雨谷の庵

[0242] 神が降臨したという経緯 (2002/01/28)


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神だけに落ちは無い。

先日風邪を引いて寝込んだ後、2日ぶりに会社に出勤してみると
なんだか妙なことになっていた。
どうも、同僚たちの私を見る目が笑っているような気がするのである。
自意識過剰と言い切ってしまえばそれはそれで問題無いという気もしないではないが、
実際に私の席の周囲ではクスクスという含み笑いのようなものも聞こえて来ているような
気がするので、どうも私の気のせいばかりとも言えない雰囲気に思えてならない。
そういうことで、久しぶりの職場での微妙な立場に首を傾げるばかりの私であったが、
そんな私の疑問はすぐさまに解決するのであった。
仕事を始めようとしてパソコンの電源を入れた私に、課長が近づいて来てこう言ったのである。
「よう、神様。調子はどうだい」
どうやら私は、神様だったらしい。

私の独自の情報網による緻密な社内調査の結果、どうやら私が神様になったのは風邪を引いて
寝込む前日の夜であったらしい。
その日は会社の新年会で、社長だの常務だの専務だのといったお偉い人々にも御同席頂いた
社員一同そろっての酒宴がまことしめやかに執り行われた次第である。
例によって私はお酒ということになるとどうも自制心というもののタガというか枠組みというか
そうした社会人としての当然あるべき姿のようなものが欠落してしまう様で、いやいやもちろん
元々社会人としては少しばかり色々と欠落していることは分かっているのだが、それでも
お酒に関しては少々反省することの多い人生を今までもそしてこれからも送ってしまって
いるのに違いないとは以前からおぼろげながらに理解しようと努めていたりもする。
努めるだけだが。
それはともかくそうしたまあ、いわゆる宿命というか運命というか前世から定められた
アトランティックな行動原理に基づいたのかどうかは分からないが、その宴会の席での私の
記憶というものはものの見事に半分くらいしかない。
もちろん前半までの色々な会話なり社長のご高説であったりとかいうものは覚えているので
あるが、後半というか後ろ半分というか宴もたけなわな頃というか、そうした所謂世間一般で
いうところのクライマックスみたいなものの箇所の記憶はすっぱりと無くなってしまっている。
不思議なことはあるもので、確か宴会場の入り口で受付のお姉様にビンゴゲームのためのあの
数字の並んだ紙きれを手渡されたはずなのであるが、そのビンゴゲームを行なったという
記憶も無い。多分ビンゴゲームは中止になったのだろう。

で。
私がこれまでに入手した情報を総合的に検討した結果から考えると、その私にとって空白で
あった時間帯に、あろうことか部署ごとの新年の挨拶というイベントが行なわれていたと
いうことのようなのである。
それは部署ごとの今年の抱負とかいうものを各部の部長が述べるのと併せて、止せばいいのに
その部署の名物男に何か一言挨拶をさせるという暴挙であったらしい。
ちなみにウチの部署では何故か私が名物男ということで一言挨拶をしたらしいのである。
平凡なことで右に出る者は無いと自負しまくっている私のことであるから、そのような
場において名物呼ばわりされるような覚えは全く無いのであるが、まあ恐らく挨拶するのを
嫌がった当部の名物連中が酩酊状態の私を無理やり舞台に担ぎ上げ、急遽私が名物として
でっち上げたに違いないとかそういうことだろう。
そして私に神が降臨してしまったというわけである。

さて問題はここからである。
神が降臨したという経緯については分かったものの、その肝心のどんな神が降臨したのかに
関する情報が全く入手出来ないのである。
誰に聞いてもケラケラと笑われるばかりで、その名物男挨拶の壇上に立った私が、どのような
発言を行なったのか、そしてそれが何故神の降臨として崇められるようになったのか、
それらのことを私に語り聞かせようという志を持つ者がいない様子なのである。
であるからして、私はその様子についていくつかの仮説を立てて検証することにした。

 仮説A:
 やはり神というからには素晴らしく有意義な演説をしたと考えるのが自然であろう。
 常日頃からくだらないことばかりを考えている私のことであるから、そういう壇上では
 むしろ真面目で真摯な演説をしたと考えても不自然ではない。
 となると当然、私の周囲の人々は私に対して尊敬と畏怖の念を込めた視線を送って
 いるはずであるが・・・どうやらそうでもないらしい。
 よって仮説Aは否定される。

 仮説B:
 昔から神業という言葉もある通り、人は素晴らしい技術を目の当たりにするとそれを神の
 為せる業になぞらえる習性を持っているものだ。
 つまり、あの夜の私は恐らく神業と呼ぶに相応しい芸当を披露したに違い無い。
 もし私が披露するとすれば常日頃から精進に明け暮れている同人関連の業以外、
 私には思い当るところは無いのであるが・・・まだ会社をクビになっていないところを
 見ると、どうもそういうことではないようだ。
 よって仮説Bは否定される。

 仮説C:
 神といえば預言という言葉が思い浮かぶものである。
 人の愚鈍なる見識で未来を見通すことは出来ないが、神なる身であれば全ては紡がれる
 糸のままに織り成される必然の連続でしかないのだろう。
 ということから考えるに私はあの席で将来を左右するような大予言を言い放ったのでは
 ないだろうか。
 しかし予言というものは後になってその真偽が判明するものであり、まだ3日と
 経過していない今現在において、私の予言が崇め奉られているというのは少々おかしい。
 よって仮説Cは否定される。

「徳田君、ちょっといいかね」
不意に、仮説の検証作業に追われている私を呼ぶ声がした。
見れば部長が何やら苦虫を噛み潰したような眼差しで、私を手招きしているではないか。
部長といえばあの宴会の壇上で、私による神の奇跡をもっとも間近で目撃したはずの
張本人である。
さぞかし神の偉大さに敬服しているかと思いきや、どうもそういう様子ではない。
なんというかその、いかにもお小言を言いたそうな視線で私を見上げているではないか。
「君ね。先日のアレはちょっとどうかと私は思うんだよ・・・」
どうやら私に降臨した神は、部長のお気には召さなかったようである。
部長の叱責が少しでも短くなるようにと、私は神に祈るのであった。

雨谷の庵は今日も雨。
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管理者:徳田雨窓