雨谷の庵

[0238] 白い病室で独りぼんやりと (2002/01/22)


[Home]
ある夏の思い出その2。

昨日書いたような理由で、自然気胸というのは主に20代前半から30前の比較的若い男性が
発症してしまうことが多い。
ちなみに気胸には自然気胸の他にも、事故で肋骨が肺を突き破ってしまったというような
外傷性のものもあるが、こちらはもちろん年齢とは無関係である。
私が入院した病院には呼吸器外科の専用病棟は無かったから恐らく内科病棟に入室したのだと
思うのだが、内科の入院患者さんに若い人は少なく、当時10代後半だった私は多分、
珍しい部類の人だったのだろうと思う。
いや、もしかすると手術自体は外科の範疇なので外科の病棟に居たのかも知れないが、
私があまり無関心だったせいもあり、どちらだったのかは記憶に定かでない。
いずれにしても、ベッドに繋がれて身動きもままならない身だったこともあり、
自分以外の患者さんに出会う機会もなく、私は白い病室で独りぼんやりと日々を
過ごしているだけだった。

そうなると、話し相手は看護婦さんだけになる。
ところが、私は看護婦さんが苦手であった。

こういうことを書くと今の友人知人連中からは笑われるのだが、当時の私は人見知りも激しく
内向的な人間で、人付き合いがそもそも苦手であった。
看護婦さんといえば聞こえはどうか分からないが、当時の私にしてみれば見知らぬ
他人の一種に過ぎなかった。
更に悪いことに、私の入院した病棟を取り仕切っていた婦長さんは、私の母の知り合いだった。
私の母は昔、看護学校に通っていたそうである。
今も母が続けている仕事は小学校の保健室のおばさんであるが、要するに保健室のおばさんに
なる為には看護学校を出なければならなかったとかそういうことらしい。
婦長さんは、その母の看護学校時代の同期だった。
しかもかなり仲の良い同期だったようだ。
母は3日に1度くらいの間隔で病院に見舞いに来てくれたが、その訪問の度に婦長さんと
親しげに話し込んでいるようだった。
看護婦さんというのは忙しい仕事で、通常は見舞い客とお喋りなどをしている暇は無いのだが、
そこは母も心得ていて、婦長さんの休憩時間などを把握した上で病院を訪れて居たようだった。
だから、婦長さんは私の個人的な情報をあれこれと母から聞き知っていたようだった。
そして婦長さんはあっけらかんとした明るい人だったので、私にまつわる色々な話はその病棟の
看護婦さんの皆が知るところになってしまっていたらしい。
看護婦さんの方にしてみれば、珍しく若い男の子が入院してきたこともあり、面白おかしく
話題にしていただけなのかも知れない。
問題なのは母が根っからの岡山県人であったことだろうか。
今でもそうなのだが、母には私のネタの中でも失敗談ばかりを話題にする癖がある。
結果、寝小便を小学校になるまでしていただとか、小さい頃に火傷をしただとか、昔は良く川に
落ちて泣いていただとか、彼女も出来ない根暗な奴だとか、そういう話ばかりが
病棟の看護婦さん達に広まってしまうことになった。
病室に一人きりでぼんやりとしている私に色々と話しかけるのは、看護婦さんにとっては
仕事のうちだったのだとは思うが、その内容がどうも私にとっては具合の悪いものが多かった。
「小学生のときに寝小便したことがあるんだってね?」とにこやかに話しかけられても、
当時の私にはそれをネタに会話を弾ませるなどということが出来るはずもなかった。
せいぜいが「ええ」だとか「ああ、まぁ」だとか、そういうなんとも覚束ない返事を
返すだけだった。

私はだんだんと看護婦さんと話すのが億劫になり、結果、一人でぼんやりとしている時間は
ますます長くなっていった。
カレンダーも7月から8月に替わる調度その頃で、病室の外では真夏の眩しい光が
私の時間とは無関係の流れの中に降り注いでいるようだった。
幸いだったのは私の肺の膨らみ具合が順調だったことだろうか。
医者の話では、あと2、3日もすれば手術することが可能になるという。
手術というものは事前の準備やら手術室の手配やらで色々とタイミングの難しいもの
らしかったが、幸いその頃の手術室は空いていたようだ。
私の担当の医者は、私と私の家族に手術を行なうことに異論が無いかどうかの意思確認を
したあと、早速準備に取りかかった。
私の家族は色々な理由で手術慣れしていたので、手術に反対した者は居なかった。
ただ、聞いたところでは祖母だけはかなり心配をしていたらしい。
一方の私はというと、このベッドに繋がれたままの生活には充分嫌気が差していたし、
なにより一人きりでぼんやりと日々を過ごすことには飽き飽きしていたから、一刻も早く
手術をしてもらいたいと思っていた。
むしろ、その時の私は手術の日を心待ちにしていたという方が、正しい。
そして、手術のための日々が始まることになる。

婦長さんがその看護婦見習いの人を紹介しに来たのは、そんな頃のことだった。
「短い間ですが、宜しくお願いします」
そう言って頭を下げた彼女のナースキャップはこの病院の看護婦さんのそれとは違い、
紺色のラインの入った物だった。
今年度で看護学校を卒業する予定の彼女は、この病院で1週間の実地研修を受けるのだと言う。
何故彼女の研修対象患者として私が選ばれたのかについては、婦長さんが後で教えてくれた。
要するに若くて死に難い患者さんが選ばれるのだという。
例えば今にも死にそうな患者さんを相手にする場合、万が一のことがあると病院の責任問題に
なるというのが背景としてあるらしい。
研修中は正規の看護婦さんが立ち会っているとはいえ、ミスは起こるものだ。
そのミスが致命傷になるような患者さんを、看護婦見習いの人に任せるわけにはいかない。
そのような理由を鑑みれば、私のような患者は研修にはうってつけだったと言えるだろう。
聞けば彼女の他にも、彼女の通う看護学校からは10名くらいの見習いさんが研修に
来ているとのことだった。
当時の私の記憶はぼんやりとした白い風景に霞んでいて曖昧模糊としてしまっているが、
彼女は少し丸みのある顔立ちの女性で、短めの蓬髪に色白の肌が良く映えていたように思う。
当時の私よりは2、3歳年上だったのだと思うが、生憎私は彼女の年齢については
何も聞いていない。

それでも、彼女の大きめな瞳のことだけは、今でもよく覚えている。

雨谷の庵は今日も雨。
< Back |List| Next >
管理者:徳田雨窓