雨谷の庵

[0181] 台風 (2001/09/03)
※台風雑文祭


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『騒ぎがはじまったのは、雨雲が低くたれこめた真冬の土曜日の午後だった。
 ビルの谷間を雪混じりの強い風が吹きぬけていく。その年にやってきた台風31号は
 非常識なほどに季節外れな代物で、大雨の代わりに豪雪を、暴風の代わりに吹雪を
 日本列島各地にもたらしていた・・・』

木下「徳田さん徳田さん。冬に台風って、ちょっと無理がありますよ」

大学の文芸サークルの後輩の木下某(仮名)男(断定)は、私が書き殴っている原稿を
横から覗き込みながら物知り顔に口を挟んだ。
ここは香川県と岡山県の県境近くの小さな島。
その港近くのある民宿の軒先で、私と木下某は二人頭突き合せていた。
サークルの後輩達がここで合宿を決行している。
それを聞きつけた私は、今まで取りそびれていた夏期休暇を会社に申請して、
早速遊びに来たとかそういうことである。

木下「だいたい台風って熱帯性低気圧でしょ?それが雪を降らすっていうのは変ですよ」
徳田「君は細かいコトにこだわるね」
木下「徳田さんが大雑把過ぎるんです」

そう言われると私には返す言葉が無い。
確かに私は生来いい加減で、些細なことには全く気の回らない粗忽者である。
一方この木下某は私よりも8つ程年下ながらなかなかのしっかり者で、彼の書く文章もまた
その性格を反映してか、緻密なプロットと繊細な描写が特徴である。
晩夏の陽射しは高曇りの空模様に遮られてその表情を柔らげ、勢いの衰えた蝉の鳴き声には
秋のほのかな香りが漂っている様にも思える。
そんな一見すればのどかな田舎の光景の中で、しかし木下某は困ったような面持ちで
頭を抱えていた。

木下「ああどうしようかなぁ。もうあと2時間しかない」
徳田「なんだ。まだ2時間もあるのか」
木下「2時間しか、ですよ。朗読とかの練習もしないといけないですし」
徳田「朗読なんて適当に喋っとけばいいだろ。練習なんて要らない」
木下「それに衣装だってまだ準備してないし」
徳田「女装しろ女装。ウケるぞ。それともじゃばこの帽子を被るか?」

2時間後には、この合宿のメインイベントである創作朗読大会が始まるコトになっている。
それはこの合宿中に各々が書きしたためた文章を朗読し合うという、一見地味そうに
思えるイベントであるが、これが一筋縄ではいかない。
何しろ逆トーナメント形式での負け下がり戦なのだこれが。
トーナメント表に従ってサークルの各メンバーが対戦し、ウケた方が勝ち。
負けた方は別の対戦の敗者と再び対戦し、劣敗者が決するまでそれを繰返すのである。
このトーナメントの底辺に転がり落ちた者に何かお仕置きがあるという訳ではないが、
それが文章を書く者としてかなりの精神的苦痛となるであろうことは想像できるだろう。
結果、なるべく早くトーナメントから解放される為に、各々が切磋琢磨することとなる。
ある者は持ち前の文章で笑かしに走り、ある者は朗読の軽妙さで文章力を補おうとする。
そのいずれもで劣る新入部員などは衣装や一発芸で意表を突こうとすることが
多かったりするのも、毎年変わらぬ傾向である。
過去にどういう経緯があったのかは私も知らないが、このサークルでは実戦に役立つ創作
文芸というものを目指して日々活動するということになっていて、この妙にイカレた
イベントもその活動の一環であるとかそういうことなのだろう。
実戦ではなくて実践だろ、という細かなツッコミを入れたくなるような妙なスローガンだが、
そこのあたりは昔、学生運動華やかなりし頃の名残りなのかもしれない。
木下某の繊細な文章が、このある意味粗暴なイベントに向いていないのは明らかだった。

徳田「仕方がない。とっておきの秘策を授けようじゃないか」
木下「秘策?」

木下某が胡散臭そうに私の顔を見つめる中、私は先程とは別の原稿用紙に新しく文章を
したため始めた。

『体育倉庫の中は暗かったが、微かな隙間から射し込む夕日の金色が二人の横顔を幻想世界の
 住人のように演出していた。二人は長い間抱き合っていたがやがて、男が小さく囁いた。
 「ね、君の足に触らせてくれないか」。ブルマからすらりと伸びた、少女の白い太腿に
 男の無遠慮な右手が近づいた・・・』

木下「ちょ、ちょっと待ってくださいっ。これを、みんなの前で読むんですか!?」
徳田「そうだよ。いい考えだろう」
木下「駄目ですよ。駄目駄目。僕には絶対無理です」
徳田「君だからこそ、爆笑確実なんじゃないか。一見真面目な好青年。いつもは綺麗な
   文体でちょっぴりセンチメンタルな文章を書く君がここで一転、お下劣大爆発の
   扇情的悩殺メロドラマを朗読する。くぷぷっ。面白過ぎる」
木下「で、でも・・・」
徳田「だいたい大学生にもなって恥ずかしいも何もないだろう。聞いたぞ?最近、君にも
   彼女が出来たって。チェリーボーイならいざ知らず、今時の若いもんがそういうコトを
   気にする方がむしろ恥ずかしい」
木下「それは徳田さんが恥知らずなだけじゃ・・・」
徳田「君も失礼なことを結構さらりと言うね」
木下「す、すみません」

申し訳なさそうに小さくなった木下某を横目で見ながら、私の口元はニヤニヤと笑っていた。

徳田「なに、恥ずかしいのは最初だけだって。それともあれか?彼女の前でこういうのを
   読むのが恥ずかしいとかそういうことか?」
木下「いえ、そういうわけでは、ないですけど・・・」
徳田「じゃあ、何の問題もないじゃないか」
木下「そう、ですね・・・」
徳田「トーナメントで負け続けるのは辛いぞ。それよりもこの確実に一発抜けできるネタで
   勝負を掛けた方が良いに決まっている。なに、せいぜい5分我慢するだけだ」
木下「そうですね。負け続けるよりはましですよね」

納得顔の木下某の肩を、私は小さく一回、叩いた。

徳田「まあこれも経験だと思えばいい。趣味とは言え文章を書くからにはエンター
   テイメント性を忘れちゃいかん。自身の特性と周囲の状況。それらを的確に把握し、
   場面場面に応じた記述に磨きをかける。それでこそ本当の意味で
   セルフ・プロデュースができたと言える訳だ。そうだろ?」

「はい」と一言、木下某は答えて笑った。
どうやら迷いは吹っ切れたらしい。
その後の続きは自分で書きますと言い残して、木下某は書きかけの原稿を片手に自室へ
戻っていった。

徳田「どうやら、上手くいったようだな」

後に残された私の呟きは、誰にも聞かれることなく蝉々のざわめきの中に消えていった。
私は木下某に渡したのとは別の原稿用紙に目を落とした。
そこには、甘く青くさい学園恋愛モノのショートストーリーが綴られている。
ちょっぴりドジな女の子が、そこで結ばれたカップルは必ず幸せになれるという
伝説の体育倉庫の中で、憧れの先輩に告白するというかなり気恥ずかしいお話だ。
もうすぐ、これを木下某の彼女が受け取りに来るコトになっている。
やはり創作朗読大会で頭を抱えていた彼女から相談を受けて、私が代わりに
書き上げた代物だ。
先程の木下某に渡した文章は、ちょうどこれの続きになるように仕組んである。
そしてもちろんトーナメントの一回戦で二人が対戦するよう、大会幹事への
根回しにも抜かりはない。
彼女がこれを読み終えた後、木下某がその場をどう切り抜けるのか。
今からそれが楽しみで仕方がない。
と。
そんな物思いをしていると、民宿の庭の向こうから件の彼女がやってきた。
小柄な彼女には体操着が良く似合う。
木下某に負けないくらい生真面目な彼女は、私に言われた通り、ブルマ姿で大会に臨むようだ。
前々から可愛いとは思っていたが、最近はますます女らしくなってきている。
それが恐らくは木下某のおかげなのだろうと思うたびに、私は理不尽な悔しさに
歯噛みしたくなる。

徳田「こんな意地悪をしたところで私に何か得があるというわけではないが」

三十路も目前になったモテない男のひがみと言えばその通りなのだろう。
雨谷の庵は今日も雨。そう、人生は割りきれるものばかりじゃない。
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管理者:徳田雨窓