サイトで、仮想世界のもの
とはいえ、この滅多に見られない天空ショーを楽しもうと、すすきの野原でのオンライン集会を
企画していたような気もするが、もしかするとここがその集会場所だったかも知れない。
そう思って私はすすきの穂波の隙間に耳を澄ませてみたが、特にこれといって人の気配が
するような様子は無かった。
ゲームの効果音が時折風の囁きが虫の音を載せて来る他は、すすき達の葉擦れだけがあの夜空の
雄大さを静寂の中に繋ぎとめていた。
集会はもう終わってしまったのだろう。
そんな呑気なことを考えながらすすき野に降り注ぐ十色の月光達を眺ていた私が、その小さな
石版の小さな影に気付いたのは、ちょっとした偶然以外の何物でもなかった。

その石版には文字が刻まれていた。
このゲームはもちろん日本語に対応しているので、その石版に書かれている文字は日本語で
読み取ることが出来た。
『ながめあきみずからふるよつきはてん』
私は注意深くそれを読み上げた。
『眺め秋水から降る夜月は天』とでも、読めばいいのだろうか。
秋の眺めのなか、水面に写る夜空を覗き込むとそれがまるで自分に向かって降り注いで
きているような錯覚に囚われたが、月はやはり天高くにある…。
そんな情景をまぶたの裏に浮かべながら、私は私が、何やら途端に自分が何かの風流人めいた
人物にでもなったような、そんな独り善がりな錯覚に浸ってみたりした。

「それ、僕が書いたんだよ」
背後から幼い声が私を呼びとめたのは、私が石版の文言に見入っていたときのことだった。
振り返ると、そこには2本のうさぎ耳がぴょこぴょこと動き回っていた。
少年型の外見をしたキャラクター。
私は慌てて少年のステータスを確認した。
名前はボーパル。敵性キャラクターではなく、状況は友好的、となっていた。
2本のうさぎ耳は少年の被る帽子に取りつけられており、それは私の知らないアイテムだった。
『うさぎのボーパル』という、五百年以上も昔の古典的な冗談のつもりなのかも知れない。
「ここに置いておけば、あなたが気付いてくれると思ったから」
「私に?」
少年はニコニコと微笑むと、一度だけ首を縦に振った。
そして覗き込むかのようにすすきの草むらから私の目を見上げると、少年は無邪気に口を開いた。
「ねえ。どうして人を殺してはいけないの?」

少年の脈絡無い問いに、私は半年ほど前にこのネットゲーム内で流れた不思議な噂を思い出した。
噂は、ある少年型のキャラクターにまつわる話であった。
その少年は、ゲーム内で他のキャラクターを殺してはいけない理由を問うのだという。
しかし「ネットゲーム内で同時にプレイしている他のキャラクターを殺してはいけない」と
いう暗黙の常識は、究極的にはマナーの問題であり本来それに回答など無い。
従って少年と問答を繰り返した者はいつしかその答えに窮してしまうのだが、そうすると少年は
その相手のキャラクターを殺してしまうのだそうだ。
そして少年にキャラクターを殺されてしまった者は全て、このゲームを止めてしまうのだという。
この話は、私も実際に知り合いの知り合いから聞いたことが有るし、その知り合いの知り合いも
また、彼の知り合いの知り合いからこの話を聞かされたと言っていた。

もしかすると、この少年がそうなのだろうか?
そう思うと、一見無邪気に見えるこの少年の笑顔も、どこかしら作り物めいた趣に見えてくる。
私は少年に対する答えを探しながら、自分の首筋に小さく冷たい汗が流れ落ちるのを感じていた。
噂の中では、キャラクターを殺されてしまったプレイヤーのその後の話は語られていない。
ただ「ゲームを止めてしまう」というだけなのだ。
もしかすると現実にはゲームを止めてしまうのではなく、結果としてゲームを止めざるを
得ないような状況になっているのかもしれない、私にはそれが怖かった。
ゲームを止めざるを得ない状況、例えばこの少年は実はコンピュータウイルスかなにかで、
本当はキャラクターを殺すのではなく、プレイヤーのシステムそのものを破壊してしまう…
そういうことも十分に考えられる。
ゲーム端末のシステムを壊されるだけならまだいいが、現実世界において宇宙船に乗っている私に
とって、船内システムへの外部プログラムの介入そのものが命の危険をはらんでいるだけに、
事は慎重にならざるを得なかった。

私は噛み砕くかのように、言葉を選んだ。
「人を殺してはいけないということの理由は、多分無い」
「でもみんな、殺さないよ?どうして?」
「それは、殺しても得にならないから、かな」
「得になるなら殺すの?」
「だから罰ルールを作って、殺すことが得にならないように工夫するんだと思う」
「罰ルールが無ければ殺すの?」
「うん…そうする人もいるだろうし、そうしない人もいるだろう」
「じゃあ…」
少年の笑顔に、好奇心と喜びとに満ちた色が浮かび上がったような気がした。
「僕があなたを殺してもいい?」
「いや、それは…」
私は口篭もった。
このままではいけない、そういう思いが薄黒い予感となって脳裏を駆け巡っている。
なんとか、この場を切り抜けなければならない。
ゲームの中の出来事とはいえ、私にとっては死活をも左右しかねない事態かも知れないのだ。
しかしそんな緊迫の感情とは裏腹に、私は少年の問いへの次の言葉を探しあぐねていた。
目の前の少年の無邪気さが、次第次第に死の匂いを放つせせら笑いに思え始めていた。
私の心の底の方で後ろ暗い疑心が渦を巻き始め、やがてそれは少年への憎悪にも似た攻撃的な
思いへと、いつしか変化していたのかも知れない。

「…それは、困る」
私は少年の眼差しから視線を下に逸らしながらゆっくりと、しかしはっきりとその言葉を呟いた。
「どうして?」
笑ったままの少年が首を傾げて問うたその瞬間、私は少年に向かって飛び掛った。
「これから私が、君を殺すからだっ!」
無我夢中の叫びを上げながら、私は少年を執拗に、何度も何度も叩きのめした。
少年の顔は笑いを張りつけたまま、何度も何度も私の拳に弾かれた。
やがて私の体力が尽きて息切れが肩を激しく上下させた頃、少年の身体は見るも無残なただの
モノと化していた。
しかし、少年は笑い続けていた。
「せっかく殺してあげようと思ったのに…」
ゲーム上での生命力を失った少年の画像が、徐々に周囲の背景の中に溶け始めていた。
「ああ…月が、沈んでいく」
力無く消えた少年の最後の視線は、西の空に沈み行く黒い月サルノに向けられていたのだろうか。

少年が消えると同時に、私の周囲の映像が歪んだ。
それまで私を取り巻いていたゲームシステムが、何の前触れも無くその動きを止めたのだ。
私の月見の時間は、唐突に終わった。

突然強制的にゲームから放り出された私を、現実世界の殺風景な部屋が出迎えた。
私はすぐさまに船内システムのチェックにとりかかった。
宇宙船自体は正常だった。生命維持にも何ら支障は無さそうだった。
ゲームの中断原因は通信回線の不調かとも思ったが、そういう様子もまた、見当たらなかった。
ひとまず私はホッと胸を撫で下ろした。
恐らく地球に設置されているゲームサーバに何らかの異常が起きたのだろう。
ちょうど定時連絡の時刻でもあったので、私は地球側にこの件を問い合わせるべく、連絡用端末の
電源を入れ、相手先に呼びかけた。
しかし、いくら待っても地球からの応答は返って来なかった。
私の胸の内に、正体の分からない何かぼんやりとした塊が、次第次第に湧き上がってきた。
私はやり場の無い焦りのようなものに駆られるがまま、宇宙船のシステムの全能力を使って地球の
様子をモニタさせてみた。
地球が、滅びていた。
いったい何が起きたのか、それは全く分からなかった。
モニタに次々と映し出されてゆく、地球上のありとあらゆる土地の上に、荒々しい破壊の痕が
無残な様相のまま、永遠に降りしきる雨に晒されていた。
私の脳裏を、先程のゲーム内で出会った少年の、あの嫌な笑顔が横切った。
『せっかく殺してあげようと思ったのに…』
少年の台詞が恩着せがましく、私の脳裏で繰り返されていた。
そして私はようやく、あの石版に書かれていた言葉の、本当の意味を理解した。

『長雨飽き 自ら古世 尽き果てん』

雨谷の庵は今日も雨。月も地球も変わることなく、やっぱり丸かった。

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管理者:徳田雨窓