雨谷の庵

[0283] 呼称の対称性が悪い (2002/07/01)


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せめて「徳田さん」ということでどうか。>私信

他人をどのような名称で呼ぶかということは、非常に重要なことである。
それは自分とその対象となる相手との関係を、第三者に対して明確に示唆すると共に、
互いの認識がどういったものであるかを再確認するための基点ともなりうるわけで、
言ってしまえばコミュニケーションというものの最初の一歩というかまあ、そういうものと
考えてもあながち的外れなものでは無いのではないかと思う次第である。
時々話題に出るものの中に、恋人同志もしくは夫婦の間で彼らがどのように互いを
呼称しているかというものがあるが、そうしたものに関心が及ぶという事自体、この
呼称というものの重要性を如実に示しているとは言えないであろうか。

先日のことである。
久しぶりに友人知人と集まる機会があったのであるが、その席上で、私と私の彼女の人との
間の呼称に関する話題が取り上げられることがあった。
実のところ、その時の同席者はいわゆる私の競馬仲間であり、要するにこの雑文にしばしば
登場するところの桧山某、谷川某、垣ノ木某の3名であった。
これらの人々は既にして私と私の彼女の人との会話を眼前で聞く機会を得ており、その会話に
おける我々二人の呼称について、以下のような感想を抱いていたのであるらしい。
「なんでお前ら、ハンドル名で呼び合ってますか?」
至言である。
要するにこういうことであるらしい。
私はネットの上では「徳田」という名前を使っているが、これは以前にも述べたとおり単なる
ハンドル名であり、本名では無い。
しかし私の彼女の人は私と知り合ったのがネット関連だったということもあり、私のことを
「徳田さん」と呼んでいるのである。
私の方も事情は同じで、私もまた、彼女の人をハンドル名で呼んでいるという次第である。
この状況が、彼らにとっては少々奇異に思えたとかそういうことだったらしいのである。

ちなみに既に結婚している桧山某は、妻の人とファーストネームで呼び合っているとの
ことであった。
新婚ほやほやということでもあり、何やら初々しい雰囲気満載であるが、これもそのうち
子供ができればパパ、ママ、といった呼称に変化するのではないかということであった。
ところで私がちょっと驚いたのは谷川某とその彼女の人の呼称であろうか。
なんと、彼らは互いを苗字で呼び捨てにし合っているとの事であった。
要するに谷川某は「谷川っ!」といった感じに、彼女の人から呼び捨てにされて
いるらしいのだ。

 徳田 「お前ら、それ結婚した後どうすんだよ」
 桧山 「結婚しても、互いに苗字で呼び捨てか?」
 垣ノ木「そしたらどっちも『谷川っ!』だな」
 徳田 「それ、区別つかねぇし」

こうした我々の当然至極の疑問に対し、谷川某の回答は「まだ考えて無い」という歯切れの
悪いものだった。谷川夫妻の呼称問題は、しばらく解決を見そうにも無い。

こうした例をわざわざ取り上げるまでも無く、同姓同志の呼称というものは実に難しい。
古くは小学校の頃、クラスに同姓の人物が複数存在した場合に始まる、由々しき問題でもある。
大抵の場合、名前の方が別であるのでそちらの方を用いて区別をつけたり、その人固有の渾名で
もって呼び分けたりしていたのでは無いだろうか。
これと同じ問題のようでも、兄弟同志の場合には事情が異なってくるのかも知れない。
私の場合、昔は互いに名前の略称で呼び合っていたような気もしないではないが、今では専ら
弟のこともハンドル名で呼んでいたりする。
これにはちょっとした理由もある。
お互いを呼ぶ分にはお互いの名前ででも十分に機能するのであるが、これが第三者からの呼称でも
同様に機能するかというと、そうでは無いからである。
例えば、私の知人友人は私のことを「徳田」と呼び弟のことを「徳田の弟くん」と呼ぶのに対し、
逆に弟の知人友人は弟のことを「徳田」と呼び私のことを「徳田のお兄さん」と呼ぶからである。
要するに、互いの知人友人の間の会話での、呼称の対称性が悪いのだ。
互いの知人友人の会話の中で閉じている分には問題無いが、これが互いの友人知人が交じり合った
場で、ということになると始末が悪い。
必然的にその場には「徳田の弟くん」「徳田のお兄さん」「徳田」という3つの呼称が
乱れ飛ぶことになり、この中で「徳田」というのが一体誰の事なのかが全く分からなくなって
しまうのだ。
その場にもしも「徳田」宛の電話がかかってこようものなら、混乱は更に助長されてしまい、
一体どちらの徳田が電話に出て良いものやら分からなくなってしまうであろう。

こうした非常に論理的な考察のもとに私は弟のこともハンドル名で呼称して居る次第である。
更に、私は同僚や目下の人の呼称には「師匠」という接尾語を付けて呼ぶ性癖がある。
例えば桧山某のことは「桧山師匠」と呼ぶし、谷川某のことは「谷川師匠」と呼んでいる。
ちなみに目上の人々にこの「師匠」は付かず、単に「さん」付けで呼んでいたりもする。
このルール付けに基づき、私は弟の呼称にも「師匠」を付けて呼んで居る次第である。
最初はこの「ハンドル名+師匠」という呼び方に違和感を覚えていた知人も居たが、今では
すっかり慣れ親しんでいる様子である。
一方、弟の方はというと、彼もまた私と同じく会話での呼称の混乱を疎ましく思って
いたらしく、最近は私のことをハンドル名で呼び始めている次第である。
かくして私と私の弟は、互いを互いのハンドル名で呼び合うという傍目にはちょっと奇妙にも
思える会話を、知人友人の前で繰り広げる仲となっていたりするのであった。

ということもあるから、別にどうでも良いのであるが、垣ノ木師匠。
兄のことを「徳田っち」と可愛げに呼ぶのは流石にどうかと思う。
あと、師匠のサイトの中で私のことを「橋の下に蓑虫のように吊されていたところを
拾われたはずの兄上」とか書くのはどうにかなりませんか。
いや、母上が私のことをそう言っていたのは単なる事実ということで良いんですが。
何卒。

雨谷の庵は今日も雨。
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管理者:徳田雨窓