雨谷の庵

[0237] ベッドに繋がれた生活 (2002/01/21)


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ある夏の思い出その1。

人間の肺というものは単なる空気袋という訳にはいかなくて、実際には肺胞と呼ばれる無数の
小さな空気袋が寄り集まって出来ているシロモノである。
この肺胞、口に出して読み上げると「ハイホー」となり非常になんとも陽気なお爺さんが
やってきてしまいそうでその上「大きく成れよ〜」とも言われかねない気もして中々油断の
ならない言葉の一つではあるが、そんなことを考えているのは私だけのような気もするので
取りあえず今はそんなことには目もくれず淡々と先を急ごうと思う次第である。なら書くなよ。
ところでその件の肺胞、袋だけにその空間を囲むための外側物質の質には
個人差というものがあったりする。
要するに、袋が分厚かったり薄かったりとかするわけだ。
分厚い場合には問題無いのだが、薄い場合にはちょっと困ったことに、肺の内部の空気圧に
対して袋の強度が足りなくて破れてしまうことがある。
こうなるとご想像頂けることとは思うが、そこから肺の中の空気が漏れてしまうわけで、
構造的には多少複雑になっているとはいえ要するに袋に過ぎない肺の野郎は根性なしにも
ぷすぷすと次第次第に縮んでしまうというという事態になる。
自然気胸。人はこの肺が縮んでしまった状態をそう名付けているようだ。
実際には空気が抜けて縮むのではなく、胸の肋骨の内部にある肺を収めるための空間と、
肺との間に漏れた空気が溜まってしまい、その圧力で肺が膨らまなくなるということだが、
まあそういった細かい話はこの際あまり関係無い。
ちなみに、思春期の急激に背が伸びる頃、モヤシっぽく育ってひょろ長い体型になってしまうと
この肺胞の袋が薄くなってしまうらしい。
成人後徐々に内蔵が充実するに従って薄かった袋もだんだんと分厚く育つらしいが、それまでは
常に自然気胸の危険と隣合せの人生を送ることになる。

実は私もひょろ長いモヤシの部類に入る。
元々あまり運動をしなかったこともあって筋肉質な体型でなかった為だろうか、中学高校と
一気に背がひょろりひょろりと間抜けに伸びてしまった結果である。
当時恐らく身長は172cmくらい、体重は50kgを切っていた。
結果、当然のように私の肺には穴が空いてしまうことになる。
受験を控えた高校3年の夏休みのことであった。

何某かの理由でもって入院したことのある人ならば御存知のこととは思うが、入院生活と
いうものは大雑把に言ってかなり暇なものである。
大抵の人の場合、1週間もすれば飽きるだろう。
その時の私の入院生活は2週間だったのであるが、私は3日もしないうちに飽きてしまった。
これは当時の私が非常に若かったために一所にじっとしていられなかったとかそういう
理由もあるかも知れないが、もう一つの理由として思い当たるのは、入院当初はベッドから
離れることが出来なかったというものがある。
気胸は前述のように胸の中に空気が溜まってしまう言わば病気であるが、入院当初の私の場合、
左肺の容量の7割程度まですでに縮んでしまっていたらしい。
これが6割を切るとショック死することもあるそうで、実は死と隣合せの状態直前で入院した
ことになる。
ちなみに医者がもしこの気胸に気づかなければそのまま私は学校のプールで泳ぐつもりで
あったし、その場合は恐らく死んでいただろうと医者に散々脅されたものである。
肺が縮んでいることをレントゲン写真で見つけた医者は直ちに私を強制入院させるとともに、
すぐさま私の脇腹にチューブを差し込んだ。
聴けば、私くらいまでに進行してしまった気胸を治すには、外科手術を行なうのが
一番良いというのである。
しかし手術を行なう為にはまず、肺をある程度の大きさに膨らまさなければならないらしい。
手術中に肺が一定以下に縮むと、例の如くショック死してしまうことがあるというのだ。
ということで私は脇腹に、胸の中に溜まった空気を抜くためのチューブを差し込まれることに
なったわけである。
脇腹から伸びたチューブは、ベッドの横の吸引ポンプに接続されている。
このチューブが私の脇腹から外れるか、それともそのポンプから外れるかすればたちまち
私の胸の中の空気は物凄いことになり、最悪死ぬぞと言われてしまった。
何がどう物凄いのかは全く分からなかったが、要するに絶対安静に近い状態に置かれて
しまった訳である。
チューブの長さは約2m。
ベッドの上と、その周囲を辛うじて歩けるくらいの長さしかない。
当然、トイレに行くわけにはいかなくなったので、ベッドの脇にはあひるの形をしたオマルが
設置され、大はそっちでするようにと言い渡された。
ちなみに小の方は尿瓶が別途用意されており、そちらにじょぼじょぼと放尿するという
仕組みになっていた。
ところで自然気胸の場合、自覚症状は微妙である。
どうも胸の中央が痛いとか、呼吸が何か苦しいとか、背中がつったように痛いとかそういう
ことはあるのだが、しかしそれも徐々に進行する類の症状であるため、本人が間抜けだと
慣れてしまって気づき難い。
そのため絶対安静に近いとはいえ当の本人である私の自覚症状も大したことは無く、
せいぜい脇腹のチューブが邪魔であるとか差し込んだ所がモゾモゾして気持ち悪いであるとか、
そういう感じにしか思っていなかったこともあり、入院と聞いてお見舞いに来てくれた人からは
思いの外元気で安心したと言われる程にあっけらかんと過ごしていたりもした。

このように本人が元気のつもりでいる場合、入院というものは大層に暇なものなのである。
チューブでベッドに繋がれた生活というのはその時初めて経験したのだが、というか普通は
こんな生活一生経験しない方が幸せだろうと思うのであるが、とにかくすることが無くて
暇で暇で仕方がなかった。
受験生だったわけだから勉強すれば良さそうなものであるが、生憎私はあまり真面目な方では
無かったので、そんなことは思いつきさえもしなかった。
高校生の当時から同人誌のようなものも書き始めていたがそれは親などには内緒であったから、
病院で堂々と漫画を描くわけにもいかなかった。
病室は2人部屋だったが夏休みでお盆も近かったからだろうか、隣のベッドは空いていて
私は病室で一人きりでぼんやりとしていることが多かった。

だから私の高校生活最後の夏の思い出は、病室の白い壁と白い天井に囲まれていたりする。
そんな風景の中にその手紙だけが、色鮮やかだったのだろう。

雨谷の庵は今日も雨。
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管理者:徳田雨窓