雨谷の庵

[0062] 丸い光る物体に過敏 (2000/03/13)


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今日の歩数は現在3419歩。貧乏ゆすり込み。

私は良くモノを拾ってしまうことで有名である。
有名と言っても、私が勝手にそう思い込んでいるだけなのではないかと
いう疑念が時折湧いてきたりもするが、もちろん気にしてはいけない。
まあとにかくモノを拾うことで有名なのだ。
そういうことにしておいてくれたまへ明智君。
誰だ明智って。

何故にこのように良くモノを拾ってしまうのかをつらつらと考察するに、
どうやら私の歩き方にその一因があるのではなかろうかと思うわけである。
猫背なのだ。私は。
猫背である以上、当然ながら背中が前屈みな感じに曲がっているわけである。
そうすると、必然的に私の顔面は下を向きがちになるという算段である。
緻密に計算され尽くした結論と言えよう。どこがだ。
顔面が下を向いているというれっきとした事実から導かれることは、
私は主に地面を見ながら歩を進めていると言うことである。
上を向いて歩いたりなどしないのだ。
空が青かろうが夜空が星だろうが、氷雨で冷たかろうが私の知ったことではない。
私にとっての歩行中の景色は地面であってアスファルトである。
天気の良し悪しは、地面に投影されている影と日向とのコントラストによって
のみ判別すべきものであるのだ。
水溜りの状態も考慮するにやぶさかではない。

さて。
地面を見ながら歩くわけであるから当然、そこに落ちているものについて
つぶさに観察を行うのが癖になるわけである。
タバコが落ちている。火がついたままであることは一目瞭然である。消すべし。
などと呟きながら、どっかのおっさんが不注意にポイ捨てした吸殻を足で
踏んで回ったりもしてみたりするのだ。
善良なる小市民とは私のことか。まさに平凡人として当然の行為である。
こういった性癖には役得もある。
お金を拾うことである。
お金は主に硬貨を拾うことが多い。
当たり前である。紙幣は軽いので落ちている場所に長く留まることは
ないだろうし、だいたいすぐに何者かに拾われてしまうものである。
不届き者め。お金を拾ったらすぐに交番に届けるべし。
などとは言うものの、私も交番に届けたことなどないのであるから
まさしく小市民、平凡人である。
モラルとかいう言葉を知らないのか徳田。もちろん知らん。

そういう訳で、私は地面に落ちている丸い光る物体に過敏である。
硬貨ではないかと思わず目を凝らしてしまうのである。
ビールの王冠や訳の分からぬ金属片をつかまされることなど
しばしばである。畜生。
まあそれでも1週間に1度は何かしらお金を拾っているので良しとしよう。
先週は50円玉を拾ったしな。久々の大漁。
1円玉とかをいちいち拾っている私の姿を見た知人などは、なぜにそこまで
するのであるかと問うたりもする。
1円玉など拾ったところで、日々の生活にさほどの向上が認められる
わけではなかろうと言うのが、その論拠であるらしい。
しかし私は拾うのである。
どうも私には1円たりとも、見逃すなどということは出来そうにもない。
小心者か。それとも単なるしみったれか。

ところで、東京に引っ越してきてから妙なものを拾うことが多くなった。
先々週であったろうか。
買い物帰りの道をてくてくと歩いていたところ、私の敏感なセンサーが
路上の物体に引き寄せられた。
財布のようなものである。皮製で高価な感じだ。
「るいびとん」とかいう異国の製作者の作に良く似ている。
もちろん即座に拾った。もちろん持ちかえりましたとも。ええ。
でも財布ではなかったのである。煙草入れであった。
私はタバコは吸わない人であるので、中身は即座にゴミ箱直行である。
他にも名刺とかメモ書きとか色々入っていたが、興味無し。廃棄決定。
ということで、「るいびとん」の煙草入れのみを保管することとした。
ま、当然であるな...って、交番に届けろよ徳田。泥棒やんけ。

ところで今日は万歩計を入手した。
もちろん拾ったのである。
朝の通勤の際、駅の階段を登っていたその途中で拾ったのである。
即座にリセット、腰につけていまもカウント続行中である。
今は3000歩ぐらいを示しているようである。
一日一万歩が目安だから万歩計。
そういう噂をどこかで聞いたことがあるような気もするが、
嘘かもしれないので信じてはいけない。
とにもかくにも、この調子では一万歩達成は難しいような気もする。
意外と歩いてないもんだな。
まあいい。足らない分は貧乏ゆすりでカバーだ。
...って、それ意味あるのか徳田。やっぱり泥棒だし。

雨谷の庵は今日も雨。
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管理者:徳田雨窓