雨谷の庵

[0289] 御老公は悠然と椅子に (2002/07/31)


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ご老公とわたくし。

そもそも理解に苦しむことの一つに、虫嫌いの人々というものがある。
何の事は無い、たかが虫のことに過ぎないのだが、彼らはそれをまるで悪魔か妖怪かのごとくに
扱い、そして恐怖するのである。
何を一体そんなに恐れているのか皆目見当すらつきかねるのであるが、まあ、彼らが怖い怖いと
言うからには彼らにとっては恐るべき存在なのに他ならないのであろう。
虫嫌いの人々の中には蚊ですら叩くことが出来ないほどに虫を毛嫌いしている人々も
居ると聞くが、一体そのような人々は、今までどのようにしてこの虫に満ち満ちた世界を
生きぬいて来たのであろうかと、時々不思議に思わないでも無い。
確かに虫というのは他の生物に比べていかにも機械的に見える形態をしているし、脱皮したり
幼虫だったりさなぎだったりと、その生き様というかなんというかそれらの色々な生態において
不可解極まりないことになっていたりもするわけであるが。
魚類から両生類、爬虫類、そして鳥類哺乳類人類に至るまでの所謂進化の流れの中からみても
虫というのはどうにも傍流というか裏進化というか、一説によるとアレは宇宙生物の遺伝子が
地球生物に混入して出来た結果であろうなどとまことしやかに言いふらす輩もいるようであるが
ともかく虫というのは我々人類からするとかなりかけ離れているように見えるわけで、そこら辺の
事情が、それらを生理的に受け入れ難く思う人々の存在につながっているのかも知れない。

それはともかく。
一方、私はというと虫が苦手などということは一切に無い。むしろ得意分野である。
一説によると私は幼少の頃から虫というあらゆる虫が好きだったそうで、小学生の低学年の
頃までは自身のことを「将来のノーベル昆虫賞科学者」とまで詐称していたという噂もある。
これは恐らく小さい頃に読んだファーブル昆虫記なりシートン動物記なりの影響を受けての
ことだろうとは思うが、まあともかく、虫に対して並々ならぬ興味を抱いていたらしいという
話はそれとなく祖母や母から聞かされていたりもする次第である。
それにしてもノーベル賞に、昆虫賞というものが存在するのかどうかは寡聞にして知らない。
ここら辺はやはり小生意気な餓鬼んちょの考えることであるから、おそらく生物学賞かなにかを
勘違いして詐称していたのであろうとは思うのだが。

それはともかく。
虫嫌いの人々が最も毛嫌いしている虫と言えばやはり、Gであろう。
Gである。Gなのだ。
Gといえばつまりそれはその名前を口にすることも憚られるあの黒くてつやつやとした照り返しを
放つ、例の虫のことである。
俊敏にして静寂、勇猛にして繊細。
そうした数々の生存特性を備えたGは、結構な数の人々から畏怖の念をもって迎えられているで
あろうことは、恐らくここを読んでおられる方々の大半が認識しておられることでは無いかとも
思わないでは無い。
まあ、ぶっちゃけた話がゴキブリですが。まあ、それはそれとして。
ちなみに私は過去にここで書いたこともある通り、そのGなどに恐怖したりはしない。
何しろ素手でGを捕獲し、排除することすら可能なのである。
かつては空き瓶一杯に多数のGを捕獲し、それをクラスの女子の人々に見せびらかして嬌声を
浴びまくったという華々しい過去すら経験したものである。
後にも先にも、私が女子の人々からキャーキャー言われたのはその時だけだったような気も
しないではないが、ここをいつもお読みのはずの読者諸賢がそういった細かいことを
気にするはずもないだろうと思ったりもするので、私も気にしないことにしようと思う。

それはともかく。
以上書き綴ったように、とにかく対G特性ということだけに関して言えば、私の才能というものは
世間一般の常識的レベルに比して非常に卓越したものがあると言わざるを得ないわけであるが、
しかし最近、そんな私の自惚れっぷりを微塵に打ち砕かんとするような出来事があったので
それを記念してここにそのあらましを記しておきたいと思う。

それはある夏の、まだ蒸し暑い夕方の出来事だった。
彼女の人の実家に遊びに行っていた私の耳に、彼女の人の小さな悲鳴が響いたのは、
私がそろそろ帰宅の途に着こうと荷物を取りまとめていた頃であっただろうか。
震えるような声で怯え気味に天井を指差す彼女の人、その視線の先には何と、Gがいた。
Gは、まるで忍者ででもあるかのように、天井に逆さにへばりついたまま、コソコソと
這い回っていたのである。
周囲に、緊張が走った。
何しろ天井のGである。
不用意に殺虫剤を吹きかければ、Gはその頭上に落ちてきてしまうだろう。
スリッパか何かで殲滅しようにも、天井にへばりついたGに対しては今一つ有効さに欠ける。
もちろん、かつて何匹ものGを闇に葬り去ってきた私のこのゴッドハンドが、
天井に届くはずも無い。
一同は警戒を緩めることなく、Gが壁際かどこかに移動するのを待った。
しかし、そんな緊張感で張り詰めた場の中にあって、悠々とした態度を維持している者が、
一人だけいた。
そう。仮にその御方をここでは御老公と呼称しよう。
御老公は悠然と椅子に座ったまま、TVを見つめ続けていた。
TVでは御老公の大好きなミノモンタとかいう芸能人が、面白おかしく健康について考察して
いたりしている。
その時の御老公にとってみれば、たかがGなどミノモンタに比べれば些細な問題に過ぎなかったの
かも知れない。
しかしそんな事情を気にしないのがGである。
何故か天井のGは、緊張に身構える私達ではなく、TVのミノモンタの話術に魅惑され続けて
いる御老公の頭上に向かって、ダッシュし始めたのである。
我々は焦った。
彼女の人が叫ぶ。
「お父さん、Gがっ!Gがっ!」
彼女の人の母の人も叫ぶ。
「あなた、そっちに行ったわよ」
しかし御老公は動じなかった。
「お前ら、ゴキブリ如きで騒ぎ過ぎだぞ。なんだよ、単なる虫じゃあないか」
御老公は妙に騒ぎ立てる我々を、やはり落ち着いた声でたしなめると、引き続きTV画面の中の
ミノモンタに向き直るのであった。

そしてGは御老公の頭上に到達した。
そして運命の悪戯だろうか、Gは何故にか天井から足を滑らせた。
そして我々は今、地球に重力があるということを改めて実感することになったのである。
ごめんなさい御老公。貴方の勝ちで良いです。

教訓:虫ぐらいで騒いではいけない。

雨谷の庵は今日も雨。
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管理者:徳田雨窓