雨谷の庵

[0141] 対照的な願い (2001/03/13)


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ぐるぐる人生360度。

なんだか随分更新していないような気がしないでもないが、
それはかなり気のせいに違いないので気にしてはいけない。
まあ、色々有るのだよ。私にも。
その色々とやらについて書くかどうかは分からないが、ネタに詰まれば
書くに違い無いのであるから、そこら辺もあまり気にしないで待っているのが
吉であろう。多分。

それはともかく。
今日は二人の人物について語ろうではないか。
件の二人とは私の学生時代の後輩で、特に親しい仲というわけでは無かったが
まあそれなりに会話を交わすような間柄であったと思って頂ければ十分である。
取りあえず最初の人物を岸本君、二人目の人物を坂本君としよう。
もちろん仮名である。
で。
私は何故か、この二人の高校生卒業時の卒業文集を読んだことがあったりするとか、
そういう事なのである。
いったいどういう経緯でそのような事に至ったのかについては全く記憶領域の
外部の話でつまるところ全然からっきし覚えていないのであるが、
ともかく二人の卒業文集における作文の内容を比較検討する機会に恵まれた
ものであるらしいことだけは確かである。
どうせ私のことである。
酔っ払って他人の家に上がり込み、勝手に文集を肴にゲラゲラと笑っていたとか
そういう事なのかも知れない。恐るべし酔っ払い。

それはともかく。
まずは岸本君の作文の中で印象に残ったのは以下の部分である。
「僕はこれからも、このレールの上を迷うことなく歩きつづけるだろう」
実は上記の部分以外の文章は全く覚えていない。
更に実は、上記の部分についてもはっきりと覚えている訳ではない。
ただし、キーワードである「レール」「迷うことなく」「歩きつづける」といった
部分はまず間違い無く書かれていたように思うのでまあそこら辺だけを汲み取って
頂ければこの後の論旨にとってまったく問題は無い。
で。
何しろレールである。
所謂処の線路とかいうやつだ。
線路と聞いて私が思いつくのは、
「他人によって予め決定された道筋」
といったようなイメージである。
実際、線路を走る電車なり汽車なり新幹線なりはレールを外れて走るような事はない。
というかむしろ、線路を外れる事は即ち事故と同義であり、脱線という言葉は
それ自体が三面記事のヒロインに他ならない訳である。
ということはである。
件の岸本君はその「他人によって予め決定された道筋」を今までも歩いていたと
認識しており、さらにこれからも「歩きつづける」ということを強く主張している
事になる。
しかもそこには「迷うことなく」という決意すら存在しているわけなのだ。
この文章を見た私がその時どう思ったのかについては何ら記憶に留めていないので
語る術を持たないが、今思い返すとこの一文に込められた思いはかなりのものでは
なかろうかと思う次第である。
何くれと無く普段から平凡な人生を送る努力を惜しまない私にとって、少々
空恐ろしいものを感じるような気がしないでもないが、これは果たして
本当に気のせいなのであろうか。

それはともかく。
次の坂本君の作文の中で印象に残ったのは以下の部分である。
「僕が歩んだ場所が後に続く人々にとっての道となる、そんな人になりたい」
もちろん上記の部分以外の文章は全く覚えていない。
更にもちろん、上記の部分についても明確なる自信でもって覚えている訳ではない。
ただし、キーワードである「道」「後に続く人々」「歩んだ場所」といった
部分は多分間違い無く記述の中に含まれていたように思うので、まあそこら辺だけを
汲み取って頂ければこの後の展開にとって何ら問題は無い。
で。
何しろ道である。
しかも既にある道を想定しているのではなく、自らが道を切り開くことを
夢見ているのである。
なんだかどこかの国語の教科書で読んだことのありそうな発想であるが、
まあどことなく立派な人であるなぁと思わせる内容ではないか。
実際の話、始めから明確な意図をもって造られた道というのは道総体に対して
非常に少ないのではないかと思ったりもする。
というかむしろ、明確な意図をもって造られた道の中にも、元々そこに何かしらの
道のようなものがあったればこそ、というのが少なくないような気もする訳である。
ということはである。
件の坂本君は自身の足で「歩んだ場所」というものがその
「何だか分からないけどなんとなく道っぽい」ものであって欲しいと
考えているようである。
そのためには「後に続く人々」がそこを続いて歩んでいかなければならない訳で、
坂本君自身、果たして自らの歩んで来た場所が後進の人々にとっても歩む価値の
あるものであるかどうかは知り得ないとかそういう事なのだろう。
この文章を見た私がその時どう思ったのかについてはすっぱりと忘却の彼方なので
語る術を持たないが、今思い返すとこの一文に込められた思いはかなりのものでは
なかろうかと思う次第である。
何くれと無く普段から平凡な人生をもって身上とする私にとって、少々
畏敬の念を感じざるを得ないような気がしないでもないが、これは果たして
本当に気のせいなのであろうか。

他の人々が付けた道筋を迷いなく爆進したいと願う岸本君、自らの歩みでもって
他の人々への道筋たらんことを願う坂本君。
この一見かなり対照的な願いを持った二人の作文は、私の脳裏にかなりの
インパクトでもって刻み込まれたものであるらしく、いまでも時々思い出しては
何かと自身の人生とかいうものを省みたりするわけである。
私の人生。何だろうそれは。
一応サラリーマンとか呼ばれる職業で糊口をしのいではいるものの、
何かしらのレールを爆進しているようではなさそうだ。昼行灯だし。
かといって自身の足でもって道を切り開いているような節もない。怠け者だし。
云ってみればレールと道の間をふらふらと気分次第でぐるぐると巡っているような
感じであろうか。
どっちつかずで時には逆方向に走ってみたりもしているのかもしれない。
しかも「面白そうだったから」とかいう人としてちょっとどうかと思うような
クダラナイ理由でそんな事をしているような気がする。

なんだか、卒業シーズンに引っ掛けて文集ネタを書き綴ってみたものの、
結局は自分のダメさ加減に閉口してしまうような内容になってしまったである。
これをもって卒業生への送る言葉としたい。
...というわけにはイカンだろうなぁ。

雨谷の庵は今日も雨。
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管理者:徳田雨窓