雨谷の庵

[0132] 新世紀な人間 (2001/01/05)


[Home]
世紀を越えてしまったわけです。

世の中にはだいたい2種類の人間しかいなくってだね、君もその2種類というもののどちらかに
属するとかそういうことなのだよ。
とまあこのように書いた場合、問題となるのはそれがどのように2種類に分類されているのか
ということであろう。
何しろ2種類だ。
良いか悪いかのどっちかに決まっているのである。
自分が常に良しの分類に分けて頂けているのであればなにくれとなくストレスを感じずとも
済むのであろうが、そうはいかないところが世の中は鬼ばかりとかそういう事である。
もちろん。
どっちに転んでも悪い奴として分類されていしまうというとんでもない分類方法も
存在する訳であるから油断がならないことこの上ない。
ちなみにそれは例えば、徳田のことを馬鹿と思っている人間と、馬鹿と思っていない人間の
2種類だといったような分類である。
徳田のことを馬鹿と思っている人間という者は、何しろ他人を馬鹿にしている事実を
既に認めてしまっているので論外なくらいに悪い奴である。
そう、他人を馬鹿にするのは良くないできごとだ。
更に平凡で人畜無害な徳田を馬鹿にしているのであるから言語道断である。
問答無用に悪い奴に決定で問題無し。
一方、徳田のことを馬鹿と思っていない人間であるが、これも駄目である。
何しろ徳田が馬鹿であることは全人類が首肯をもって認知している紛れも無い事実で
あるのであるから、そんなことが分かっていない人間が良いの分類に入る訳は無いのである。
従って、これもまた悪い奴と言う事で決着するのである。
恐ろしい事である。
...もちろん、これは詭弁であって、徳田のことを馬鹿と思っている人間は紛れも無い事実を
認識しているから良い奴で、徳田のことを馬鹿と思っていない人間は他人を馬鹿にしていない
のであるからやっぱり良い奴であるというふうに解釈する事も可能である。
どっちにしても恐ろしい事である。何がだ徳田。

それはともかく。
本題に入ろう。

世の中にはだいたい2種類の人間しかいなくってだね、それは新世紀な人間と新世紀じゃない
人間の2種類なんだよ分かるかね?
このように書いた場合、まず気になって仕方がないのはどっちが良いでどっちが悪いかという
ことだろう。
もしかするとそんなことを気にするのは私だけなのかもしれないが、今のところはページの
都合上、読者諸兄も皆々様に至る限りまでもが気になって気になって仕方がないことに
して置いて頂きたい。
気になるのである。
気になって夜も寝られないとか、そういう事である。
夜寝られないのなら昼に寝れば良いではないかとマリーアントワネットが言ったとか
言わないとか、そういうことはこの際、実にどうでもよかったりするのであるが、
まあそういうことである。
どちらが良いでどちらが悪いであるのかを考察するためにはまず、何をおいても新世紀な人間と
いうものが一体如何なる存在であるのかについて熟考せねばならぬところである。
なんであろうか。新世紀な人間。
とりあえず、新世紀というものは理解できる。
新世紀とはアレだ。世紀の新しい奴だ。
古い世紀のことは旧世紀と言ったりするわけであるから、新世紀は旧世紀の反対側に位置する
存在としておいても当座はしのげるのかもしれない。
しかしよくよく考えると、この旧世紀と言う奴も今一つ良く分からん奴では有るわけだ。
やはりここは旧世紀も新世紀の野郎と併せて考察の範囲に含めねばならぬところであろう。

さて一歩前進したところで視点を変えよう。
全然進歩しとらんじゃないかとかいう常識的なツッコミはこの際却下である。
ページの都合とでも思っていただければ望外の喜びである。大喜び。違う。
それはともかく。
まずは先の議論の進展をもって、当初の命題を読み替えて見ようではないか。
世の中にはだいたい2種類の人間しかいなくってだね、それは新世紀な人間と旧世紀な人間の
2種類なんだよOK?ベイビィ。
どうだろうか。少しは分かりやすくなったのでは無いかと思う訳である。
新世紀な人間と旧世紀な人間である。
どことなくSFのネタにでもなりそうな雰囲気ではないか。ならないけど。
取りあえず今の世間とかいうものは大まかに見れば21世紀と言う奴である。
去年までは20世紀だったわけだ。
ということは、新世紀とは21世紀のことで、旧世紀とは20世紀ということで片付けて
しまえば良さそうである。
即ち、新世紀な人間とは「21世紀的な雰囲気を醸し出す人、またはその集団」と
読み替えても良いのかもしれない。
とすれば、旧世紀な人間とは「20世紀的な雰囲気を醸し出す人、またはその集団」と
読み替え可能と言うわけだ。

ここまでくればあと一息である。
20世紀的な雰囲気というのがどういうものかを考えてみれば良いのではなかろうかとか
そういうことになりそうである。
それに当てはまるような人々を旧世紀な人間とし、そうでない人またはそこから結構
逸脱しちゃっている人を新世紀な人間としてしまえば、乱暴ながらもまあなんとか
分類できそうである。
では考えてみよう。20世紀的な雰囲気とはどんなものであろうか。
20世紀、20世紀。
そういえば昔は良かった。
携帯電話なんて無かったのだ。ポケベルも無かったし、もちろんPDAなんて影も形も
無かった。
パソコンも無かったんだな。恐ろしい世界だ。おまんま食い上げ。ぶるぶる。
CDも無かった訳だ。レコードとか、まさに旧世紀の遺物と言えそうかも。
...と、ここまで考えてみて気がついた。
20世紀的な雰囲気とかいうものを定義するためには、実は21世紀的な雰囲気と比較して
みて、それが余りにも顕著に非なる傾向を示す必要がありそうである。
だいたいアレだ。
21世紀になったとは言ってもまだ1週間ほどが経過したに過ぎないのである。
まだまだ21世紀とかいうものが一体どのようなものになるのかは分からないとか
分かるはずも無いとか、分かる訳ねぇだろ馬鹿とか、そういうことである。

ということで結論。
「新世紀な人間なんていやしねぇ。俺たちゃみんな旧世紀な人間だぜべらぼぅめ」
分類になっていないやんけ徳田。

雨谷の庵は今日も雨。
< Back |List| Next >
管理者:徳田雨窓