雨谷の庵

[0022] お風呂通とでも呼称 (1999/11/15)


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お風呂好きな性格というものは、どうにもならないものであるらしい。

私はお風呂が好きである。お風呂さえあれば幸せである。
お風呂に入らなければ、そんな私は不幸である。
私を不幸に陥れるのは実に簡単である。お風呂に入れなければよいのだ。
お風呂中毒という病気がもし有れば、私は病気に罹る為の努力を惜しまないであろう。
お風呂中毒。あ、何とも愛らしい響きではないか。
アルコール中毒などと言われれば腹の一つでも立ててみようかと思ってしまうが、
お風呂中毒と言われれば何やらエヘヘとか言いながらテレテレの笑いを浮かべて
みるのも一興であろうというものだ。
ああでも、そんな私はちょっとどうかしているのかもしれない。
まあよいではないか。所詮、お風呂中毒などという病気は存在しないのである。
そんなモノに論議を費やしても致し方ない。多分。

さて。
これほどまでにお風呂を愛する私のことであるから、お風呂での過ごし方に一家言を
持つにやぶさかではない。
日常生活の様々な局面においてこだわる人種を「通」と称する古来からの風習に従うならば、
さしづめ私などはお風呂通とでも呼称すべき部類の人であろうと自負して止まない。

まず、お風呂に入ったならば歌を唄わねばならない。
しかもその歌は懐メロでなければならぬ。
懐メロ。懐かしいメロディの略である。
ロックやメタル、ラップの類は却下である。全然懐かしさを感じないからである。
オペラなどのクラシックも却下である。だいたい私は日本語でしか唄えない。
演歌である。歌謡曲である。アニメソングである。
これら懐メロを唄ってこそ、お風呂の楽しみが増すというものである。

次に、お風呂に入ったならば沈まねばならない。
湯船にうつ伏せになって浮かび、しかる後にみずからの肺からゆっくりと
空気を吐き出すのである。
しからば重力における物理法則が教え諭すが如く、汝の体が湯の中に次第に沈み始める
のは必定である。
そんな事をして一体何になるのか、どうして左様な行為に及ばねばならぬのかといった
無粋なツッコミはこの際一切を却下である。
何しろ私はお風呂通なのである。
通の好みとは通でない種類の方々には概して理解しがたいものとして、寛容なる受け止め方を
して頂きたいものである。

さて、沈んだ後は湯船の底を這わねばならぬ。
じっとしていては土佐衛門か何かと勘違いされ、警察などという厄介な代物に通報されたり
してしまうので、面倒である。
通としてはそのような無粋な事態を嫌悪の対象にせねばならぬので、ここは死人と
間違われぬように何らかの通としての行為を行うべきであろう。
それが、湯船の底を這うという行為である。まさに通の行為ではないか。
川底を這うのはイモリであろう。
地べたを這うのは蛇亀の類と言えるかも知れぬ。
とにかくそういったモノの這い方を参考に、通として恥じることの無い這い這いを
実現せねばならぬ。
これから挑戦せむと考えておられる読者の方々においては、ユメユメ精進を
怠らぬよう、激励してやまない。

この他にも通の技としては潜望鏡やシャンプーモヒカンなどなどを体得している私では有るが、
この場でその全てを解説するには些か誌面が狭きに過ぎるようである。
ということでこの場はお開きということにしたい。
続きは次回の講釈にて。
って、そんなものはないんだけどね。

雨谷の庵は今日も雨。
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管理者:徳田雨窓