雨谷の庵

[0177] ナンマンダブナンマンダブ (2001/08/17)


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公立系駄目一族。

正直な話、教会でのお葬式に参列するのは初めてだった訳である。
親戚のおじさんが亡くなったと聞いたのは狂乱覚めやらぬ夏祭の直後で、
それはいつも通りに無愛想な母からの電話で告げられたのであった。
それにしても。

母「おじさんが、死んだんじゃ」
私「えっ!?」
母「じゃけえ、帰ってこられぇ」
私「そうだね。うん。そうするよ」
ガチャ。ツーツーツー・・・

電話の内容はそれだけであった。僅か5秒。
おじさんの死を告げる電話が5秒。
愛想が無いにも程があるのではないかという気がするのは、私だけなのであろうか。
それとも、動転していましたか?>母
もしかすると急いでいたのかもしれない。
母もそうであるが、ウチの家系は教師の家系であるらしく、親戚には教師を
生業としている者が多い。
おじさんもその例に漏れず教師であった。
そのせいもあるのだが、お葬式は大抵、とんでもないことになる。
詰めかけるのだ。参列者が。
教師というのは何年かに一度、市内や県内の他の学校に転勤するのが普通である。
もちろん、私立の学校はそうでは無いらしいが、生憎と私の家系は公立系らしい。
とにかく40年くらい教師をやっていると、その間に5〜10回程度転勤する計算になる。
教頭や校長になればしばらくは転勤しなくなるのであるが、私の家系がそういった
ものと縁が無さそうなことは読者諸兄のご推察の通りである。
もしかして駄目家系なのか?
一生ヒラで過ごすことを以って家訓としてでもいるのか。
時にはそう疑いたくもなるくらい、ウチの親戚連中は揃いもそろって一生ヒラを
貫き通したりしているからかなり笑えるとかそういうことである。
ここまでくると、一種の信念じみたものを感じざるを得ない。
結局、おじさんもその例に漏れずヒラのままその生涯を終えてしまった訳であるが、
そのせいで知り合いが多いのである。
なにしろ転勤しまくりのヒラ教師である。
少なめに見て学校1つにつき教師が50人居ると計算しても、5回の転勤で250人の
知り合いが出来る計算になる。
しかもそれがすべて皆教師なのである。
お葬式に詰めかける教師数百人。
一種異様な光景であるが、世の中というのはそういうものであると諦めざるを得ない。

恐らく母はそのおじさんの知り合いに一通り知らせてまわる役を仰せつかったのであろう。
であるから、私に知らせる時には手間をかけたくなかったのだと想像する訳である。
嗚呼、お疲れ様なのである母よ。
ということで、早速私は実家岡山に向かうのであった。
私が実家に辿りついたのは翌日の早朝。
同じように東京で暮らしている親戚2人を加えて、高速道路を車でぶっちぎって
駆けつけたのだが、お通夜には間に合わなかった。
何しろお盆の帰省ラッシュだったのだ。
深夜とはいえ、渋滞に巻き込まれて難儀してしまった。
到着したのは朝の4時。
すっかり寝入っている実家に勝手に上がりこみ、冷蔵庫を物色してビールを飲み始めた
私を、残り2人は呆れた眼差しで見ていたりもしたのだが、それはまた別のお話である。

その日の午後、お葬式はしめやかに執り行われた。
おじさん夫婦はどういう経緯かは知らないがキリスト教の信者であった。
祖父祖母やウチは仏教であるから、恐らくおじさん夫婦の信心は彼等自身の志の
賜物であるのだろうと思ったりもする。
宗教が違うとお葬式の勝手も微妙に異なってくるもので、慣れない私は一々戸惑ったりして
どうにもばつが悪かった。
例えば。
棺桶の中を拝顔したとしよう。
すると、おじさんの口が縫い合わされていることに気づいたりするのである。
確か、前に父方の祖父を送り出した時にはそんなことは無かったような気がするから、
これはキリスト教に独特の作法なのだろうと思うのだが、私は不意を突かれた
せいもあり思わず驚いてしまった。
ついでに恐怖の余りナンマンダブナンマンダブと両手を合わせて拝んでしまったので
あるから、さらに具合が悪いとかそういうことである。
後ほど、キリスト教では胸の前で両手を組んで静かに黙祷するだけでいいのだと
聞かされて、かなり恥ずかしかったというのはまた別の話である。

そんな失態を演じた為というわけでは勿論ないが、私は教会での追悼式(キリスト教では
お葬式をこう呼ぶらしい)では専ら、参列者の受付をする役を仰せつかった。
来て頂いた方に記帳をお願いし、お花代(キリスト教では香典のことをこう称すらしい)を
受け取り、お礼状を渡すというそれだけの仕事であるが、これがとんでもないことに
なってしまうのは前述の通りである。
詰めかけた参列者、約300人。
内、教師約200人。
その他は教会関係者が7割といった感じであったから、おじさんの個人的な交友関係は
かなり地味なものだったようである。
とにかく来る人来る人皆教師である。
教会の礼拝堂はあっという間に教師で埋め尽くされ、終いに入りきらない参列者は
廊下で神父の説教を聞くだけという有様。
もちろん、私の慣れない受付などがてきぱき対応出来るはずもなく、申し訳無いことだが
教会入り口は大混乱となってしまった。
お花代が盗まれなかったことだけが不幸中の幸いとかそういうことであろう。

そのせいというわけではないのだと思うのであるが、私は火葬場に連れて行って
貰えなかった。
追悼式の終了後、棺桶を車に積み込むのを手伝い、そのまま火葬場に向かう
はずだったのだが、どういう訳か親族では私だけが教会に取り残されてしまった。
う〜む、と困り果てた私は、仕方なく近くの公衆電話から母の携帯電話に
その旨を告げることにした。

私「あの、なんかはぐれちゃったみたいなんだけど」
母「あ、そう。あんたもう、用事ないじゃろ?」
私「まあ、そうだね」
母「もう帰ってええよ。ほんじゃあな」
ガチャ。ツーツーツー・・・

やはり5秒。
その10分後、岡山駅で独り寂しく東京行新幹線に乗り込む私の姿があったことは
言うまでも無い。

雨谷の庵は今日も雨。
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管理者:徳田雨窓