雨谷の庵

[0239] 朦朧としたまま1日中を (2002/01/23)


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ある夏の思い出その3。

看護婦さんの仕事というものは、患者だった私から見ても大変なものに思えた。
例えば点滴一つをとっても、それは人間相手の作業な訳であり、一つ間違えば患者に不安を
与えてしまったり、また患者の体の負担になってしまったりするわけである。
そういうことを考えると、看護婦見習というのは他人事ながら大変な時期だったのではないかと
思ったりもする。
「痛かったら言ってくださいね」
私の担当になった看護婦見習の彼女はそう言いながら、私の左腕に向かって点滴の針を
構えていた。
自慢にもならないことだが、私の腕の皮下脂肪は薄い。
だから私の腕には静脈が浮き出ていて、点滴の針を差す場所には困らない。
今も、看護婦見習の彼女の後ろで見守っている看護婦さんに「点滴し易そうな腕でいい練習に
なるね」などと言われてしまうほどである。
しかし、そんな気休めも彼女には効き目はなかったようだ。
何気に、私の腕を持つその手がぎこちないものに思えたのは、私の気のせいばかりとは
云えなかった。
「あの、痛くなかったですか?」
針を差し終わりそれをテープで固定しながら、彼女は点滴の栓を緩めた。
ところがどうしたことか、点滴のための液が落ちてくる気配は一向にない。
しばらくは様子を見ていた彼女だったが、そのうちだんだんと顔が青ざめてきた。
「もう一回やり直しかなぁ」
そんな彼女の後ろで、看護婦さんが落ち着いた声でそう言ったことは今でもよく覚えている。
結局、彼女は点滴の針の差し直しをあと2回、やる羽目になった。

手術を控えた私は、毎日のように色々な検査を受けた。
血液検査、レントゲン、血圧測定。
私はベッドから動けなかったから、その検査は全部病室で行った。
病室にレントゲンの装置が運び込まれてきたときには、正直少し驚いたりもした。
それらの検査には、すべて彼女が立ち会った。
彼女の後ろに控えている看護婦さんは毎回違っていたが、彼女はいつも私の傍にいた。
私はこの病室から出たことはないので彼女が他にどんな仕事をしているのかは全く
知らなかったが、もしかすると私だけの専任に近い形になっていたのかも知れない。
それだけ私が手術前にやるべきことは多かったし、そしてそれは看護婦見習の彼女にとっては
すべて勉強の対象になっていたのだろうとは思う。
彼女には、腋毛も剃ってもらった。
私は別段お洒落なわけでも何でもなかったから、腋毛を剃ったことはそれまで一度もなかった。
人生の中で、腋毛を剃るなどという事態に出会うことがあろうとも思っていなかったのだが、
まさかそれを若い女性にやってもらうことになろうとは予想だにしていなかった。
「ええと、剃らないと駄目、なんですか?」
そんな間抜けな質問をした私に向かって、看護婦見習の彼女はたどたどしく解説してくれた。
毛には細菌が繁殖しやすいこと、手術の後は免疫力が低下するので、普段は問題のない細菌でも
命取りになりかねないこと、だから手術で切り開く箇所の近くの毛はすべて剃らなければ
ならないということ。
「痛かったら言ってくださいね」
いつものようにそう前置きをして、彼女は右手に持った剃刀を私の脇腹の辺りに
あてがうのだった。
脇の下といえば、人としてくすぐったい箇所の一つである。
私もその例に漏れる筈もなく、彼女に腋毛を剃ってもらっている間中、どうにも居心地が悪くて
仕方がなかった。
「動かないでください」
真剣な眼差しで私の脇の下を凝視しながら、彼女は丁寧に作業を続けていた。
作業がすっかり終わった後、私の脇の下が血まみれになっていたことは、立ち会っていた
看護婦さんから後で聞いた話である。

私もこの歳になると浣腸の一つや二つでうろたえることなど最早ありえないのだが、当時まだ
高校生だった私にとってみれば、人前に己のケツの穴を晒すなどということは非常に屈辱的な
ことだったように記憶している。
「いいですか?もたもたしていると浣腸の効果が落ちてしまうので、手早くしてください」
浣腸の器具を持った彼女に向かって、立会いの看護婦さんは手短に作業の説明をしていた。
人前にケツの穴を晒すことになろうなどということすら想像だにしていなかった私であるが、
しかも初めての相手が妙齢の女性であろうなどということは、私の当時の想像力の限界を既に
遥か彼方のものにしてしまっていたように思う。
「横になって。はい、パンツを降ろして。もたもたしない。何を恥ずかしがっとるかっ」
なかなかパンツを降ろそうとしない私に業を煮やしたのか、立会いの看護婦さんは手際よく
私のケツを空気に晒してしまった。
「あなたもっ。早くしなさい」
「は、はい」
私の肛門から、体の中に何か冷たいものが入ってくる感覚は、今思い出しても身震い
しそうな程に気色の悪いものだった。
「しかし、あなたも運がいいねぇ。初めて浣腸する相手が若い男の子で」
「は、はい」
「私なんか、おっさんのでかいケツだったからね。この子の綺麗なケツとは大違いさ」
そんな無遠慮な台詞を口にしながらケラケラと笑っていた看護婦さんのことは、
忘れようにも忘れられないものの一つかも知れない。
浣腸というのは効いて来るのに2分程かかる。
しかし、その効き始めてからの後、3分間は我慢しないと腸の中は綺麗にならない。
この3分間の苦しみは、実際に味わった者でないと説明できないものの一つだが、
私はその後の人生において、更に2回もそれを味わう羽目になる。
しかしそれは、また別のお話である。

浣腸をするのは手術の直前である。
私の気胸の手術では全身麻酔を行うのだが、その時肛門から何から緩みっぱなしになり、
腸の内容物がだだ漏れになってしまうため、手術前には浣腸をして綺麗にしておくのだ。
浣腸が終わった数時間後、私は事前の軽い麻酔をかけた状態で手術室に運ばれた。
この辺りから、私の記憶は全く曖昧になる。
だから、手術や手術後の話は母や弟などから聞いた話になる。
私の手術は、脇腹を7cm程切り開きそこから肺胞の破裂している箇所を引きずり出し、
その箇所を切除した後、生体に馴染み易い針でホッチキスで止めるような感じに穴を塞ぐ、
というものらしかった。
手術は無事に終了したらしいが、その後私はかなりの高熱を出していたらしい。
医者の話では、手術の中で胸の内部に結構な量の薬物を注入してあるのだが、
それが化学反応を起こしているのだろうということのようだ。
普通ならそんなに高い熱を出したりはしないのだそうだが、私が若かったためだろうか、
薬物の分解速度が想定されているよりも速いことが影響していたらしい。
これは今でも母や弟から笑い話のネタにされるのだが、手術の後家族が心配そうに私を
取り囲んでいるとき、私は彼らに向かって罵詈雑言を浴びせたのだという。
「馬鹿」だの「うるせぇ」だの、そういった意味不明の言葉ばかりだったようだが、
そんな記憶は私には全くない。
看護婦さんなどが熱ざましの座薬を入れようかと申し出てくれたりもしたらしいのだが、
意識の朦朧とした私は何故か、その申し出を頑なに断ったのだという。

私は朦朧としたまま1日中を眠り続け、目を覚ましたのは手術の次の日の
夕方になってからだった。

雨谷の庵は今日も雨。
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管理者:徳田雨窓