雨谷の庵

[0240] ぽつんと病室に取り残されて (2002/01/24)


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ある夏の思い出その4。

自分の置かれている状況がどういった種類のものなのか、すぐには思い至らなかった。
ただ、ぼんやりと見上げた私の視界に入ってくる光景は見慣れない白い天井ばかりで、
それはどうにも無機質で温かみに欠けているように思われた。
体が重い。
ゆっくりと身を起こそうとしてみたが、それはどうも無理なようだった。
左腕が動かない。
というよりも、左肩から腕にかけての感覚が無かった。
人間の体には右腕と左腕の2本の腕が生えているものであるが、これが不思議なもので、
片方だけでは起き上がるという動作が非常に難しいものになる。
「無理しないでください」
しばらくもごもごと動いていた私に向かって、女の人の声がした。
振り向こうとしたが上手くいかず、仕方なく私は目だけをそちらの方に向けた。
青いラインの入った看護服だけが、薄らボケた視界の中にようやく入ってきた。
「まだ、動くのは無理です。安静にしていて下さい」
それはあの看護婦見習の彼女だったのだと私は思っている。
もちろん、彼女の他にも研修に来ている人はいるのだが、私の記憶の中ではそのとき側に
立っていたのは彼女だったように思う。
私の額に、冷たいものが乗った。
「・・・まだ、熱は下がり切っていないみたいですね」
彼女の手のひらは、火照った私の額にとってひんやりと気持ちよかったことを覚えている。
「気分はどうですか?」
私は何か言おうとしたのだが、それは上手く言葉にならなかった。
どうも鼻から喉にかけて異物感があり、それが邪魔して私の声を出難くしていた。
「胃液を吸い出すための管を鼻から挿入してます。まだ、喋るのは無理かも知れないですね」
どうやら、私のこの異物感はその管が差し込まれているせいらしかった。
「導尿カテーテルも差してありますので、おしっこはそのままして下さい」
導尿カテーテル?
その言葉は私には聞き慣れないものだったが、言われてみれば下腹部にも妙な痛みがあるので
恐らくそちらにも管か何かが差し込んであるのだろうということだけは理解できた。
どうやら脇腹のチューブもまだささったままのようだったし、都合3本の管が、私の体の
中に突っ込まれているということになりそうだった。
熱でボケた頭の中で、そんなことになっている自分の間抜けな姿を思い浮かべながら、
私は思わず吹き出しそうになっていた。
しかし、その笑いすらもそのときの私には負担になることだったのだろうか、
笑おうとした弾みに私はひどく咳き込んでしまうことになった。
「だ、大丈夫ですかっ」
彼女の慌てたような声が、私の顔を覗き込んでいた。
涙目になってしまっていたので視界は歪んでいたが、彼女の印象的な大きな眼差しだけは
はっきりと見えたような気がした。
「無理は、しないで下さい・・・」
彼女の目が少し赤く腫れていたような気もしたが、それは私の思い違いだったのだろう。

そのまま私はまた眠りに落ちた。

例の高い発熱の他は、私の術後の経過はとても順調なものだった。
むしろ、普通の人よりも回復が早かったので、医者も少しだけ驚いていたようだった。
手術の3日後には鼻から差し込まれている管も、導尿カテーテルも抜いてもらった。
その次の日には脇腹の管も抜けて、ようやく私はベッドの周辺以外のところにも
足を運べるようになった。
長い間お世話になっていたオマルや尿瓶ともお別れである。
1週間以上も寝たきりだったので脚の力などは弱ってしまっていて、歩くといかにも
病人然としたよたよたとした歩き方になっていたが、それでも歩けること自体が
楽しかったので私は無理をしてでもふらふらと歩き回っていたりした。
調子にのって屋上にまで上がったりもして、看護婦さんに怒られたこともあった。
お風呂にも入ってよいと言われたときには正直嬉しかった。
私はあまり、お風呂好きというわけではないのだが、それでも1週間以上もお風呂に
浸かっていなかった訳であるから、久しぶりのお風呂はともかく嬉しくて仕方がなかった。
左肩や左腕のリハビリも始めた。
手術で脇腹を切り開いたため、それらは動かなくなってしまっていた。
それでも、リハビリをすれば元通りに動くようになると医者が保障してくれたので、
私はのんびりとマイペースでリハビリを続けた。
今でも左の背中の肩の辺りの表皮の感覚は痺れたままであるが、肩や腕自体は問題なく
動くようになっているので、人間の体というものは思いの外頑丈に出来ている物なのだなぁと
思うことしきりである。
こうして今思い返してみると、入院から手術までの期間の記憶に比べて、手術後の記憶は
あまり鮮明でないように思う。
手術までの期間が未体験のことばかりで印象が強いというのもあるのだろうとは思うが、
やはり健康を害して弱気になっているときに比べて、治りかけの強気の時期の記憶などは
あまり覚えようともしていないのではないかと思う。
だからなのだろうか、その時期については看護婦見習の彼女のことも、あまり印象に
残っていない。
もちろん相変わらず彼女は点滴の針を差してくれたり、日々の問診に来てくれたり
していたはずなのだが、そういうことを私はあまり覚えていないのだ。
聞いた話だと、導尿カテーテルを差し込んだりといった作業もすべて彼女がしてくれて
いたとのことで、私はこの入院中ほとんど彼女の世話になりっぱなしであったことになる。
しかし当時の私はそんな彼女に対して、あまり感謝していなかったような節があった。
今から考えると何と恩知らずな奴なのだろうと私自身も思うのだが、若いということは
もしかするとそういうことなのかも知れない。

彼女が、最後に私の病室を訪れたのは、私が退院する数日前の昼休みのことだったと思う。
いつものように青いラインの入った看護服に身を包み、彼女は彼女の同僚たちと一緒に
私の病室の壁際に並んでいた。
「短い間でしたが、私たちは色々なことを学ぶことが出来ました・・・」
彼女たちの代表らしき人が、お決まりの挨拶口上を述べていた。
彼女たちは皆どことなくすっきりとした明るい表情で立ち並んでおり、それぞれがそれぞれに
研修期間が無事に終わったことを喜んでいる様子だった。
ただ、私を担当してくれた彼女だけは、何故かうつむき加減のままだった。
「ありがとうございました」
別れの挨拶が終わり、ありがとうございましたの声とともに彼女たちが一斉に頭を下げた。
ベッドの上の私もつられるようにして頭を下げ、もごもごと小さな声で何事かを呟いた。
これで彼女たちのことも見納めなのだなあと思い顔を上げてみると、どうしたことか、
彼女たちはまだそこに並んだままだった。
なにやらクスクスという小さな含み笑いが聞こえる。
彼女たちはお互いに肘で隣を小突きながら興味津々の表情で、ある一人の方を伺っていた。
そんな視線の先には、彼女がいた。
「あ、あのっ」
彼女はうつむいたまま、同僚たちの列の一歩前に立っていた。
「こ、これ・・・」
ぎこちなく言い淀みながら、彼女は私に何かを押し付けた。
「本当に、お世話になりましたっ」
焦ったように一気にそう言い終えると、彼女は同僚たちの視線から逃れるように病室から
走り去ってしまった。
「ありがとうございました〜」
同僚たちももう一度一斉に頭を下げた後、口々にきゃっきゃと笑いながら、次々と病室から
退出していった。
彼女たちが去った後には、何事が起こったのかも今ひとつ理解できないままの私が一人、
ぽつんと病室に取り残されていた。

それきり、私が彼女と出会うことは二度となかった。
最後に彼女が私に渡したもの、それは一通の手紙の入った、白い洋封筒だった。

雨谷の庵は今日も雨。
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管理者:徳田雨窓