雨谷の庵

[0176] これから冥土に逝く (2001/08/14)


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国は無いけど山河も無い。

ここは戦場だ。
戦場では常に闘わなければならない。
闘うことを止めたその時、兵士はただ草原の肥しとなって、
後進の靴底に這いつくばることになる。
見渡す限りの人。
人、人、人、人、人。
それはただただ人の群として目の前に広がっていた。
戦場を埋め尽くす戦士たちの群。
誰が敵で、誰が味方なのか。
その区別を見出すことは、とっくの昔に諦めていた。
というよりも、それは不可能に近い試みに他ならなかった。
秩序もなく、規律もなく、彼等世界で最も屈強な精鋭たちは己だけの約束の地を目指していた。
理想もなく、思想もなく、彼等世界で最も卑屈な奴隷たちは己だけの欲望の地を目指していた。
何故に闘うのか。
その答えを知る者はいなかった。
何故に戦地を駆けるのか。
その理由を語る者はいなかった。
ただ、彼等はこの混沌とした戦場に身を投じ、その身をもってさらにその混沌を拡大させる
だけであった。
そう、ここは混沌なのだ。
あらゆるものを飲み込み、全てを灰色へと織りなしてゆく。
細部をつぶさに眺めることが出来るのであれば、その個々の色彩は様々に色とりどりを
放って居るのであろう。
しかし、それら全てはこの戦場に渦巻く狂気と騒乱の中にとり込まれ、単に灰色の一部として
のみの存在として混沌を演出しているに過ぎなかった。

私はかき分けねばならなかった。
私もまた、兵士なのだから。
私はもぐり込まなければならなかった。
私もまた、混沌の一部なのだから。
人と人を人と思う間もなく、私は戦場を駆けていた。
闘いを好んでいるわけではない。
戦場が好きなわけでもない。
ただ、この混沌の中で得られる物、得られると私が信じているモノ、それを手に入れるために
手に入れるためだけに、私はその灰色の中に身を投じることを良しとしているのだ。
昨日から一睡もしていない。
いや、実はこの3日間、まともな睡眠時間は全く無い。
しかし既に眠気と闘う必要はない。
それはとうの昔に脳内の別の領域に固定済みで、そのための内分泌物はドバドバと
脳液に向かって滴り続けているからだ。
意味不明な焦燥感と、ひっきりなしの緊迫感。
それらは無意識の中から絶えず脊椎を突つき上げてくる。
意識が朦朧としているわけではない。
ただ、思考がいつも攻撃的になりがちなのは仕方のないことなのだろう。
私は戦場の熱気に煽られるかのように前に進み続けた。
目の前に立ちはだかる肉弾の壁に弾かれながらも、すぐさまそれをかき分け、押しのけた。
目指すべき地への道標は、この右手の中の分厚い冊子只一つ。
戦場の全てを網羅したその冊子に目を通している暇はもちろん無い。
その内容は予め、記憶しておくのが戦士の義務である。
それを怠った者はこの混沌という名の狂乱の渦の中に屍を晒すことになる。
私にそれは許されていない。
私に課せられた任務、それを果たすまでは、この身を大地に横たえる訳にはいかないのだ。
私は両腕に抱えているものの存在を確認した。
それは、50cm四方ほどの箱だった。
この中に、私のこの3日間の全てが詰まっている。
夜を徹して調達した補給物資、それを待っている同胞が居るのだ。
それを何としても先発隊の元へ送り届けなければならない。
彼等は今、闘う為の武器を持たず、ひたすら混沌の中で耐え忍んでいるはずである。
彼等を救うことが出来るのは、私だけなのだ。

「徳田さ〜ん」
ふと、間抜けな呼び声に呼び止められた。
若干血走った目でそちらを振り向くと、そこには見知った顔があった。
一之瀬某(仮名)23才(推定)男性(断定)であった。
「いやいや、また遭っちゃいましたね〜」
説明しよう。
彼もまた、生粋の戦士である。
大友某(仮名)の知り合いなのだが、何故か彼とは過去に何度となく戦場で
遭遇したことがある。
6月サンクリの陣、池袋の交差点で彼とすれ違ったのは全くの偶然だった。
7月ブライトの陣、戦場内で遭遇したのはまさに単なる偶然だった。
そして今回、8月コミケの陣。
我々はまたもやこの混沌の中で再会したのである。
10万人を超えると云われるこの巨大な人の群の中で、我々が出会う確率というのが
どれ程のものなのかについては大西科学に聞くしかないが、まさに奇跡と言わざるを
得ないということだけは確かなのではないかと思ってしまう。
どこかで待ち合わせをしていたわけではない。
もちろん、互いにこの戦場に赴くことすら、事前には何も連絡していない。
戦士の絆。
もしそういう言葉があるのだとすれば、これがまさにそうなのかも知れないと
ふと思ったりもする。
「これから、ご自分のスペースに行くんですか〜?」
ああそうだ、と私は短く答えた。
先発隊が持って行き忘れた展示物を送り届けるところなのだと。
「そうなんですか〜。大変ですね〜」
一之瀬某はそう言って笑った。
「僕はこれから冥土に逝くんですよ〜。それではまた〜」
意味不明なその言葉だけを残して、彼は再びその姿を混沌の中に消した。
彼もまた、闘っているのだな。
そんなありきたりの感慨を抱きつつ、私もまた混沌の中に飛び込んだ。

戦士に休息はない。
いつか再び、戦地で巡り合う。
生きてさえいればまた、そういうこともあるだろう。
いや、この後すぐまた冥土で再会するというオチもあるのだが。
・・・あかんやんけ。

雨谷の庵は今日も雨。
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管理者:徳田雨窓