雨谷の庵

[0222] 巣鴨という街の土地柄 (2001/12/04)


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御隠居とか言うな。

巣鴨というのはヘンテコな街で、それは住んでみてから半年以上経った今でも、
時々意識させられることがある。
ということで実は私は東京は23区、山手線の北の辺りにある巣鴨という駅の
近辺に現在居住している次第である。
最初東京に来たときは池袋に住んで居たのであるが、そのあまりの治安の
悪さゆえに1年くらいで引っ越してしまったのである。
嘘。
実は谷川某が上京してくるのにかこつけて、ちょっと広めの下宿に引っ越した結果が
たまたま巣鴨という土地だったというだけの話である。
ついでなので言い添えておくと、私は生来よりかなり迂闊な性格をしており、巣鴨に
ついても住んでみるその瞬間まで、その土地柄などについて全く知見を有して
いなかったりもする。
よくよく考えてみれば池袋を最初に選んだときも、そこが東京でも5本の指に入るくらいの
大きな街であるとは知らなかったし、さらに遡って初めて岡山から出て暮らした奈良の
片田舎のことも、事前には何も知らずにいたような気もしないではない。
そういえば大学も適当に一番近いところに入ったし、高校もなんか似たような理由だったし、
私の人生というものはいつも何も考えずに適当な決定の元で構成されてきたのであるなあと、
妙な感慨を抱いてしまいそうにならなくもない。

こんなことでイイんだろうか。
もちろんイイに決まっている。<ひらきなおるのはやめなさい。

それはともかく。
そんな迂闊な人生を迂闊な日々の中で迂闊なうちに過ごしていることすら迂闊にも
気づかないでいる私ではあるが、やはりだんだんと巣鴨という土地に馴染むに従って、
ここがどういった感触をもった土地なのかということを少しは意識するように
なってきた次第である。
迂闊者でも結構なんとかなるとかそういうことだろう。<違います。
もしかすると読者諸賢の中には、生まれてこの方別の土地などに住んだ経験は全く無いと
いう方も居られるかも知れないから一応付け加えるなら、所謂処の土地柄というものは
実際に存在すると思って頂いてよい。
もちろんそれは気候風土の違いといった自然現象的なものもあれば、そこに暮す人々の
気質であるとか生活習慣であるとかといった社会的指向性の色合いのようなものも
あるわけである。
もちろん、生活習慣などはその土地固有の気候風土に適応した結果生まれたものも
多いわけで、それらを明確に切り分けて考えなくてもイイのかも知れない。
ともあれ我々人類は、土地柄という言葉でもってそういった細々とした事柄を
全てひっくるめたものについての共通認識を形成しているわけではある。

で。
一言で巣鴨という土地を言い表すならば、爺婆の街ということになるだろう。
その最も象徴的な場所がとげぬき地蔵通りという商店街である。
なにしろ、ここには爺さん婆さんしかいないのである。
幅5m ほどのやや狭めの通りの両側に古ぼけた色彩の店が並んだこの商店街、
そこを埋め尽くす人波はすべて高齢者で占められていると言っても過言ではない。
同じような人込みといえば渋谷のセンター街などを思い浮かべるのだが、
あちらが若者やサラリーマンといった人々で構成されているのに対し、
こちらの巣鴨のとげぬき地蔵通りでその人込みを演出しているのは全てが
老人といった感じなのである。
言い忘れたが、もちろんお店の人も皆老人である。
この老人集団、とにかく異様な風景である事にかけては東京随一ではないかと、
私は心の中の世間で専ら噂にしている次第である。
何しろ、彼等老人は動きが鈍い。
一度、この商店街を歩いてみたことがあるのだが、とにかく歩き難いことこの上ない。
4人連れ立ってよろよろと歩く婆様達が行く手を塞いでいるかと思えば、横には
ボケた顔で空を見上げている白髪の爺様が突っ立っていたりする。
仕方なく追越などは諦めて、人の流れのままに散策を続けるのであるが、
商店街全体の歩みが鈍いので、気の短い私はイライラしっぱなしであった。
もう2度と行かない。だいたいあそこで売ってるものって老人用のものばかりだし。

そんなとげぬき地蔵通りの影響なのかどうかは分からないが、巣鴨駅近辺の街は、
どうも老人を中心に回っている様なのである。
まず何といっても貴方が最初に驚くであろうことは、エスカレーターであろう。
何しろ、エスカレーターの上り下りの速度が、鈍いのである。
御丁寧にも「お年寄りの方に配慮した速度にしてあります」という貼り紙まで
あるだけに始末が悪い。
老人だけが利用するエスカレーターならばいざ知らず、私のような若輩者にとっては
イライラすることこの上ないことになっていたりするのである。
他にも。
とにかく、巣鴨のお店は朝早くから営業しているところが多い。
もちろん吉野家や松屋といった24時間経営のお店は朝だろうが夜だろうがいつも
営業している訳であるが、その他の八百屋や魚屋、酒店や本屋といった類の
小売店もまた、比較的朝早くから営業を開始している。
これも、老人の生活時間に合わせた措置と断じて良いのではないだろうか。

とまあこの様に、巣鴨という街の土地柄は老人に適応した部分がおおいにあると
思っている昨今である。
隠居するなら、巣鴨は暮し易い街であるかも知れない。
機会があれば皆様も一度、自分の隠居先の候補として巣鴨を下見しておくのも
良いかも知れない。
爺臭い徳田にはお似合いの街だなとか思った方、それはあまりに正論過ぎるので、
その言葉は心の奥底にそっと仕舞い込んでおいて頂きたいものである。何卒。

雨谷の庵は今日も雨。
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管理者:徳田雨窓