雨谷の庵

[0204] カジュアルな明るさに (2001/10/29)


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足元が違うだけで色々と変わる。

ある日突然、歩き始めにはまず右手と右足を一緒に前に出すようにすることを
決意したとしたら、貴方は当分の間違和感を感じ続けることになるのだろう。
実は一時期私はそういう事を決意していたことがあって、右手と右足、左手と左足を
同じ方向に振って歩くことにこだわっていたものだった。今はやって無いが。
そういうことをすると当然、右手と左足、左手と右足を同し方向に振って
歩いているような人々ととは少しばかり趣の異なる風情を醸し出すことになる訳で、
少しの間ではあるが周りからは奇異な目で見られていたのかも知れない。
まあ、小学生だった頃の話だし、今更取り立てて気にする程のことでも無いだろう。
ともあれそうしたちょっとした所以もあって、私は何気に右手と右足、左手と左足を
同じ方向に振って歩くことが人並み以上には得意である。
もちろん始めから得意だったわけではなく、前述したような幼少時の気まぐれな
鍛錬の賜物とかそういうことになる。おおよそ役に立たない賜物ではあるが。
ちなみに私がその右手右足/左手左足歩行の継続を断念したのは、運動会の行進練習に
おいて散々教師から注意を受けたからであった。日本の教育は間違っていると思う。

それはともかく。
そういった性癖のある私のことであるから、無意識のうちにそのような歩き方を
行なっていることがあったりする。
私は別段何気に普通に歩いているつもりなのであるが、どうも周囲の歩調とはズレが
生じているような気がすると思うことが時々あり、大抵そういう場合にはそのような
形態で歩行を敢行していることが原因だったりして慌てて修正してみたりする訳である。
東京とかだととにかく人が混雑の極みでもあるため、一人歪な形態を維持するのは
非常に難しいものであるなぁと、妙なところに感心したりするのはそんな時かも知れない。

さて。
実は今朝も、駅の人込みに紛れていた際にふと、そのような違和感に襲われることがあった。
またいつものように右手と右足が同じの方向に振られているのかと思い、確認してみたが、
どうやらそういう様子では無さそうだ。
なんだろう。確かに足元のあたりにいつもとは異なる感覚がふわふわと漂っているような
気がしてならないのであるが。
そのとき感じた違和感に対して、もう少しばかり誠実な態度でもって望めば、
今私が直面している事態を未然に防げたはずなのであるが、残念ながらその時の私の
無知蒙昧さと鈍感さはそこまでの認識を持つには至らなかったことをここに記しておこう。

私が更に奇妙に思ったのは、電車を降りて階段を昇るときであった。
先ほどから感じ続けている違和感に加えて、どうにも私の視界がカジュアルな明るさに
包まれているような錯覚を覚えたのである。
確かに今日は月曜日で、休日明けのボケボケの感情が私の脳髄の表面を包みこんで
いることは明白であるが、それにしてもこの私の視界を妙に明るく彩る
カジュアル感というのは少しばかり常軌を逸しているような気がしてならなかった。
今私は会社に向かっているにも関わらず、全くその実感が沸いてこない。
むしろ、馴染みのゲームセンターでこれから旧ザクに載りこむ直前にも似た雰囲気ではないか。
まんがの森で1時間ほど立ち読みをしてもおかしくない風情である。
しかしやはり、この時私はその一種異様な風景を気の迷いと受けとめ、対策を講じるための
労を惜しむのであった。
ただ、もうその時には既に手遅れであったのであるが。

次に私が感じた違和感は、会社の中での一幕であった。
私は何気に床での生活を尊ぶ気質があり、会社においても日本伝統古式ゆかしき胡座でもって
業務を行なうという主義を貫いていたりする。
要するに両足の靴を脱ぎ、椅子の上で胡座を組んだ姿勢でパソコンと対面しているとか
そういうことなのであるが、今日は少しばかり赴きが異なった。
いつもであれば手馴れた動作で靴を脱ぎ、またほぼ無意識のうちに靴を履き直していたり
するのであるが、どうも今日はその行為を行なう度に妙な抵抗感がある。
靴を脱ごうとすれば脱ぎ難く、靴を履こうとすれば履き難い。
胡座一筋約5年、馬鹿に付ける薬が発明されたとしても徳田の胡座だけは治せないとまで
部長に言わしめた私の、胡座における諸動作が今、何らかの支障をきたしていると
言わざるを得ない。

更に、私は自身がより重大な危機に直面していることに気がつくことになる。
実は私は今日、穴の開いた靴下を履いてきていたりする。
通常であればそれは靴の中に隠れているため人目に触れることはあり得ない。
しかし前述のような理由で、私が胡座を組んでいる時だけはその靴下の穴というものが
他者の眼前に堂々と肌色を晒してしまう可能性があるのである。
しかしそこは胡座の達人と自認している私のことである。
いつもならば目にも止まらぬ素早い動作で靴を履き、何事も無かったかのように
振舞うことが可能となっている。
例え部長が気まぐれに巡回を始めたとしても、私のこの鍛え抜かれた早業をもってすれば、
私の靴下の穴が彼の目に止まることはない。
前に座敷での飲み会の時に、散々部長から靴下の穴のことを取り沙汰され、あまつさえ
靴下の穴のためだけにでも結婚しろだのなんだの五月蝿く言われてしまう私のことである。
業務中に靴下の穴を見られるわけにはいかない。そして飲み会はやはりテーブルに限る。
ところが、今日は事情が悪い。
先ほどから何度も部長がうろうろしていて緊迫した事態となっているにも関わらず、
靴を履くための動作が鈍くて私の行動を今一つ冴えないものに貶めている。
ていうか部長、今日暇なのかよ。仕事しろよ。

ここに至って私は、ようやくこの今朝から感じ続けている違和感の原因調査に
本腰を入れることにしたとかそういうことである。
このままの状態でこの違和感を放置すれば業務に支障をきたすばかりでなく、
私の精神衛生にも多大な影響をもたらすであろうことは今や確実視されねばならない
現状と言わざるを得ない。
原因の速やかな解明および事態の清々たる収束こそが、私の心安らかな平凡人生にとって
必要不可欠ではないかと、私はここで声高に主張する者である。
そして、厳密かつ入念な調査の断行の結果、その原因が判明したことをご報告しよう。

いつもの革靴でなく、スニーカーを履いてきてました。
徳田、鈍過ぎ。気づけよ。

雨谷の庵は今日も雨。
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管理者:徳田雨窓