雨谷の庵

[0221] サンタの笑顔を全ての人に (2001/12/02)
※クリスマス雑文祭


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目を覚ますと、一時間十分寝過ごしていた。

1931年の初冬、その日のニューヨークの朝はやけに寒かったということにしておこう。
だから私は寝過ごしてしまった、そういう言い訳がこれで成立するからだ。
私は慌てて飛び起きると、前日用意しておいた鞄を小脇に抱えて、家を飛び出した。

コカ・コーラという会社は私が生まれた時にはもう、コーラという飲み物を売っていた。
元々はコカの実の液をアルコールと混ぜた薬剤液を売る会社だったらしいが、
かの悪名高い禁酒法の頃に炭酸飲料に衣替えしたところ、禁酒用飲料の会社として
世の中に広く知られるようになったとか。
今では一番売れている飲み物といえば、コーラの名前が挙がるくらいまでになっている。
そのコカ・コーラが、私にイラストを依頼して来たのは1週間ほど前の話だ。
なんでも来月出版される雑誌の広告に使いたいらしい。
「赤い服でお願いしますよ」
私の所にきた広告代理店の人はやけに大げさな笑顔でそう言った。
「コカ・コーラ様のイメージカラーですからね。ばば〜んと真っ赤にして頂かないと」
注文は、真っ赤な服を来たサンタクロース。
12月の広告は派手なものになりそうだ。

サンタクロースは元々、小アジアの町ミュラの初代司教、聖ニコラウスが
モデルになっている。
ニコラウスは色々と逸話の絶えない人物だったらしく、豊作の聖人だとか
乙女の守護聖人だとか船乗りの守り神だとかといったような、色々な聖人として
大衆信仰の対象になっていたようだ。
スウェーデン生まれの私の父の話だと、ニコラウスのお祭は本来、12月の6日に
するものらしい。
それが何故か、ここニューヨークではクリスマスと混ぜこぜになってしまい、
ニコラウスもいつの間にか聖夜に子供達にプレゼントを配って回る
老妖精サンタクロースというものに姿を変えている。
伝説によると、もともとの聖ニコラウスは背が高く痩せていたらしい。
右手に司教杖、左手には鞭。青く裾の長いマントを纏い、金の司教冠を戴く。
良い子には祝福を与える一方で、悪い子には鞭打ちの罰を与えるという一面も
あるとされていて、子供に甘いばかりの今のサンタクロースとは似ても似つかない。
ニコラウスの服を最初に赤くしたのは19世紀初頭のドイツの画家、
モーリッツ・フォン・シュヴィントだったようだ。
ただ彼の絵のニコラウスもまだ、痩せた司教だったから、今のような太っちょサンタの
イメージはつい最近のものということになる。
実際、太っちょサンタのイメージはトーマス・ナストのイラスト以降なのかも知れない。
彼が1890年に出した「クリスマス絵画集」には、そんな可愛げなサンタがたくさん
描かれている。
その後のジョセフ・C・ライエンデッカーやノーマン・ロックウェルといった画家たちも
赤い服を着たちょっと太り気味のサンタクロースを描いている。
去年のクリスマスのコカ・コーラの広告にも、似た感じのサンタが描かれていた。
多分あのタッチは、フレッドのものだろう。なんとなくわかる。
いずれにしても、サンタクロースというもののイメージは人によって様々だ。
どんな風にサンタクロースを描けばいいのか、それは誰にも分からない。

私はロックウェルの描いたようなサンタクロースを描くつもりでいたが、
少しだけ、イメージをまとめ切れないでいた。

「赤い服っていうのは、ちょっとばかり気恥ずかしいかもな」
私の目の前で窮屈そうにベルトを締め直している老人が、自分の着ている赤い服を
見下ろしながらそう言った。
彼の名はルウ。ルウ・プレンティス。
ルウは初老の恰幅の良い男で、丸顔の陽気な人物だ。
彼には私のイラストのモデルになってくれるように頼んであった。
彼の立派な髭は混じりっけのない銀色で、量も多過ぎず少な過ぎず、
私がこれから描こうとしているサンタクロースのイメージそのままだった。
何よりも私は、艶の良い頬に人懐っこい皺を寄せて笑う彼の笑顔がとても気に入っていた。
「だが、こんな赤い服だと女房に叱られちまうな。何故だか分かるかい?」
彼は冗談が好きで、何か思いつく度についつい茶目っ気を出してしまうらしい。
私は少しだけため息をつきながら、お決まりの台詞で応えてみた。
「さあ、分からないですね。何でですか?」
「牛が暴れ出すとカウボーイが困るからさ!」
彼は自分の冗談の小粋さ加減がお気に召したのか、ガハガハと大きな口を開けて笑った。
そんな彼を見て、私は苦笑する他はなかった。

それからしばらく私はカンバスに没頭した。
ルウはでっぷりと太ったお腹を突き出すような格好で、ピンと背を伸ばして立っている。
赤い服と赤い帽子に真っ白な髭。
ルウはまさに御伽噺から抜け出してきたようなサンタクロースだった。
しかし、モデルとしてはあまり優秀な方では無いこともまた事実だった。
「正直な政治家と誠実な弁護士とサンタクロース。落ちているドル札を拾うのは誰だ?」
「さあ。誰なんですか?」
「サンタクロースに決まってる!あとの2人は架空の人物だからな!」
ルウは、私が絵筆を振るっている間中、ひっきりなしに冗談を言い続けていた。
「共和党員はサンタクロースを信じることを止めて初めて一人前の共和党員になるのさ」
「へえ。じゃあ民主党員はどうなんです?」
「民主党の連中はサンタクロースを信じ続けているから民主党員なんだよ!」
そして、ルウは一人でガハガハと笑い続けていた。

私がイラストのほとんどを仕上げ終わったのは、夕方も遅くなってからだった。
私が寝坊したから悪いのだが、ルウは別段そんなことを気にする様子でもなく、
終始陽気な笑い声を響かせながらモデルに付き合ってくれた。
「今日は有難うございました。とても良い絵が描けました」
「そりゃそうだろう。何しろモデルがスタイル抜群だからな!」
そう言って彼は、またガハガハと大きく笑った。
赤い服から着替えてコートを羽織った彼を、私はアトリエの戸口まで見送った。
「そうそう。サンタクロースと言えば・・・」
と、また何か思いついたのか、ルウは戸口の前で私の方を振り返った。
「サンタクロースが、本当は何処に居るか知っているか?」
「さあ。どこなんでしょうね?」
ルウは底抜けに明るい声で、嬉しそうに言い放った。
「サンタクロース(Santa Claus)だけに、聖歌のいたる所(Chant across)にさ!」
そして笑顔のまま、ルウはアトリエを後にした。

その時多分、私も笑っていたのだろう。

街のあちこちで笑いっぱなしのサンタクロースの絵を見かけるようになったのは、
その1ヶ月のことだった。
メリー・クリスマス。サンタの笑顔を全ての人に。

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■ハッドン・サンドブロム

 スウェーデン系アメリカ人。
 1899、9人兄弟の末っ子としてシカゴに生まれる。
 長じて、シカゴ美術館の夜間コースに学ぶ。
 同コース修了後、チャールス・エベレス・ジョンソン・スタジオに入社。
 1920年頃に独立。自分のスタジオを持ち広告アーティストとして活躍。
 1931年、ダーシー・アドバタイジング・エージェンシーのアーチー・リーからの依頼で、
 コカ・コーラ社のクリスマス用広告を制作する。その時のサンタクロースのモデルは
 元セールスマンのルウ・プレンティス。
 同広告は「サタデー・イブニング・ポスト」誌に掲載された。
 以後、1966までの35年間に渡り、150点以上のサンタクロースを描く。
 1976年没。享年76歳。

(注1)サタデー・イブニング・ポストは当時発行部数200万部余りの人気雑誌。
(注2)ルウが小粋なアメリカンジョークを連発していたかどうかは筆者の勝手な想像。
(注3)でもアメリカ人だし、みんなそんな感じだろ。<それは偏見です。
(注4)雨谷の庵は今日も雨だし、私もそろそろ眠りに就くのだった。
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管理者:徳田雨窓