雨谷の庵

[0185] 少女はおとぎ話の只中に (2001/09/17)
※おはなし雑文企画


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むかしむかし、谷間の町の外れの庵に、マッチ売りの少女が住んでいた。
かの女には身寄りもなく、街でマッチを売ることで細々と暮らしを立てていた。
しずかな冬のクリスマスの日、少女はいつものようにマッチを持って街に出かけた。
かわいた風の中、少女は一生懸命マッチを売り歩いたが、今日は何故か1本も売れなかった。
らくな暮らしでは元々無かったが、今日はマッチを売らないと食べるものもない。
だから、マッチが少しでも売れなければ、今日は庵には帰れなかった。
がたがたと寒さに身を震わせながらも、少女はマッチを持って街を歩いた。
岡の向こうでは、そろそろ夕日が沈み始めている頃だろうか。
山の暗い影がゆっくりと谷間の町に夜を呼び、街の窓々には黄色い灯りが点り始めていた。
はく息で、かじかんだ両手を温めようとしても、北風がすぐにそれを持ち去ってしまう。
雨が降りそうなくらいどんよりとした空から、夜の訪れとともに雪が舞い降りてきた。
がらす窓から漏れてくる暖かい光を覗き込むと、そこは幸せな家族の笑い声に溢れていた。
本当のお父さん、本当のお母さん。
当たり前なその家族の姿が、少女にはとてもとても幸せなものに思えていた。
にわかに、少女は自分の周りが寒くてたまらないように思えた。
少しだけなら良いかもしれない、そうつぶやきながら、少女はマッチ箱を手に取った。
なれない手つきでマッチを取り出し、こわごわとそれに火を灯した。
いつもは見慣れたマッチの炎も、今はとても暖かな、魔法の光のように見えた。
たくさんの幻が、その魔法の光の中から浮かび上がってきた。
めんどりの丸焼き、甘い甘いケーキ、山盛りのパスタによりどりみどりの果物。
にぎやかな食卓を彩る様々な料理、人々はそれらを惜しげもなく食べるのだろうか。
晴れやかにドレスを着飾った綺麗な娘たちが、楽しげに笑う姿が目に浮かぶようだった。
れんがの壁の隅に小さく腰を下ろして、少女はうっとりと炎の浮かべる幻に魅入っていた。
のこりのマッチに次々と火を灯すたび、その幻ははっきりと目の前に現れるようになった。
国中を挙げてのダンスパーティーだったのだろうか。
とてもとても美しいシンデレラが、その真ん中で凛々しい王子様と踊っていた。
自分たちだけが世界であるかのように二人は見つめあい、微笑を交し合っていた。
称賛の声はパーティーホールのあちらこちらから、そのお似合いの二人に向けられていた。
シンデレラの継母とその娘はホールの隅で、妬ましそうな顔をしていた。
てのひらを、少女がその幻の中に伸ばすと、王子様がその少女の手をそっと包み込んだ。
いつのまにか、少女はその幻の中のシンデレラになっていた。
るり色の眩い光が少女の周りに満ち、少女はおとぎ話の只中に立っていた。
とまどいながら見回すと、少女は夢のような光景の中で、皆から祝福されていた。
かたわらでは優しく凛々しい王子様が、少女に向かって膝を折り、お辞儀をしていた。
いつまでも、私と一緒にいて頂けませんか。
うっとりするような声で、王子様は少女に囁いた。
訳も分からず少女がうなずくと、王子様はにっこりと微笑み、少女の手に口付けをした。
だれもが新たな姫の誕生を祝い、そして少女は王子様といつまでも幸せに暮すのだった。

それから長い年月が幸せのうちに過ぎ去ったが、それも幻だったのだろうか。
れんが造りの壁にもたれかかるようにして、少女はいつしか目を閉じていた。
はこの中はすっかり空になり、ただマッチの燃えかすだけが少女の足元に落ちていた。
とめどなく降りしきる雪が、少女の寝顔にふわりふわりと舞い降りてくる。
もうすぐそれは、少女の体を覆い隠すのだろう。
からだから、少女のか細い体から、雪はゆっくりとその小さな命を吸い上げていった。
くらく灯火の消えた窓が、少女の周りで次第に増えていく。
雨混じりの雪にやがて変わったクリスマスの夜は静かに更けていく。
谷間の町の、街並みの谷間、少女はひっそりと眠るように天に召されようとしていた。
のどから吐き出される小さな小さな吐息は次第にその温かみを失いつつあった。
庵に帰ることはもうないだろう。
はじめから、こうなることは分かっていたのかもしれない。
今日のこの小さな光景が運命でなかったと、いったい誰に言えるのだろうか。
日が再びその姿を人々に見せる頃には、冷たさが少女を包み込むだろう。
もう、少女の笑顔を人々が目にすることはない。
雨谷の庵は今日も雨。
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管理者:徳田雨窓