雨谷の庵

[0266] みんな消えてしまう (2002/04/22)
※みんな消えてしまう雑文連鎖


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記憶力が凄過ぎて気が狂ってしまう人がいるということはお話として何度か聞いたことが
あるけれど、確かに忘れるということは優れた能力の一つなんだと思う。

私の記憶力というものは実に間が抜けている事でちょっと身内の間で有名で、しばしばその
おとぼけぶりは家族や周囲の知人を呆れ返らせる事があったりもする。
もちろんそれはお酒を頂いた際の記憶ぶっとびとはまた別の現象についての話で、お酒での
記憶ぶっとびの方はそれはそれでまた色々と周辺の人々を呆れ返らせてはいるのだが、
それを語り始めると話が延々と横道に逸れまくるので今日のところは勘弁してやる事にしたい。
それはともかく。
例えば私が小学生か中学生だった頃、まだ父が元気で車を長時間運転しても全然平気だった頃、
私の家族は毎年夏になると一家で連れ立ってあちらこちらに旅行に行っていたものだった。
父と母のどちらが旅行好きであったのかは今となっては知るよしもないが、ともかく私は
家族全員でのその旅行を毎年のように楽しみにしていたように記憶している。
旅行は主に自動車でのもので、年によって行く場所を定めたのち、高速道路をフル活用して
目的地を目指し、そこで2〜3泊するという形式が多かったらしい。
父も母も学校関係の仕事に就いていたので夏休みは児童生徒学生の類と同程度に長かったし、
その頃はいずれの祖父母もまだまだ元気で父と母のフットワークも軽かったから、そういう事が
習慣として成り立つことが出来ていたのかも知れない。

ところが、そんな楽しいはずの記憶も私の脳味噌はろくろく覚えておけないものだったらしい。
私のそういう忘れっぽい性格というものを、父と母は何気に早くから気付いていたようだった。
というのも一度以前に連れてきたはずの場所で、両親が私に以前来た時の思い出を話すと、
大抵の場合私は次のように答えていたのだという。
「え?そんなことあったっけ?知らない」
不審に思った両親は私に折りに触れて旅行の思い出話をしてくれていたらしいのであるが、
不思議なことに私はほとんどの旅行について何も覚えていないことが多かったようだ。
京都奈良、飛騨高山、箱根、大台ケ原、尾瀬、大山、剣山、鳴門、淡路。
そう言えばそんな所に行ったような気がしないでもないのだが、詳しいことは実際のところ、
何も覚えていない。
旅行が習慣化していた年数を考えると上記の場所以外にももっと色々な場所に行っているはず
なのだが、それらは私の記憶にとって名前すら思い浮かばない見知らぬ土地でしかないようだ。
今でも思い出せる記憶といえば山道で迷子になって夕方の薄暗い3時間を独りきりで歩いて
いたことだとか、山頂と山頂とを結ぶ狭く切り立った尾根を霧靄に囲まれながら縦走したこと
だとか、そういうちょっとばかり身の危険を感じた時の事ばかりで、家族全員で山小屋で
豚汁を食べたことだとか、高原の貸しペンションで花火をしたことだとかいった楽しいはずの
思い出の方は事実として聞かされてはいても、てんで記憶に蘇って来なかったりするのだ。
そう言えば道に迷ったのは尾瀬での出来事だったような気もするが、尾瀬のような人里離れた
場所で子供一人が迷子になって、よくもまあ無事でいられたものだとつくづく思わないでも
ないが、それはまた別の話なのだろう。

そんな間の抜けた私の記憶力について、父は別段気にもしていなかったようだった。
むしろ旅行のことを覚えていない私の性格に苛立ったのは母で、ことあるごとにその話を
持ち出しては「旅行に連れて行ってもどうせ覚えてないんだから行った甲斐がない」と
いうような愚痴を聞かされることもしばしばだった。
そう言えば高校の時の修学旅行は飛騨高山だったのだが、その出発前に私が「飛騨って
どんなところなのかなぁ」というようなことを言ったとき母は悲しそうな顔で、かつて
家族全員で飛騨高山を旅行したことを話してくれたりもした。
その時もやはり私は何も思い出せなかったようで、二度目のはずの飛騨高山は高校生の頃の私に
とって初めて目にする光景で溢れ返っていたようにも思う。
まあ、今となってはその修学旅行の記憶も薄れ切ってしまっており、実のところ本当に高校の
時に飛騨高山へ行ったことがあったのかどうかも自信がないというのが本音ではある。
私の旅行の記憶というものは、このようにしてみんな消えてしまうものであるらしい。

そんな、私にとっては全然身に覚えのない事ばかりの家族旅行だが、それでも楽しい
イベントであったことには変わりがない。
記憶には残っていなくとも、そうしたことで得た経験は、今でも私の行動にかなりの影響を
残しているに違いないだろう。それがどういう影響なのかは分からないが。
その家族旅行は、私が高校生の頃にはもう止めていたようだ。
一つには父が長年患っていた病気が悪化し、長時間の旅程には体が耐えられなくなって
いたことがある。
私が大学生になった頃にはその病気の進行は目に見えて進んでしまっていて、旅行どころか
日常の仕事にも差し障りが出始めていた。
晩年は休職して家にいることが多かった父だが、いつかまた元気になったら、家族全員で
北海道などに行ってみたいというようなことを言っていたように思う。
何故北海道なのかと聞いたこともあったが、父は微笑んだまま何も言わなかった。
父が最後の旅路に着いたのはそれから間もなくのことだったかも知れない。
そして今でも、私は北海道には行ったことが無い。

父の没後の2、3年間、母は旅行を全くしなかった。
旅行に行くと、その車中や宿中で楽しかったあの頃を思い出しそうになるからだということを、
いつかの時に漏らしていたことを覚えている。
それでもやはり記憶というものは薄れ行くものなのだろうか。
母の場合は辛い思い出よりも楽しかったひとときの記憶がより鮮明であったのか、数年後には
またあちらこちらを旅行するようになっていた。
その頃には私も就職して実家を離れていたし、母は一人で旅行することが多かったようだ。
冬の南アルプスに登った話や、とうとうスイスにまで行ってきた話など、時折母から送られて
くるメールには、旅行先でのちょっとした失敗談などが綴られていることが多いかも知れない。
そういえば一度、母が旅行に出かける際、旅行鞄の奥底の辺りに一つの小さな白い木箱を
大切そうにしまいこむ姿を見かけたことがある。
私がその木箱のことを尋ねると、母は少しだけ寂しそうな顔をして話してくれた。

母は、旅行に行く先々で、父の遺骨の粉末を少しづつ蒔いているのだと言う。

雨谷の庵は今日も雨。
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管理者:徳田雨窓