雨谷の庵

[0241] 記憶が思い出話に変わる (2002/01/25)


[Home]
ある夏の思い出その後。

残念ながら、話はここまででお終いである。
そもそも、このお話は某ダメダメ雑文書きさんが退院したということで、その退院祝いといった
趣旨のものとして、お粗末だが私の入院体験談を書こうと思ったという背景があったりする。
ところが書き始めてみると思いの外私にも思い入れというものがあったようで、なんとなく
長々と書き続けてしまった。
これでは読んでいる方もつまらないだろうと思い直し、その1の最後には少しだけ伏線の
ような文章を入れたりもして、個人的には工夫してみたつもりである。
そこら辺の文章の書き方については某紅茶大好き雑文書きの方の文章を参考にさせて頂いた。
しかしそもそもあまり色気のない人生を送ってしまっていたりする私のことであるから、
結果的にはほとんど色気のない話になってしまい、そういった方面の展開を期待して頂いて
居たであろう一部の方々には少しばかり申し訳なく思っていたりもする。
ちなみに今回4回に渡って書いた内容についてはほぼ事実に沿っていたりするが、もちろん
中には嘘八百なことも書いている訳で、そこら辺のどれがどう嘘であるかについては
読者諸賢のご想像にお任せしたい。
なお、私もこの一連の文章を書くに当たって舞台となった病院の情報などを再度確認して
みたりもしたのだが、驚いたことに当時私が入院していた病院はすでに無くなっており、
別の名前の病院として別の場所に移転しているとのことだった。
このお話はちょうど10年ほど前の出来事なのであるが、一つの記憶が思い出話に変わるのに、
その間の時の流れというものは十分に過ぎたとかそういうことになりそうだ。
十年一昔とはよく言ったものである。

ところで当時担当して頂いた医者の人から言われたことだが、自然気胸というのはだいたい
1000人に一人くらいの割合で発症するものらしい。
ちなみに最近では若い女性の喫煙が増えているため、男性ばかりでなく女性にも気胸の
患者さんが増えているということはあるようだ。
手術をした場合、同じ側の肺に気胸が再発する可能性はほぼゼロなのだそうだが、もう一方の
肺が同じように気胸である確率はやはり1000分の1くらいだそうである。
ちなみに私は今回の話のあと2年後、今度は右の肺に気胸を発症し再入院している。
もし先の確率が事実と合っているのならば、私は実に100万人に一人、日本全国を探しても
150人くらいしか居ない珍しい患者だったことになるのだが、本当かどうかは分からない。
2度目の入院の時には私も慣れてしまっていて、あまり記憶に残っていないことも多いのだが、
ただ、1回目のときよりも医療技術が進歩していたとかで、脇腹の傷は2回目の方が1回目の
それよりも2cm程短かったそうだ。
体の負担も1回目よりは軽かったような気もする。
こういう単一患者での同種手術における1回目と2回目の手術の術式の違いというものは、
医学的には結構貴重な資料になるということで、私の傷跡は比較写真に撮られたりもした。
ぶっちゃけた話、そこらの実験動物と同じ扱いを受けただけのような気もしないではないが、
私は別段気にしてもいないのでどうこういうつもりは毛頭ない。
ちなみにその写真は、どっかの医学資料の中に掲載されているとかいないとかと言う話を後で
医者から聞いたような気がするのだが、そこら辺の詳細についてもあまり記憶に定かではない。

さて、気になっている人も居ることだろうと思うので件の手紙の話をしよう。
残念ながら私は、貰った手紙の内容については全く覚えていない。
多分、入院中はありがとうございましたであるとかそういった無難な内容が書き記してあったの
だろうと思うのであるが、不思議とそれに関する記憶はすっぱりと抜け落ちてしまっている。
もともと記憶力には全く自信の持てない私なのではあるが、そこまで間抜けだと正直自分でも
呆れ果てざるを得ないとかそういう気もしないではない。
一応手元の書類入れとかも探してみたが、それらしい手紙は発見できなかった。
もしかすると実家のどこか片隅にでも紛れ込んでいるのかも知れないが、いずれにせよ
現時点でその内容を確認する術は無さそうだ。

最後になるが、後日談を紹介して一連の話題を締めくくりたいと思う。

入院生活最後の日、私の身の回りの整理をしていた母が、ふと手を止めた。
「これ、何?」
母が持ち上げたそれは、あの看護婦見習の彼女が残していった洋封筒であった。
病室には、患者の身の回りの物品を入れておくための、小さな机のようなものがベッドの側に
置いてあることが多い。
彼女から貰ったその洋封筒を、私はその机の引き出しの中に入れっ放しにしていたのであった。
母は私からその手紙の経緯を聞いたあと、おもむろに手紙を取り出すと、中に書かれている
文章に短く目を通していた。
「お礼の返事とか、もう書いたんか?」
手紙を読み終わった母のその言葉に、私は首を横に振った。
「電話くらい、して上げたらええのに・・・」
母は小さくため息をつきながらそう呟くと、私に持っていた封筒を返した。
そして再び荷物の片付けを続けながら、母はぶつぶつと何事かを呟き続けていた。
私も別段注意して聴いていたわけではないのであまり詳しいことは聞き取れなかったが、
「どうしてこの子はこう非常識なのか」であるとか「育て方を間違った」であるとか
「どうも人様の心に疎い」であるとか、そんな感じに私への悪口を言っていたことだけは
よく覚えている。
「普通、手紙にはね」
片付けもすっかり終わりかけた頃、寝巻きから普段着に着替えようとしていた私に向かって、
母はもう一度口を開いた。
「電話番号なんて書かんのんよ?知っとるんか?」
母は元々気が短く怒りっぽい人であったが、この時の口調は少しだけ妙な雰囲気で
あったように、その時の私には思えていた。
しかし私はただ、なにやら訳も分からずにぽかんとボケ面を晒していただけだった。
そんな私の表情を見て、母は呆れた顔で深々とため息をついた。
「まあ、その方がええのかも知れん」
その後、母は自分の看護学校時代の思い出話をしてくれた。
その内容について私はやはりあまり覚えていないのだが、そのときにナイチンゲール症候群と
いう言葉を聞いたことだけは、何故か頭の片隅に今でも残っているようだ。

高校3年の時の私の夏は、そうこうしているうちに過ぎ去っていた。
その夏の思い出の中の風景は、いつも白い壁と白い天井に囲まれている。
色白の華奢な手が思い余ったように差し出した、白い洋封筒。
ぼやけた白色の思い出の中で、それだけがはっきりとした色合いで目の奥に焼きついている。
同じ白色なのに、その白色だけは不思議と色鮮やかに思い起こすことが出来る。
その理由は、私の心のどこかにしまっておこうと思っている。

雨谷の庵は今日も雨。
< Back |List| Next >
管理者:徳田雨窓